私に任せてください! 7


「言葉が足りなくて、申し訳ありませんでした」


 平野さんはそれ以上近寄ってこなかった。手を伸ばすには少し遠すぎる。でも表情はハッキリと見える。それが平野さんの選んだ距離だった。


「謝って済むことではありませんが……本当に、申し訳ありませんでした。舞鶴さまがおっしゃったとおり、もう遅いかもしれませんが……」


 平野さんはちょっと目を伏せて、それから息を吸った。胸がグーッと膨らんで、フッと抜ける。こわばっていた肩を落とす。視線が戻ってくる。

 夜を貫くみたいな、真っ直ぐな瞳。


「また誤解させるわけにはいきませんので、先に結論を言います。――は、あなたの気持ちに応えたい」

「っ?!」


 心臓が思いっきり飛び跳ねた。世界の温度が急に上がって、視界のサーモグラフィーは真っ赤っかだ。


「いつの頃からか、もう覚えていませんが――あなたのことを、想うようになっていました。長らく、自覚していませんでしたが……申し訳ありません。あなたはあんなに真っ直ぐ伝えてくださったのに」


 平野さんが一歩前に出た。距離がその分縮まる。お互いに手を伸ばせば掴める位置になる。


「あなたの気持ちが真剣なものであることは、分かっていました。……ずっと、気付かない振りをしていましたが。申し訳ありません。は、それに応える覚悟も、応える方法も持っていませんでした。……持とうともしなかった」


 さらにもう一歩。少しだけ見上げないと目を合わせられなくなる。街灯の光を背負った平野さんは、いつもより少し大きく見えた。

 ふいに、その表情がくしゃりと歪んだ。


「先程、あなたに、無駄にしないでくださいと言ったのは……その……つまり……あなたが、あなたを粗末に扱うことに、少し……腹が立って……――」


 視線を余所へやった平野さんの顔が、徐々に赤らんでいく。


「……心配なんです。あなたがあんまり素直に命令に従って、自分を簡単に捨てようとしているように見えたから……今回のことも、俺と妹のために……だから、その……無駄遣いしないでほしい、っていうか……いや、無駄じゃなければ使っていいってわけでもなくて、その……なんていうか……――都合よく、我が儘を言っていいのであれば……――」


 顔を真っ赤にしたまま、さらにもう一歩。そして少しかがんで、私と目線を合わせる。少しでも手を出せば触れられる距離だ。


「どうか、自分を大切にしてください。大切な人・・・・を、あなたも大切にしてください。あなたが大切にされていないのを見るのは……たとえ、それがあなた自身の決断であっても……すごく、苦しいんです。嫌なんです」

「……平野さん……――」

「もう、遅いですか……?」

「そんな、こと……」


 言葉が上手く出てこなかった。舌が上手く動かなかった。何せ一回死んだものですから! 死んでたところに突然雷が落ちてきて無理やり蘇生させられて驚いているのです!

 私は一旦深呼吸した。


「そんなこと、ないです。遅くなんてないです! すみません、私、誤解して……!」

「誤解させたのは俺です。申し訳ありませんでした」

「……うっ、うぅぅう……」


 もう流し切ったと思ったのにまた涙が出てきた。私は咄嗟にうつむいて、顔を両手で覆った。こんな汚い泣き顔を見せるのはちょっと乙女としてアレだし! ねぇ!


「あ、あの、美山さん……その、すみません、本当に……」


 ああ、また平野さんを困らせてしまった。ぶんぶんと首を横に振って、『違うんです、違うんです!』と主張する。


 違うんです、これは悲しいんじゃないんです!

 認められたのが嬉しくて。

 応えてもらえたのが嬉しすぎて。

 ……あっさり生き返ってしまった自分が少しだけ情けないとも思うけど。

 でもやっぱり嬉しくて嬉しくてどうしようもなくて。


 恥ずかしいけれど、無理やり顔を上げた。見苦しいものを見せると分かっていたけれど、ここで顔を見ないのは駄目だ。だから目元を擦って、鼻を啜って、申し訳程度に髪を撫でて、私は平野さんを真っ直ぐに見る。


 ――真っ直ぐ見返してくれる、平野さんが好きだ。


 ――私を私のまま見てくれる平野さんが、大好きだ。


 今できる最上級の笑顔になって。

 口をしっかり開けてハッキリと。


「好きです、平野さん。大好きです」


 すると平野さんはふわりと微笑んだ。包み込むような優しい微笑み――


「はい。俺も――好きです、美山さん」


 脳味噌が一瞬で沸騰した。


「ひゃあっ……」

「……なんで顔を隠すんですか?」

「嬉し……恥ずかし……ひーん、嬉しいんです……もう本当に、嬉しくてたまらなくて……私、本当に、ずっとずっと平野さんのことが大好きなんですよ。え、嘘これ夢です? 夢だったりしますか? 夢じゃないですよね? 嬉し、嬉しい……」

「……」


 ――ポン、と。

 頭の上に大きな手が乗った。乗っかったままぴくりとも動かないから、撫でられているわけではない。私もぴくりとも動けない。


「……」

「……」


 ゆっくりと見上げると、平野さんはものすごく恥ずかしそうに、首まで赤くして、そっぽを向いていた。


「やっぱ夢かなぁ……」

「……夢じゃありませんよ」


 平野さんはそっぽを向いたまま、でもどこまでも優しい声で言った。


「仮に夢だとしても大丈夫です。……俺も一緒に、一生眠り続けますから」

「ひんっ」


 意識せず変な声を出してしまった。いや出るでしょ?! 何それ?! 何その……口説き文句みたいな……ああああああカッコイイ……っ! ていうかいっしょ、いっしょう、一生って言った今?! マジで?! ふぁあああああああああっ!

 鼻血出そう。

 落ち着け私。

 すー、はぁーと深呼吸を一度。二度。それからようやく目を開く。


 平野さんは気を抜いたように笑った。


「……帰りましょう。送ります」

「はい」


 私は頭の上からそっと離れていった平野さんの手を、勝手に掴んだ。

 その大きくて武骨な手は、一瞬だけびくりと震えて――でもすぐに握り返してくれた。握り潰してしまうとでも思ったのか、すごく怖々とした感じで、優しく。それがこの上なく幸せで、嬉しくて、やっぱり夢なんじゃないかって真剣に考えてしまった。


(でも、そっか、夢でも変わりないのか)


 一緒にいてくれると言ったのだから、いてくれるのだろう。平野さんはそう言う人だ。夢の中だろうと、どこだろうと。私みたいなモブと一緒に――


 促されるまま、初めて助手席、平野さんの隣に座った。王子の高級車でなく、庶民的で乗りやすくて、綺麗に使い込まれている車。

 走り出す直前に、私はどうしても耐えられなくなった。


「……私で、いいんですか?」

「はい?」

「その……今さらなんですけど……平野さんの時間を、私なんかが奪ってしまって、本当に良いのかと……」

「……それは、お互い様ですよ」


 エンジンがかかって、エアコンから涼しい風が飛び出てくる。ヘッドライトが夜闇を切り裂いて、海面を浮かび上がらせた。


「俺も、あなたの時間を奪うことになります。今までも、ずっと奪ってきました」

「そんなこと……っ!」

「はい。だから、これからは奪うのではなく……共有する、ということで、いかがですか」


 胸の中にひょいと放り込まれたその言葉が、まるでカイロみたいに私の心をぽかぽかにした。

 意識なんかしなくても笑顔になれる。


「――はい。……これから、よろしくお願いします!」

「こちらこそ。よろしくお願いします」



 私の恋のフルマラソン――いろいろと紆余曲折あったし、マラソンだと思って走り出したら実はトライアスロンでした、って感じもするけれど、なにはともあれどうやら――完走できたらしい!


 ウィニングラン? そんな派手なことはしない。だって勝ったわけじゃないんだもの。あくまで“完走した”ってだけ。それが私にとって、何よりの成果だ。

 勝ち負けにこだわるのは主役級の人たちのお仕事でしょう?


 だって私はモブだからね!






おしまい



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