わけも わからず こうげきした! 4
防犯カメラに映った美山は、わざとらしく顔を上げて、顔がカメラに映るようにしていた。
(どうして、わざと映るような真似を?)
そう思ってよく見てみると、彼女は顔を上げているだけでなく、手も上げていた。
指が何か形を作っている。
――指文字。
平野は慌てて、美山が映っている画面をすべて見返した。気が付いて見てみれば、すべて同じように、指で何かを伝えようとしている。
(ト、キ、ワ、ビ、ル、ウ、ラ――時和ビル裏!)
平野は管理室を飛び出した。時和ビルは、ここから少し離れたところにあるビルだ。このビルの裏から出たなら、いくつかの路地を抜けた先が、ちょうどその裏に当たる。
(きっと最短距離を走っていったはず)
周辺の地図は頭に叩きこんである。最短ルートなら次を左、次を右、しばらく真っ直ぐで――
――ふいに、次の曲がり角から竜宝が飛び出してきた。
「竜宝様!」
竜宝は平野を見ても走るスピードを緩めることなく、
「桂木は敵だ!」
と叫んで平野の脇をすり抜けた。
(カツラギハテキ?)
その言葉を理解するより早く、竜宝の後から出てきた桂木が平野を見て、躊躇いなく警棒を振り上げた。
「っ!」
体の方が反射的に動いた。走ってきたスピードを利用して踏み込み、警棒を振り下ろされる前にその肩を押さえて挙動を制する。と同時に肘鉄を顔面へ叩きこむ。
「がっ!」
怯んだ隙に警棒を叩き落として、足を引っかけて転がした。腕を背面にねじりあげ、素早く拘束する。
軽く手を叩きながら、竜宝が近寄ってきた。
「見事な手際だな、平野」
「ありがとうございます。……それで、何があったのですか?」
「……俺にもよく分からないんだ。美山が――ああ、来たか」
次に路地からひょいと顔を出したのは、美山だった。
「王子、と――平野さん」
美山は竜宝と平野の姿を見て、安心したように息を吐いた。
――だが、反対に平野は心臓が跳ねるのを感じた。
「良かった……!」
「美山。何がどう良かったのか、今すぐここですべて話せ」
立ち上がったのは無意識のことだった。何をしたいのか、何が嫌なのか、どうしてこんなに苦しいのか、一切の理解が追い付かないまま、体だけが先行して――美山の肩を掴んだ。
「美山さん。――その髪、どうされたんですか」
「え?」
びくりと固まっていた美山は、平野の問いかけにきょとんとした顔を返した。
それから慌てて取り繕うように、半ばほどで断ち切られた片側を触った。
「あっ、すみません、見苦しいものを……!」
「いえ、そういうことではなく」
平野は自分が苛立っていることにようやく気が付いた。だが、どうして苛立っているのかも分からなければ、苛立ちを抑える方法も知らないし、そもそも抑える気にもなれなかった。
「切られたんですか? 誰に――誰が、こんなことを? 他に怪我などはありませんか?」
「だ、大丈夫です! 怪我は何もしてませんし、これも、切られたんじゃなくて切ったんです、自分で!」
「自分で?」
「はい。手を掴まれたら逃げられませんけど、髪の毛なら切っちゃえばいいので。どうせまた伸びますし」
そう言いながら、美山はいつも通りに笑った。本当に、まったく気にしていないように。
――その態度が、かえって平野の神経を逆なでした。
「どうして、そこまでするんですか」
「……え?」
「あなたは、本来関係ありませんよね? 正式に雇われているわけでもなければ、家の付き合いがあるわけでもない……なのにどうして、そこまでするんですか?」
もっと早く聞きたかったことだ。なかなか聞けずにいたことだった。
「それは――」
美山はふつりと黙り込んだ。うつむいて、何も答えないでいる。
その様子に、平野は確信した。
(俺のせいか――)
最初からそのためだけにここにいるのだ。知っていたはずだ。知っていて、無視していたのだが――もう無視できない。
「もうやめてください」
言った瞬間、手の中で肩が震えた。
「こんなことは、もう……見ていて、苦しくなる」
「っ――」
「私のためだというならば、余計に、我慢なりません」
嫌だ。嫌だ――平野は駄々っ子のように喚く心の内を、どうにかして取り繕おうと必死になっていた。考えが上手く纏まらないまま、熱にうかされたように口を動かす。――嫌だ。嫌なんだ。これ以上この人が、自分のせいで傷ついたり、何かを我慢するなんて。絶対に許せない。認められない。たとえそれが、この人自身の望みであっても、俺はそんなこと望まない。これ以上――
「……これ以上、自分を無駄にしないでください。お願いですから」
祈るような心持ちでそう言った。
――途端に、美山の目に涙が浮かんだ。
透明な雫がぽろぽろ、ぽろぽろと次から次へ落ちていく様子に、平野は心底驚いて硬直した。その隙に、
「……ごめん、なさい……っ!」
美山はそう言うと、平野の手を振り払って走り去ってしまった。
「えっ?! あっ……」
美山の足は平均的な速度であって、平野ならば簡単に追い付けただろう。だが、どうして泣いたのか分からない上、一応仕事中ということもあって、平野はまったく動けず、ただ目でその背を見送っただけだった。
竜宝が鼻から息を吐き出した。
「さすがに、このタイミングで振るとは思っていなかったな」
「振る……え? だ、誰が……?」
「は?」
「え?」
「お前……今、美山を振っただろう?」
「え、いや……振ってなどおりませんが……」
「はぁあああ?!」
竜宝が思い切り顔を曲げた。
「いや、お前……マジで言ってるのか? 今の言い方で、振ってないだって? 嘘だろう? いやお前が口下手なことは分かっていたが……それにしても大概だ。あまりにもひどい、ひどすぎる!」
どうしてそこまで言われるのか、平野には何も分からなかった。
理解されていないことを理解して、竜宝は大きく溜め息をついた。
「いいか、平野。美山は確かに、お前のために――正確に言うと、お前に近付きたい自分のために、俺に利用されることを選んだ。使い潰されることも覚悟の上だろう。今日のこの件だって、詳細はまだ分からないが、父の命令に従って動いていたはずだ。恐らく、二重スパイか何かでもやらされたんだろう」
「……」
「その美山に向かって、“自分を無駄にするな”なんて言ったら、それは間違いなくお断りの言葉だろうが。解釈はこうだ――“どれだけやっても私があなたに応えることはありえないのだから、無駄なことに時間を費やすのはやめなさい”」
「っ、そんなっ! そんな、つもり……」
「俺にだってそう聞こえたぞ、馬鹿」
平野はハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
(それで……泣いて……)
自分の言葉のせいで彼女を傷付けてしまったのか。平野は目の前が暗くなるのを感じた。
竜宝が舌を打って、髪の毛を掻きむしるようにした。
「本当に馬鹿だ。これまでの大概のことはアイツの自己責任だったが、今のは完全にお前の過失だぞ、平野」
「……」
「口下手もここまでくると病的だな」
竜宝のひどい罵倒も耳に入ってこなかった。
やがて本社の方から迎えが来て、桂木は連行され、竜宝と平野は屋敷に戻った。ビルのあれこれは警察が入ったが、きっとほとんど表沙汰にはならないように処理されるだろう。
「おかえりなさいませ、竜宝様」
「金井」
玄関には私服姿の金井が待っていた。
「ご無事で何よりです」
「その口ぶり、知ってたな?」
「ええ」
「話せ。――この
「おや。それはそれは」
金井はまじまじと平野を見つめた。平野は縮こまって顔をうつむけていた。
「分かりました。では、お話ししましょう。元々は、こちらから路栄側に潜らせているスパイが、こちらのボディーガードの中に裏切者がいる、と報告してきたことが元凶です――」
と、金井はすらすらと事件の全容を語った。
聞いている内に、平野はどんどんいたたまれなくなっていった。知らない間に自分が、自分だけでなく妹まで、巻き込まれて――その結果が美山の犠牲で――それだけ人知れず努力して暗躍していた美山に、自分がとどめのようなことを言ってしまったなんて!
顔を真っ青にして立ち尽くしている平野の肩を、金井はポンと叩いた。
「そういうわけで、変な連中はみんな捕まえたし、
「っ……」
「で、平野は何をやらかしちゃったのかな?」
答えられないでいる平野の代わりに、竜宝が「これ以上自分を無駄にするな、と美山に言ったんだ」と吐き捨てた。
「うわ。振ったんですか」
「そう思うよな?! これで本人に振ったつもりはないんだと」
「えっ……えっ?」
金井は目を白黒させた。
本日何度目になるか分からない溜め息をついて、竜宝はひょいと踵を返した。
「金井、説教は任せた」
「かしこまりました。お任せください」
竜宝が行ってしまうと、「じゃ、ちょっと顔貸しな、平野?」と金井がにっこり笑った。
その目はまったく笑っていなかった。
平野は金井について、庭に出た。
「さて――」
くるりと振り返った金井は、作り物の笑みすらかなぐり捨てていた。糸目が吊り上がり、底冷えするような怒りが向けられている。
「お前が口下手なのは知ってるけど、もうちょっと思慮深くあるべきだったな」
「……」
「気持ちを自覚したなら余計に。どうして少しでも冷静になれなかった? 確かにムカついたかもしれない。それは理解できる。だがどうしてそこで、優しく事情を聞く余裕が持てなかった?」
「……」
「お前のその大人げない心の狭さが彼女を傷付けたこと、もう分かっているな」
「……はい」
平野はすっかりしょげきった顔で頷いた。この歳になって、こんな風に叱られることがあるとは思っていなかったが、すべて正論だから何も言えない。何も言い返せない。自分が今感じている情けなさとか、心の痛みとかより、ずっと強い苦しさを彼女に与えたはずだから。
金井は腕組みを解いた。
「平野、お前はさ、飾る必要はない。他の誰かを意識しなくていい。しどろもどろで大丈夫だ。美山さんはそういうところも全部含めて好きなんだろうから。変に取り繕おうとしないで、素直に言うんだよ。いいな」
「……間に合うでしょうか」
「バーカ、間に合わせるんだよ」
と、金井が平野の背中を思いっ切り叩いた時だった。
「ああ、いたいた」
すぐ傍の窓から顔を出した竜宝が、メモを差し出した。
「美山の居場所はここだ。行け」
「え?」
「今日はもう直帰でいい。ほら、走れ!」
「は、はいっ!」
平野はメモを受け取ると、慌てて駆け出した。
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