わけも わからず こうげきした! 1
月曜日の勤務を終え、ロッカールームに無線やら何やらを片付けている時だった。
「ねぇ平野。なんかあった?」
「……はい?」
平野は金井に出しぬけに尋ねられて、目を瞬かせた。
狐を思わせる顔立ちの金井が拗ねたように唇を尖らせると、余計狐らしくなる。
「気になることがあります、って顔してる」
「そうでしたか?」
「平野は分かりやすい。うちの弟と大違いで」
金井は下に五人の弟妹を持つ長男で、その中には平野と同じ年の弟もいるらしい。
平野もまた長男であるから、弟のように扱われるのは何となく恥ずかしいような気がしたが、恥ずかしいのは慣れていないからだというだけで、嫌なわけではなかった。そう思えるのは金井が四つ上の先輩であるからだし、彼があまりにも自然に“お兄さん”であるからだろう。
平野は少しだけためらったが、素直に口を割った。
「ええと……先日、偶然美山さんにお会いしたのですが」
「へぇ?」
「……あまり、上手くお話ができなかったもので」
「……ほほう」
「もう少し、なんというか、上手な聞き方というか、話し方があったのではないかと……」
「舞鶴様みたいに?」
さらりと言われて、平野は喉を詰まらせた。
「……なぜそこで、舞鶴様のお名前が出てくるんですか……」
「いやー、だって上手に話す人の代表格って言ったら、あの方だろ?」
「そうかもしれませんが」
「この間だって見事に話の主導権をかっさらっていかれたじゃないか。凄い手腕だよね。美山さんも楽しそうに話してたし」
「……」
指摘の通り、そのことがちらついていたのは確かだった。
だが。
(……どうしてそれが気にかかるんだ?)
自分の口下手は今に始まった話ではない。言うべきことだけはかろうじて言ってきたが、小粋な雑談などというものとは縁遠いし、縁遠くてもなんら問題なかった。自分とはそういうものだと理解して、とうに受け入れていたはずなのだが。
今になって何故か、後悔に似た気持ちが湧いてきている。
「それで、何の話したの?」
その問いには「いえ、これといったことは、特に」と適当に濁した。本当に大したことは話していないのだし、竜宝に関連することで動いているように見えたのは平野の主観だ。
「では、お疲れさまです。失礼します」
「はーい、お疲れさま」
半分逃げるようにしてロッカールームを出た。
ロッカールームは、御ノ道家の邸宅の北側にそびえ立つ本社ビルの中にあった。使用人などの雇われ人たちはみんなここを経由して自分の持ち場に行くことになっている。駐車場もこちら側だ。
ビルの裏手から駐車場に向かって出る。
と、
「あら、平野さんも今お帰りですか? お疲れさまです」
事務員の女性がちょうど出てきたところだったらしく、平野に向かって微笑んだ。
「お疲れさまです、篠崎さん」
平野はちょっと頭を下げた。同年代ということだけは知っているが、それ以上のことはよく知らない。事務員との関わりは基本無い。だが、篠崎も自動車通勤をしているため、お互い定時に上がると大体出くわし、顔を合わせると必ず挨拶をしてくれるので自然と覚えていたのだ。
篠崎はさりげなく髪を耳に掛けながら、平野に近寄った。
「突然ですが、平野さんって甘い物お好きですか?」
「ええ、好きです」
「わぁ、良かった。じゃ、これ、どーぞ」
ひょい、と可愛らしい紙袋を差し出された。その有無を言わせぬ勢いと雰囲気に、平野は思わず受け取ってしまう。
「この間、最近話題のお菓子屋さんに行ってきたんです。そのおすそ分けですね」
「はぁ……え、でも」
「気にせず、受け取ってください。それじゃあ」
一方的にそう言うと、篠崎はひらりと踵を返して、車の方に行ってしまった。
押し付けられた紙袋を、持て余すように指先に引っ掛ける。
☆
「ああ~、おにぃちゃん~、ご覧くださいませ~」
都和はにやにやしながら、小さなメッセージカードを掲げた。
「『もしよろしければ今度一緒にお食事しませんか? ご連絡待っています』――だってぇ」
「……は?」
気持ち悪い裏声で内容を読み上げた都和に、平野はしかめっ面を向けた。
「ひゅーひゅー、やるねぇにぃちゃん。この人って美人さん? でもなぁんか性格強そ~。文字の感じとかぁ、最初の一手にこの店選ぶ感じとかぁ。やり手なビジネスウーマンと見た! どうどう? 合ってる~?」
「え、あ……どうだろう……あんまりよく知らないから……」
「なぁんだ、つっまんないの」
都和はメッセージカードを平野の方に滑らせた。
「で、どうすんの~?」
「どうすんの、って……」
ふ、と、美山の顔が浮かんできた。それはもうひどく自然に、当然のことのように。
こんな回りくどいやり方ではなく、真正面から好意を伝えてきた少女の、真っ赤に染まった可愛らしい顔――
「……お礼とお断りの連絡をしないと」
「あ~、それは駄目! 駄目だよおにぃちゃん!」
パッと都和がカードをひったくった。
「その気がないなら無視! ヨケーな期待を持たせない! 付け込まれるよ! にぃちゃんの場合、“あっこの人、押せばイケル!”って思われたらおしまいだからね! 事実だもん!」
「そうなのか……?」
「そうだよ~、お兄ちゃんチョロインだもん」
「チョロイ……」
遠慮なくズバリと言われ、少しだけ平野はショックを受けた。
その彼にさらに追い打ちをかけるように、
「しかし都和には分かりましたよ~、ズバリ! おにぃちゃんには他に好きな人がいますね?!」
「っ?!」
「お? お?? 図星か? 図星だな? えへへ~だと思ったぁ」
「いや、違っ……――」
否定しようとして、一気に自信をなくした。そもそも人を好きになる、とはどういう気持ちになることなのか?
「――違うと、思うんだけど、たぶん……」
「うっげぇ、鈍感だ。とーへんぼく。ぼくねんじん。じんめんぎょ」
「最後のはおかしいぞ? 語呂だけで言っただろ」
「おにぃちゃんはさ、その人のこと心配になる?」
「……」
突っ込みをすっかり無視して言われたことに、平野は黙った。
「こんなこと言ったら傷付けちゃうかなーとか、どうすれば喜んでもらえるのかなーとか、考える? もっと一緒にいたいとか、楽しくお話ししたいとか、自分を頼りにしてほしいとか、思う?」
「――」
「ふっふーん。こういうことに心当たりがあったらぁ、それはきっと好きなんだよ。ラブなんだよラブ」
なんでわたしがアニキのじょーそーきょーいくしてんだろ――なんておどけた調子で呟きながら、都和は食卓を立った。
あとにはメッセージカードと、顔を真っ赤にした平野が残された。
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