私に任せてください! 6
車に乗っている間、舞鶴さんは何も言わずに私の手を握っていた。その沈黙と温もりが今はものすごくありがたいものに思えた。
「少し、風に当たろう」
誘われるまま車から降りる。
「……海……?」
「何も考えたくない時はここに来るのさ。大して綺麗ではないけれど、やっぱり落ち着くものだよ」
コンクリートで整備された遊歩道。柵の向こう側には砂浜が広がっていて、寄り添うカップルの影が見えた。
湿気と潮の香りを含んだ風が通り抜けていった。半端に切られた毛先が首筋に触れるのがくすぐったくて、それを手で押さえる。
落ちかけの夕日がようやく目に入った。
ほとんど海に沈んでいて、あれが最後の一筋だ。傍らの街灯が点滅して、夜に向けたウォーミングアップを始めている。
「……何も、聞かないんですね」
「なんとなく分かっているよ。平野さんのせいだろう?」
「いえっ、平野さんは悪くないんです!」
「でも、君が泣いている原因は彼だよね」
「……」
「フラれちゃった?」
シンプルな問いかけに胸がずきりと痛んだ。
けれど、それが事実だ。
無理やり頷くと、その拍子にまた涙が出てきた。
フラれた――そうだ、フラれたんだ。私はフラれた。平野さんが私に応えてくれることは、もう、無いのだ――
「う、うぅぅぅううううう……っ!」
私は柵にすがりついて、額を押し当てて、みっともなく泣いた。とても立っていられなくてその場にしゃがみこむ。
平野さんの優しさが好きだった。
陰に立ちながら、堂々としている姿が好きだった。
たとえ仕事の一環であっても、迷わず助けてくれるところが好きだった。
柔らかな声とか、丁寧な仕草とか、ちょっと不器用な話し方とか、そういうところが全部、全部、たまらなく愛おしかった。大好きだった。ずっと傍にいたかった――
――ああ、全部、過去形になってしまった。
努力が無駄になったとかそんなことはどうでもいい――本当はよくないけど。報われたいと思ったことはいくらでもある。こんなに頑張っているんだから、って。
でも、他人の気持ちは他人のものだ。私にはどうにも出来ない。
好きな人に好かれないことが、こんなにつらいことだとは思わなかった。
自分が死んでいく――あの人に好かれようとしていた自分が。
だから、この涙はたぶん、自分への弔いだ。
さよなら、私――
いつまでもぐずぐずめそめそして、見苦しくしゃくりあげる私の背中を、舞鶴さんはずっと撫でてくれていた。
ふと気が付くと、辺りは完全に真っ暗で、傍の街灯が温かな光を灯していた。
「落ち着いた?」
「はい。……あの、すみません。こんなことに付き合わせてしまって……」
「気にしないで」
舞鶴さんはにっこりと微笑んだ。イケメンの完璧な微笑み。
「好きな子のためだもの。ちっとも苦じゃないよ」
「っ……」
ぶわっと顔が熱をもった。
舞鶴さんは私の手を取って、両手で包み込んだ。温かい――
「大丈夫だよ、美玲さん。僕は君の努力する姿を何度も見ていたし、その姿が本当に好きなんだ。僕が大事にしてあげる」
「舞鶴さん……」
「僕の気持ちに、応えてくれる?」
「……」
――応えて、あげなくては。と思った。
気持ちに応えてもらえないことは本当につらいことだから。それを身をもって知ってしまったから。だから――
応えなくちゃ。
求められるなら、それに応じなくちゃ。
でないと私は、誰にも見てもらえない、誰からも認めてもらえない、本当のモブになってしまう――
「っ……ごめん、なさい……」
――それでいい。
「ごめんなさい……私は、あなたには応えられません……」
私はモブだ。誰にも認められないはずの、漫画だったら輪郭しか描かれないような、その他大勢の一人だ。
でも、少しだけ意地を張る。――平野さんのためにしていた努力を、突然別の人に捧げるような真似はしたくない。平野さんに恋をしていた自分を裏切りたくない。死体を無理やり動かして恋する振りをするくらいなら、路傍の石ころになったほうがよっぽどマシだ。何より、舞鶴さんに失礼だ。そんなことは出来ない。したくない。これはもう火葬するんだ。火葬して大人しく喪に服すんだ。
でないと今度は、生身の私が死んでしまう。
私はモブだ。それでいい。それがいい。身の丈に合ったことをしないと、きっともっとツラい目に遭う。モブであることを忘れて、手を伸ばした結果がこれなんだから。
モブはモブらしく、高望みしないで、劇的な展開なんて妄想だけにとどめておくべきなんだ――
「……ごめんなさい……」
「……そっか」
うつむいた私の頭を撫でて、舞鶴さんは立ち上がった。
「あーあ、久々にフラれたなぁ」
「っ……ごめんなさい」
「謝らないで。いいんだ、ハッキリ言ってくれた方が僕も助かる」
「……」
「それじゃあ、フラれた者同士仲良く帰ろうか。送るよ――おや?」
舞鶴さんが意外そうな声を上げて固まった。私も立ち上がって振り返る。と、
「――美山さんっ!」
「っ?!」
息を呑んだ。それは死体が飛び跳ねたのを目の当たりにしたような衝撃だった。
――息を切らせた平野さんが駆け寄ってくるところだった。
「美山さん、あの……っ、すみません、言葉が足りず……」
「彼女を泣かせておいて今さら弁明に来たの?」
舞鶴さんがスッと私をかばうように前に進み出た。
「遅いよ。君の出番はもう終わった」
「これは演劇じゃありません。勝手に終わらせないでください」
「そう、演劇じゃない。だから都合の良い逆転劇なんて起きないんだよ。君は美玲さんを傷付けた。僕は言ったよね、君の優柔不断で彼女を振り回すな、と。なのに案の定だ。ここまで傷付けて泣かせておいて、よく平気な顔で追いかけてこれたね」
「平気じゃない。平気じゃないから来たんだ!」
平野さんの大声を私は初めて聞いた。ああもう、やっぱりカッコイイ……こら死体、勝手に動くな! もう私はフラれたんだよ! 来てくれて嬉しいとか思うな期待するな!
「
「……平野サン? 君、美玲さんをフッたんだよね?」
「……だから、違うんです……! フッてなんかいません……!」
「えっ?」
幻聴が聞こえた気がして、私は思わず声を上げていた。
舞鶴さんがこてんと首を傾げて、その向こうに困り果てた平野さんの顔が見えた。
「……どんな言い方をすればフラれたと勘違いさせられるのかな?」
「その件に関してはすでに竜宝様から散々なじられましたので勘弁してください」
「相当マズい言い方をしたようだね」
ひょいと肩をすくめて、舞鶴さんはくるりとこちらを向いた。
「それじゃあ、美玲さん。僕はここで失礼するよ」
舞鶴さんは晴れ晴れしく笑っていた。
「君の世界はいつだって、君が主人公なんだよ。だから頑張って。応援してる。じゃ、またね」
ひらひらと手を振りながら、舞鶴さんは平野さんとすれ違った。その時に、「二度目は無いよ、平野サン?」と言ったのが聞こえた。
平野さんが「当然です」と答える。
舞鶴さんが夜の向こう側に消えてしまうと、その場には私と平野さんだけが残されて。
「美山さん」
スポットライトみたいな街灯の下に、平野さんが歩み出た。
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