私に任せてください! 4


 私は王子の背中をぐいぐい押して走らせた。


「おい、美山! 説明しろ!」

「そんな暇はありません! 今はとにかく走ってください! あ、次を右です!」

「本当にこれは父の命令なんだろうな?!」

「そうですとも!」


 王子を走らせることができるのは王様だけだ。いやぁ効果テキメン! やっぱ最強ですねキングは!

 とかなんとか思いながら、私は内心冷や汗だらけだった。


 次を左、次を右、真っ直ぐ――なんて、私の指示に王子は従った。完全に王様からの命令だと思ってくれている。いやぁ信用されましたね私! スパイの面目躍如では?


「そこを右です!」

「美山、いい加減話を――」


 ぐだぐだ言いながらも曲がった先で、王子はピタリと止まった。


「……おい、美山?」


 私はうつむくしか出来ない。

 ビルに囲まれた小さな駐車場。そこに待っていたのは、上下鮮やかなオレンジ色のパンツスーツに身を固めたお姉さまだ。名前は堂園どうぞのさん。路栄ソフォースと関連のあるちょっと怪しい事業をしている会社の幹部役員である。

 彼女はふふんと笑って、車の扉を開けた。


「それでは、竜宝様。手荒な真似はしたくありません。どうぞこちらへ」

「……へーえ、なるほど」


 王子はそれだけで察したようだった。

 ちらりとこちらを見たのが分かった。

 それから小声。


(「いつから・・・・だ?」)

(「封筒を貰った時・・・・・・・から」)

(「誰から・・・だ?」)

(「我らの王様・・・・・から」)

(「いつまで・・・・だ?」)

(「もうしばし・・・・・」)

(「道化がいる・・・・・か?」)

(「はい・・」)

(「騎士は来る・・・・・か?」)

(「来ます・・・」)


 そっと窺うと、王子はいつも通り薄く厭味ったらしく笑っていた。

 堂園さんが形の良い眉をぐっと曲げた。


「なにをごちゃごちゃ言っている?」

「いいや、何も」


 堂々と言い返しながら、王子はひょいと堂園さんに背を向けた。


「何を企んでいるのか知らないが、俺は従わない。戻らせてもらう」

「そうはいかないわ」


 来た道を戻ろうとした王子が、足をピタリと止めた。


「ああ、ちょうどいいところに来たな、桂木」


 カツラギ。初めて聞いた名前だ。

 私も振り返ってみると、ちょうど王子の行く手を塞ぐように、細身のおじさんが立っていた。三十過ぎくらいだろうか? ひょろ長い印象のあるお人だ。

 桂木さんはつかつかとこちらに歩み寄ってくると、


「では、竜宝様。あちらに・・・・お乗りください」


 と、王子の肩を掴んだ。


「桂木? お前――」

「お早く。押し込まれたいのでしたらそうしますが」


 脅すような目付きで見下ろされ、王子は怯んだように立ちすくんだ。


「お前、スパイだったのか……っ!」

「ええ。私と、この小娘が」


 私はスッと目線を逸らす。空気になれ、壁のしみになれ、と言い聞かせて、パーカーのポケットに手を突っ込み、息を殺す。


「お前が自分から俺の警護に来たのはこのためだったのか……?」

「他に理由はありません」

「このことを父が知ったらどうなるか――」

「竜昇様がこの件を知ることはありませんよ。情報はすべて、遮断されます」

「っ……」


 下を向いた私の視界に、固く握りしめられた王子の拳が映った。それがひどく震えているのを見て、私はますます深くうつむく。

 ――ズボンのポケットの中で、スマホがバイブした。


「……俺を、どこへ連れていく気だ?」

「行けば分かります」

「何が目的で――」

「申し訳ありませんが、話はのちほど。のんびりはしていられないので」


 そう言った桂木さんが、王子の肩を押し、私の腕を掴んだ。


(――今!)


 私はポケットの中で握りしめていた痴漢撃退用スプレーを思いきり噴き掛けた。


「ぐわっ!」

「王子!」


 逃げてください、と言うよりも早く、王子はするりと脇を抜けて駆け出した。いやぁさっすが、状況判断が冷静ですね!

 私もすぐさま彼の後を追って、


「待て!」

「ぎゃんっ!」


 髪の毛を掴まれて、あまりの痛さに涙が散った。くっそぉ、キャップの中にしまっておくべきだった!

 手首を捻られてスプレーを取り落とす。痛たたたたたっ、ちょ、痛いです……!

 数メートル先で王子が立ち止まり、振り返った。


「こちらへ来なければ、この小娘がどうなるか……分かりますよね?」


 いやいやいやいや、ついさっき私のことをスパイだって言ったばっかじゃん。と思いつつ、私は必死で掴まれていない方の手を振って、早く行け、と合図した。

 王子は一つ頷くと、あっさり私に背を向けた。

 桂木さんが「は?」と動揺しきった声を上げた。


(いや、さっすが王子)


 私は心の中で冷たい拍手を送る。いやまぁ、見捨てる時は見捨てる奴だって分かってたけれど、もうちょっと葛藤してくれても良かったんじゃない? せめて振りだけでも。


「追いなさい、桂木!」

「はい!」


 堂園さんの指示に、桂木さんは私を突き飛ばして走り出した。


「いたっ」


 尻餅をついた上に壁に頭をぶつけて、私はまた涙を散らした。

 目の前に堂園さんが仁王立ちする。


「あなた、一体どういうつもり? 何が人質になっているか、分かってるのよね?」


 下から見上げる堂園さんは、本当に怒り心頭と言った感じで、ものすごく怖い。般若も尻尾を巻いて逃げ出すレベルだ。ぶっちゃけ私も尻尾を巻いて逃げ出したい。

 でも私に尻尾は無い。

 私はごくりと唾を飲み込んだ。


「……そちらこそ。誰を敵に回しているのか、理解していますか?」


 堂園さんの頬がピクリと動いた。


「どういう意味かしら」

「そのままの意味ですよ」


 頑張れ私、頑張れ――と自分で自分を励ましながら、強く脈打つ心臓を殴りつけて黙らせて、無理やり口角を上げる。


「報告連絡相談は社会人の基本なんですよね? 連絡、してみたらいかがですか?」

「……」


 堂園さんは嫌そうに顔を歪めて、スマホを取り出した。

 通話の先は別動隊だ。都和ちゃんは私だけに対する人質じゃない。万一私がしくじった場合、平野さんに言うことを聞かせるための人質でもあった。だから別動隊が都和ちゃんを押さえるために、平野さんの家に行っている。

 だが、その電話に出るのは堂園さんの知っている人間じゃない。


「――っ!」


 息を呑んだ堂園さんが、スマホを切って私を睨みつけた。


「いっ!」

「貴様……っ」


 ヒールで肩を踏まれる。圧力がかかって物凄く痛い。でも――

 ――でも、その反応が何よりの証拠。目論見はすべて上手くいっている!

 さぁ頑張れ私! あと少しだ!

 また悲鳴を上げ始めた心臓をもう一回殴りつけて黙らせる。怖い、怖いけど止まらない。止まれない。止まってやるものか!


「ここまで来て、このままで終わらせるものかっ!」

「痛っ!」


 髪の毛を掴まれて引きずり上げられた。否応なく立つことになる。そのまま引っ張られれば、私はついていくことしか出来ない。


(――覚悟は決めてきた、はず。思い出せ!)


 私が連れていかれてもマズいのだ。御ノ道学園の生徒だから。向こうはどんな汚い手を使っても、学園の名を貶めるだろう。だから、私はどんな手を使っても、ここから逃げ出さなきゃいけない。


 大丈夫。何をしたって、命より重いものなど無いのだから。


 私はポケットからカッターナイフを取り出すと、思い切り振り上げた。

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