ようすを みている……!
舞鶴家の誕生日パーティーがお開きになった後も、竜宝は長らく舞鶴家にとどまっていた。昔から家族ぐるみの付き合いなだけに、一旦腰を据えて話し始めると長くなるのだ。
平野は部屋の外で待機していた。
(都和に、遅くなる、と言っておいてよかったな。もう寝ただろう。戸締まりはしっかりしただろうか……)
ここまで遅くなることはまれだ。二ヶ月に一度あるかないかという程度。それ以外は竜宝の下校に合わせて勤務も終了となるという非常に好都合な条件なので、文句など言えない。だが、心配になるのはやめられるわけがない。
心配になる、といえば――
――平野は脳裏をよぎった女の子のことを慌てて追い出した。
(……仕事中、です)
胸の中で呟いて、思考に蓋をする。
竜宝が部屋から出てきた時には十時を回っていた。
なぜか彼はとてもにやにやしていて、出てくるなり平野を見た。
「ああ、平野。聞いたぞ、美山を取り合ったらしいな」
「えっ……」
あまりにシンプルで直接的な物言いに、平野は目をぱちくりさせた。
それからようよう反論する。
「取り合っ、て、は、おりません……」
「そうだろうな。まぁなんとなく想像は付く。どうせ無防備にしていた美山が勇翔さんに捕まって、通りかかったお前に助けを求めたか何かしたんだろう?」
どこかから見ていらっしゃったのだろうか、と疑念を抱いてしまうほど的確な指摘だ。平野は大人しく頷いた。
「ひどいな、竜宝くん。まるで僕を悪者みたいに言わないでくれよ」
ひょいと竜宝の背後から顔を覗かせた舞鶴勇翔が、からかうような調子で言いながら平野を見上げた。
「やぁ、さっきぶり」
気さくな挨拶にどうしたらよいものか計りかねて、平野は黙って頭を下げた。
勇翔は人の好い笑顔を浮かべていた。本当に混じり気のない、面白がるのとも違う、仮面を付けているわけでもない、心から出てきた笑みに見える。それは本当に善良な笑顔で。
(……印象が、違う?)
美山の手を取っていた姿を見た時に感じたものと全然違う印象を覚え、平野は戸惑った。
勇翔は肩の辺りで両手を広げ、少しすねたような顔になった。
「そうそう、誤解しないで欲しいんだけれど、僕は別にやましいことなんて考えていなかったからね。可愛い子がいたら話したい、仲良くなりたいと思うのは男として普通のことだろう?」
竜宝が即座に首を傾げた。
「可愛いですか、あれ?」
「美しくあろうと努力する女の子は誰であれ可愛いとも!」
竜宝は冷めた目で「それを堂々と言える胆力は尊敬に値しますね」と、まったく尊敬の念のこもっていない声で言った。
だが勇翔が気にする素振りは無かった。
「美玲さんがあそこまで化けるとは思わなかった! 素晴らしい努力だよ」
「ん? 会ったことがあるんですか?」
「一週間前に羽美子のところへ遊びに来ていたよ。神酒蔵家のご令嬢とご一緒に」
さらりと告げて、勇翔は浸るように腕を組み目を閉じた。
「あの時は、うん、非常に慎ましやかで大人しそうで無限の可能性を秘めた良い子だが神酒蔵家の関係者だとばかり思っていたからね。手を出すのは控えようと思っていたんだがどうやらそうではないらしいと知った今となっては遠慮はいらないというわけだ。メイク前後であれほどまでに変わるとは、まぁ分かってはいたんだよ元々の顔立ちは決して悪くはないが良くも悪くも“印象に残らない”顔立ちだと。特筆すべき点が見当たらないというのはなかなか珍しいものだ。だが一度化けたらきっと素晴らしいだろうという予測は出来ていてね、けれど彼女の性格からして化けるとしても随分と後のことになるだろうと思っていたんだが羽美子のおかげで思いのほか早く、そのうえ予想の数段上を行く美しさを手に入れてくれて、ああ本当に素晴らしいことだよ! 我が妹の功績を褒めたたえたいね!」
立て板に水――そんな言葉がいやにしっくりとくる勢いで、勇翔はまくし立てた。
「相変わらずですね」
と呟くように言った竜宝も呆れを滲ませている。平野に至っては話の半分も理解できず、瞬きを繰り返すことしか出来ないでいた。
仕切り直すように咳払いを一つ。
「何はともあれ、僕は美しくあろうと努力する女性が大好きだから、君にその気がないならさっさと振ってあげてよ、平野サン?」
「えっ……?」
「そりゃそうだろう。中途半端が一番いけない。君の優柔不断に付き合わされては、美玲さんが可哀想だ。彼女の青春時代を無駄にさせるつもりか?」
「……」
「君からすれば迷惑なのかもしれないけれど」
「迷惑など!」
意識する前に声が出ていた。途中で気が付いて慌てて口を閉じたが、もう遅い。面白がるような竜宝の目線に耐えかねて、「失礼いたしました」と目礼しつつ一歩下がる。
勇翔がにっこりと笑った。
「なんだ、本当にライバルじゃないか! ふふーん、これなら遠慮はいらないね。君のアドバンテージなどあっさり覆してあげるから、心しておくように!」
それじゃあ、と彼は颯爽と踵を返した。
「本当に変わらないな、勇翔さんは」
呟いたのが先か、竜宝もくるりと爪先を翻した。
それきり彼はからかいもせず、黙って車まで歩いた。平野は恐れていた事態が起こされなかったことにホッとしながら、彼の背中に突き従った。
ホッとするには早かったのだ、と思い知ったのは、アクセルを踏んだ後だった。
「迷惑じゃないんだな」
「はい?」
「金井じゃない。平野だ」
竜宝はにやにやと片側の頬を持ち上げていた。その表情はバックミラーを見るまでもなく、声だけで平野に伝わっている。
「美山のことさ。まぁお前が迷惑に思っていないことは分かっていたが、あそこで勇翔さんに反論しかけるほどとは思わなかった。驚いたよ、平野?」
「……失礼をいたしました」
「失礼なんかじゃない。ボディガードだろうがなんだろうが、言うべきことは言え。俺は言わない奴の方が嫌いだ」
「竜宝様は昔からそうおっしゃってますよね」
金井が口を挟んだ。
竜宝は腕を組み、シートにもたれかかった。
「そういう教えだし、俺自身それが正しいと思っているからな。その点、美山はまぁまぁ及第点だ。言わなければならないことは言っている。たまに暴発するのはよくないが」
ふんっ、と楽しげに鼻を鳴らした竜宝が、バックミラー越しに平野を睨んだ。
「ちょうどいい機会だ、聞いてやろう。――何か聞きたいことがあるんじゃないのか、平野?」
「っ……」
平野はぐっと押し黙った。
(聞きたいこと……)
指摘通り、あるにはある。どうやって聞いたらいいのか分からなくて、ずっと見ないふりをしてきたのだ。こんなチャンスが与えられることなどない――腹を括る。
「……美山様に、仕事の報酬としてお渡しされているものは何ですか?」
決死の質問に対して竜宝は平然と、
「あいつの目的はお前だからな。この車に乗せること、あと少しだけチャンスを与えることなどが報酬として最適だ」
「では、この間、竜宝様が車を降りられたのは――」
「ああ、あれはサービスだ。あの時はさすがに……少し、ひどい目に遭わせたからな」
「――」
黙り込んだ平野を見て、竜宝はスッと目を細めた。
「自分を餌にされるのが気に食わないんだろう? その上、頼む仕事が仕事だ、危険がゼロとは言い難い。お前も人が好いな、平野。所詮他人だというのに」
「……」
「だが、お前が気にするのは筋違いだぞ。美山は自分から乗り込んできたんだからな。俺が止めなかったのは確かだが、止まらなかったのはアイツの意志だ」
「……」
「ふんっ、まぁ、安心しろ。次からはお前を餌にすることはやめる。やり方と引き際を間違えるわけにはいかないからな。それに、そんなことしなくともここまで足を突っ込んだんだ。頼めば美山は動いてくれる。アイツも大概人が好いのさ、平凡な人間らしくな」
馬鹿にするような調子で言っていた竜宝が、ふいに表情を引き締めた。
「……まぁ、平凡と呼ぶには少々、いやかなり、異質ではあるが。あれだけの有能性が分かった以上、お前が何を言おうが、アイツが何を言おうが、美山はうちのスパイとして使うぞ。敵に回られたら厄介だし、ここまで来たらうちについた方がかえって安全だ。……たぶん」
「珍しいですね、竜宝様。断定を避けられるなんて」
金井が少し意外そうに言った。
竜宝は――これもまた珍しいことに――しばし言い淀んで、やがて不満げな声を上げた。
「……父が美山を使って、何か目論んでる様子だ」
息を静かに吸い込んだのは金井だ。平野にはまだその言葉の重さが分からなかったが、金井の様子で察した。どうやら、あまり喜ばしい事態ではないらしい。
「それは……」
「父の決定には俺も何も出来ないからな……何を企んでいるんだか」
ぐっと車の天井に手をつけるほど大きく伸びをして、竜宝はまたニヤリと笑った。
「ところで、平野」
「はい」
「今日のあれが美山だとよく分かったな。俺には別人としか思えなかったし、知ってからも時々美山であることを忘れるくらいだったのに」
「人の顔を覚えるのは得意ですので」
「いや、そういう次元を超えていただろう」
「そうでしたか?」
首を傾げてしまってから、それはそれで失礼にあたると思い至って、平野は慌てて付け加えた。
「いえ、変わっていなかったわけではなく……私も、一瞬違う方かと思いはしました。ですが……何と言いましょうか、その……」
空気の読める二人はこういう時、助け舟を出さない。出さない方が面白い答えが出てくると知っているからだ。
しばらく考えた平野はやがて、真剣な表情で続けた。
「……美山様はもともと、整った顔立ちの方ですので……」
竜宝が口を押さえて喉から奇妙な音を出したが、話しながら運転にも集中している平野は気付かなかった。
「延長線上にあることは想像に難くない、と言いますか……」
至極真面目に回答する平野を横目に、竜宝は笑いをこらえるのに必死になっていた。だから代わりに金井が、
「見る人が見れば、というやつですね」
と含みのある言葉で場を締めた。
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