私に任せてください! 5


 ちょっとだけ時間を戻して話をしよう。


 王子から渡された白い方の封筒――つまり王様、御ノ道竜昇からの手紙。

 中には手書きのメッセージカードと、書類が数枚入っていた。


『拝啓 美山美玲殿

 平生より愚息がお世話になっております。

 また、貴殿のご活躍は聞き及んでおります。

 その腕を見込み、一つ仕事をお願いしたく存じます。

 詳しくは別紙を参照のこと。  御ノ道竜昇』


「おおぅふ……」


 アホみたいな呻き声が漏れたのも当然のことと思ってほしい。だって一流企業のボスからのお手紙だぜ? しかも超達筆。めちゃくちゃカッコイイ字。この文字だけで金がとれるんじゃないか、ってレベル。やべぇわマジで。


「さっすが、一流は違うな……」


 手書きってだけで好感度が上がると同時に重圧もかかるんだからすごいよね。お願いしたい、って丁寧に書いてあるけど、これ実質“やりなさい”と同義だもんな。ふわぁー怖いなぁーあはははは。

 私はもう麻痺しつつある脳味噌で書類の方を見た。


「これは……報告書? いや企画書……?」


 報告書と企画書を足して二で割ったような書面だった。

 いわく――


「ボディーガードの中にスパイが紛れ込んでいる……誰かは不明……路栄ソフォースの系列の人材派遣会社ペーパームーンは裏でよくない連中と繋がっている……幹部の――あっ、この人!」


 添付されていた顔写真の中に、ついさっき見た女性の顔があった。


「堂園桜子おうこ……へぇ……」


 四十歳には見えなかった。めちゃくちゃ若作りが上手で凄いな……その技術、ぶっちゃけ欲しいです。


「……御ノ道竜宝誘拐計画の情報を入手……平野刹那、美山美玲がその計画に利用される……知らぬふりをしてスパイをあぶり出し、一網打尽を狙う。そのために、美山美玲へ二重スパイとしての作戦実行を要請する――?!」


 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!


 私は目か脳かどちらかあるいは両方が狂ったと本気で思った。そうでなければ世界がバグったのだ。そうに違いにない! だって――


「二重スパイ?! 誰が?! 私が?! はぁああああっ?!」


 ――そんなものおとぎ話でなければ何なんだ?


 ……何度読んでも文字列は変わらなかった。一旦ベランダに出て空気を吸ってきても、逆立ちして見ても、夕飯を食べた後でも変わらなかった。当然だけど。待っていればメンテナンスが入るかなぁなんて……それこそおとぎ話だな。


「……事実、堂園さんに接触されてますしね……」


 それは確かなのだ。もはや図ったんじゃないか? ってタイミングでこんな風に来るなんて。

 しかもご丁寧に、書類のラストには『人材派遣会社ペーパームーンから接触があった場合、こちらへ連絡すること』と電話番号が添えられていた。


 ――私は腹を括った。


(悪い奴らの手のひらの上で転がるくらいなら、王様の命令に従って踊ってやる……!)


 凡人はいつだって権力者に利用される運命だ。

 でも“誰に利用されるか”ぐらいは選ばせてもらう!

 王子が誘拐されることも、そのために平野さんが利用されることも、許せるわけがないのだから!

 私はスマホを取り上げて、その番号に連絡をした。



 そうして私は常に王様の命令にのみ従って動いていた。言われた通り、堂園さんに従ったふりをした。言われた通り、彼女とのやりとりから何からすべてを王子サイドに横流しした(ボイスレコーダーは二個持ちが基本中の基本である)。言われた通り、王子との接触から計画の露呈を避けるため金曜日は風邪と偽って学校を休んだ。

 平野さんの家の護衛には金井さんが行くことになった。金井さんなら都和ちゃんとの面識もあるから、安心だろうと。


 私の勝利条件は三つ。


 ――一つ目。金井さんが都和ちゃんの安全を確保すること。これはスマホが震えた時点で確定していた。


 ――二つ目。王子サイドのスパイをあぶり出すこと。これも見事に桂木さんが引っ掛かってくれた。(まぁ志願してきた時点で王様は勘付いていたような気がする。)


 ――ラスト。王子と私が無事に逃げ出すこと!



 そのために、カッターナイフを振り上げた。

 躊躇ってはいけない。迷っていられるほど、髪の束・・・は弱くない!

 ブチブチブチッ、と嫌な音が耳元に鳴り響く。まるで――いや、まさしく断末魔の声だ、これは。叫べない私の代わりに叫んでくれているんだ。


 さよなら私のおさげ……っ!


「なっ、お前……っ!」


 半ばほどで断ち切られたおさげを残し、堂園さんの手から無理やり逃れ、私は駆け出した。よそ見なんてしないし、方向もよく分かっていない。ただ来た道をひた走った。


 ――と。

 元々のビルまであと半分、といったくらいのところだろうか。


「ああ、来たか」

「王子、と――平野さん」


 私は立ち止まり、ほうと息を吐いた。良かった。予想通り、平野さんは気付いてくれて――王子は騎士に合流できた。そして私も、これで安全圏だ!

 桂木さんは平野さんに取り押さえられていて、きっちりと拘束されていた。


「良かった……!」

「美山。何がどう良かったのか、今すぐここですべて話せ」


 思わず呟いていた私を、王子が不満げに睨んだ。ふふ、どうやら自分にほとんど何も知らされていなかったことがご不満らしい。反対に私は得意げになった。王様サイドに付くと何がいいか、って、こうやって王子を出しぬけることですよね! アッハッハ!

 勝ったし出しぬけたしで気分最高のまま、私は話し始めようとして、


「――美山さん」


 ふいに、平野さんに肩を掴まれて口をつぐんだ。

 どきん、と心臓が跳ねた。平野さんのお顔が目の前にある――?!

 突然のことに何も反応できない私を、平野さんは真剣な表情でじっと見つめてきた。

 そして、


「その髪、どうされたんですか」

「え?」


 髪? ――ああ、これのことか。


「あっ、すみません、見苦しいものを……!」

「いえ、そういうことではなく。切られたんですか? 誰に――誰が、こんなことを? 他に怪我などはありませんか?」


 平野さんがあんまり必死なお顔をしているものだから、私はすっかり気圧されてしまった。動悸がする。顔が真っ赤になっているのが自分で分かる!


「だ、大丈夫です! 怪我は何もしてませんし、これも、切られたんじゃなくて切ったんです、自分で!」

「自分で?」

「はい。手を掴まれたら逃げられませんけど、髪の毛なら切っちゃえばいいので。どうせまた伸びますし」


 私はいつも通りに笑った。本当に、まったく気にしていないことが伝わるように。

 ところが、私の肩を掴んだまま膝をついた平野さんは、顔を歪めたのだ。眉をひそめて、唇を引き結んで――


「どうして、そこまでするんですか」

「……え?」

「あなたは、本来関係ありませんよね? 正式に雇われているわけでもなければ、家の付き合いがあるわけでもない……なのにどうして、そこまでするんですか?」

「それは――」


 今は、ここまで来てしまった以上引き返せない、という感覚が強い。ずぶずぶと引き込まれて、すっかり王子に使われることに慣れてしまったのだ――そしてそうやって使われることが、私自身そんなに嫌いじゃない。王子は厭味な奴だけど、嫌な奴ではないから。

 けれど、そうなったきっかけは?


(――駄目だ……それを言ったら、駄目だ)


 直感的にそう思った。頭に昇っていた血がすぅっと下がっていく。恐怖。緊張。焦燥。

 どうして私は一番初めに告白してしまったんだろう? あれさえなければ、いくらでも誤魔化せたのに。


(平野さんのせいじゃないです。平野さんを好きな自分のためなんです。すべて自己中心的な気持ちでしか動いていないんです。だから平野さんが何か――心を動かす必要は――ないんです……)


 嘘だ。心を動かしたかった。平野さんの視界に入りたかったし、平野さんの心に入りたかった。だから王子に協力したのだ。なんなら責任とか感じてくれたら――いや、さすがにそれは駄目だ。駄目だ! それは最低だ、私……!

 答えられずに、ただ、うつむく。何を言っても平野さんの心に泥を塗ることになりそうだと思うと、何も言えなかった。


「――もうやめてください」


 それは、静かな声だった。


「こんなことは、もう……見ていて、苦しくなる」

「っ――」

「私のためだというならば、余計に、我慢なりません」


 刃を胸に差し込まれたような感覚がした。手足の力が抜けていく。

 ああ、もう嫌だ。聞きたくない。聞きたくない――っ!


「……これ以上、自分を無駄にしないでください。お願いですから」


 ――無駄・・――


 プツン、と世界のブレーカーが落ちたような気がした。何も見えない。何も聞こえない。ただ止めようもなく涙が溢れ出す。


「……ごめん、なさい……っ!」


 私はそれだけ言うと、平野さんの手を振り払って逃げ出した。



 どこをどう走ったかなど、覚えていない。息が切れるまでやみくもに走って、止まって泣いて、また走ってを何度も繰り返した。何度繰り返してもまだ足りなかった。

 街角に立ち尽くして、ぼんやりと空を眺める。涙はまだ止まらなかったし、ブレーカーは落ちたままで、夕日の状態なんて分からなかった。


 ――ふ、と、人の気配。


「やあ、奇遇だね、美玲さん。――どうしたの?」

「……舞、鶴、さん……?」


 頭がぼうっとしていた。泣いたせいか、走って酸素が足りていないのか、分からないけれど。

 もう、何も考えられない。考えたくない。


「……ひどい顔だ。――おいで」


 優しい声音に誘われて、私は彼の手を取った――



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