わけも わからず こうげきした! 2
それから金曜日までの日々は飛ぶように過ぎていった。
駐車場で篠崎に会うこともあったが、平野はメッセージカードには気付かなかったようなふりをしていた。クッキーのお礼は、
『おすそ分け、って言われたんでしょぉ。だったら、お礼は言葉だけでいいじゃ~ん。ついでに“妹
と都和に言われ、確かにそうかもしれないと思ったから「ありがとうございました。妹が喜んでいました」とだけ告げておいた。その時に篠崎は不満そうな色をわずかに目に浮かべたが、平野はそれにも気付かなかったふりをした。それ以降はこれまでと変わらず、ごくごく簡単な挨拶を交わすだけになった。
「上手く避けたね、平野」
「何をです?」
「篠崎さん」
金曜日の放課後、竜宝が来る少し前に、金井がからかうような表情でそう言った。
「篠崎さんって、まぁ前からいろいろと恋多きお人なんだけどさ。平野じゃ押し切られちゃうんじゃないかと思ってたんだ」
「……そんなに、押しに弱いように見えますか?」
「見える」
即答されて、平野は少しだけ落ち込んだ。
「平野は気が弱いってわけじゃないけど、人が好いからね。で、それと同じくらい鈍感だろ? だから、はっきり好意――悪意でもいいけど、気持ちを伝えられたら、それが嘘か本当かよく分からないまま、丸っと飲み込んじゃうだろ?」
言われてみれば、と平野は少しだけ目線を逸らした。
「……そんな気もします」
「はは、さっすが、竜宝様の見立ては完璧だな」
「竜宝様がおっしゃっていたのですか」
「そうだよ。僕にはそこまで見通せないもの。――噂をすれば影、だ。いらした」
玄関から竜宝が出てきたのを見て、金井はするりと助手席から降りた。
後部座席の扉を開き、竜宝が座る。座るなり彼は平野の方を見て、
「ああ、平野。今日は真っ直ぐ帰っていいぞ」
と言った。
美山様の報告の日ではないのですか、と平野が尋ねるより早く、竜宝は続けた。
「美山は風邪で欠席したそうだ」
「風邪で……」
「ああ、だから、今日の報告は無しだ」
「大丈夫なのでしょうか」
「……まぁ、大丈夫だろうよ」
と竜宝は平野の方をまじまじと見ながら答えた。
「神酒蔵の話では大した風邪じゃなくて、大事を取ってということらしい。俺のせいじゃないかと睨まれたが、最近は特に何も頼んでないしな。……父の依頼のせいかもしれないが、それは俺の預り知らないところだし。――そういうわけだから、真っ直ぐ屋敷にやってくれ」
「かしこまりました」
平野はようやく車を発進させた。このところ毎週通っていた道ではなく、屋敷へ向かう最短ルートを走らせる。
(……美山さんは、ほぼ独り暮らしに近いというお話ではありませんでしたっけ)
そんなことを随分前に話していたような気がした。そうであれば、今頃はマンションの一室に一人きりで、風邪と戦っていることになる。体が弱っている時というものは心も弱るものだ。
――不意に、風邪をひいた都和を一人家に置いて仕事に出た時のことを思い出した。帰ってきた時、彼女は泣いていたのではなかったか――
(……なんだろう、この……胃の中がムズムズする感じ)
体に染みついた運転技術を揺らがせるほどのものではない。けれど、無視できるほどのものでもない。
「気になるなら電話でもしたらどうだ? 平野」
「……はい?」
咄嗟に振り返ってしまいそうになったのをギリギリのところでこらえて、平野は反問した。
竜宝はいつもと変わらないふてぶてしい顔で、膝の上にメモを開きながら、
「だから、電話だ、電話。アイツの携帯の番号はこれだ。金井」
「はい、お預かりいたします」
運転中だからだろう。竜宝は破り取ったメモ用紙を金井に手渡した。
「掛けるかどうかは好きにしろ。取扱いにだけ気を付けるように。いいな」
「えっ、あの……どうして、番号を?」
「俺が調べれば分かる」
「ですがその、勝手に使うというのは……」
「俺に押し付けられたと言えば美山は気にしないだろう。どうしても気になるなら使わなければいい。適切に処理をするように。いいな」
「……はい」
平野がしぶしぶ頷くと、竜宝は満足げに笑った。
☆
平野は帰宅中もずっと考えていた。
美山に電話をするか否か――してもよいものかどうか――そもそも、どうして電話をしたいと思うのか。
『気持ちを伝えられたら、それが嘘か本当かよく分からないまま、丸っと飲み込んじゃうだろ?』
金井に言われたその言葉が、魚の小骨のように引っ掛かっていた。
(……美山さんが嘘をついているようには見えないけれど……)
何故か知らないが、彼女の言葉も行動もすべて鮮明に思い出せた。
――そしてそれらに付随する自分の感情も、すべて、すべてだ。
最初に出会った時にいきなり告白されたことも。
(びっくりした。戸惑った。少しだけ引いたことも認める……なにせ初対面だったから)
他人のために竜宝を叱っていたことも。
(あれにも驚いた。あんな風に怒る子だとは思っていなかった。芯が強くて、好い人だと思った)
舞鶴家で美しく着飾って少し恥ずかしそうにしていたことも。
(……あれは……可愛かった……)
舞鶴勇翔に言い寄られて戸惑い助けを求めてきたことも。
(腹が立った。あんな風にぐいぐいいくなんて……俺には絶対に出来ないことだから、余計にムカついたんだと分かってる。――でも、俺が助けることが出来て嬉しかった。助けを求めてくれて嬉しかった。……他の誰かでなくて良かったと、思ってしまった)
竜宝からの仕事をきっちりと受け取る声の確かさも。自分と話す声のたどたどしさも。竜宝と話していない時にはこちらをじっと見つめてくることも。気付いている。分かっている。
(車から降りる時に、気を付けて、と言うようになったのは、いつからだったっけ……)
思えば、最初に乗せた時から言っていたような気がする。初めは義務的に。最近は本心から。もう何回も聞いているはずなのに、毎回まるで初めて言われたかのようにとろけるような微笑を浮かべることも。
(たったあれだけの言葉に、あんなに喜んでくれるなんて……)
すべてを鮮明に思い出せる。
認めざるを得ない。
(……嘘は、ない。間違いない。吟味した上で飲み込んだんだ。彼女の気持ちを)
彼女は自分のことが本当に好きなんだ。いくら自分が鈍感であっても、それぐらいは分かる。
でも。それなら。すべてが本当だったとして。
(――どうやったら、その気持ちに、応えられるんだ?)
パパッ! とクラクションを鳴らされて、はたと平野は我に返った。目の前の信号はとっくに青になっていた。
平野は慌てずにアクセルを踏んだ。
(……こうやって誰かに背中を押されたら、進めるのかな……)
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