私の方を見てほしい! 11
講演会は無事終了し、約束通り私は王子と羽美子ちゃんにかしずくふりをして、喫茶店に一緒に入った。
オープンテラスがおしゃれなカフェ。
その一席に王子たちが座り――そこから少し離れた、充分彼らを見守れる席に、平野さんと金井さん、そして私が座る。
金井さんが人の好い笑顔を浮かべて、メニューを差し出した。
「お疲れさまでした、美山さん」
「いえ、大したことはしていませんので!」
「好きな物を好きなだけ頼んでいいですよ。すべて持つ、とおっしゃっていました」
省いた主語は“王子”に違いない。敬語だったし。
「金井さんってけっこうおっしゃいますよね」
「それなりに長く使っていただいておりますので」
と、にっこり。
結局私は遠慮に負けて(だって価格帯がおかしいんだもの! ここだけ高級リゾート地みたいになってるのに平民の私がひょいひょい頼めないよ! ケーキ一皿で何日食べられると思ってんの?!)二人と同じアイスコーヒーを頼むだけにした。
「それだけでいいんですか? せっかくの機会なのに」
「はい、充分です」
平野さんがいるだけで私は幸せだからね! これ以上甘味は必要ないよ!
私の笑顔で察したらしく、金井さんは納得したような顔になった。
「仕事中でなければ我々もご相伴にあずかるのですがね。特に平野は、甘い物好きでしたよね?」
金井さんの問いかけに、平野さんは軽く頷いた。
「はい。わりと食べる方です」
「ああ、でも、近所の洋菓子屋が一番なんだっけか」
「そんなこと言いましたっけ?」
「言ってたよ。妹さんの誕生日の時に」
「ああ、そういえば……よく覚えていますね」
「職業病みたいなもんだよ」
――え? 私? 当然、アルカイックスマイルを浮かべた彫像になっていますけど何か?
(金井さんナイス……! 平野さんは甘いものがお好き、特に好きなのは近所の洋菓子屋――ということはあそこだな――いいですよ、その調子でお願いします……っ!)
内心でエールを送りながら、運ばれてきたアイスコーヒーを受け取った。
ミルクを放り込んでくるくると回す。別にどんな風にしても飲めるけれど、今日はそう言う気分だったから。
金井さんはストレートのままで、平野さんはガムシロップを入れた。
(あー、甘党な平野さん可愛い……)
「あ、そうでした、美山さん」
「はいっ?!」
突然話しかけられて、私はびくりと背筋を伸ばした。
柔らかく細められた平野さんの目と目が合う。
「ハンカチ、確かに受け取りました。わざわざ洗ってくださってありがとうございました」
「あ……いえ、いえ! こちらこそ、貸してくださってありがとうございました」
そうだった……直接返せなかった上に昨日はなんかいろいろ言われたせいでそのことに関して触れられなかったんだった。
「すみません、本当は直接お返ししたかったんですが……」
「事情は伺いました。どうか気になさらないでください」
ひぇ、優しい……! でも私の傷は癒えそうにない。お礼も考えていたのに……。
ああ待てダメダメ、落ち込むな! 気にするなって言われてるんだし! 平野さんに気を遣わせてしまってどうする?!
私は意識して微笑んだ。
「ありがとうございます、平野さん」
お礼はしっかり、目を見て、相手の名前を呼んで!
どんなに恥ずかしくても、顔が真っ赤になっていようと、それは絶対だ!
「いえ……」
平野さんは語尾を濁らせて、わずかに目を伏せた。
それからコーヒーを一口飲んで(上下する喉仏に一瞬どころか五瞬くらい目を奪われたのは言うまでもない)、
「あの、一つお伺いしてもよろしいですか?」
「……は、はい! もちろんです!」
心臓が跳ねたせいで返事が遅れた。私はその分を埋め合わせるようにがくがくと頷いた。聞きたいこと? なんだろう? 何でしょう?! 何なりとお答えしますとも!
「美山さんは何のために――」
「やあ、奇遇だね美玲さん」
蜂蜜を大量に入れたコーヒーのような声が平野さんを遮った。ふっ、と手元に影が差して、斜め後ろを振り仰ぐとそこには、
「こんにちは。ご機嫌いかがかな?」
顔だけでもこちらの歯を浮かしてきそうなイケメン、もとい舞鶴兄が立っていた。
「こ、こんにちは……」
失礼にならないよう挨拶をしながら、私はさりげなく手をテーブルの下にしまった。波瑠ちゃんから習った自衛術その一、手は隠すこと!
(ありがとう波瑠ちゃん……! まさかこんなすぐ役立つ日が来るとは思わなかったけれど!)
舞鶴兄は丁寧に立ち上がって礼をした金井さんと平野さんにひらりと手を振って、「そうかしこまらないでいいよ。座って座って」と着席を促しながら、辺りを見回した。
「今日の僕はただのお迎え役だから。――ああでも、もう少し掛かりそうだね。ちょっとここで待たせてもらうよ」
と、この野郎空いてた席に勝手に座りやがった……!
舞鶴兄が座るのを待ってから、金井さんたちは腰を下ろした。
(さっきの質問は何だったんだろう……絶対これもう一回は聞けないやつだよな……くそぅ)
平野さんも少し残念そうにしている――のはさすがに目の錯覚だ。そういうふうに見たいだけ。
歯がみする私のことなど知りもしないで、舞鶴兄は素早く寄ってきたウェイターさんに慣れた調子で注文をすると、私の方を見てニッコリ。
「先日お会いした時とはまるで違って驚いたよ。惚れ惚れするほど素晴らしい変貌ぶりだね」
どうやら波瑠ちゃんが言っていた通り、特殊な好みをお持ちのようである……マジか……。でもやっぱり、モブ状態の私のことはどうでもいいに決まって――
「自然体でとっても魅力的だ。制服もよく似合っているね」
――なかった、畜生! 直球ストレートの褒め言葉は厳しいです!
う、と私は言葉を詰まらせた。
だが、今日はこれでは終わらない。波瑠ちゃん仕込みの自衛術その二!
「そうですか? ありがとうございます」
何を言われても変わらぬ微笑みでさらりと躱す! お前の言うことはすべてお世辞なんだろと思い込む! 相手にしない本気にしない、本気にしたと思わせない、かといって礼を失してはならない!
(絶対今の私の顔は引き攣ってるけど!)
作戦が聞いたのだろうか、舞鶴兄は相変わらずふんわりとした笑みを浮かべたままだったが、
「うん、とても良いよ。ところで、今日は講演会だったんだってね?」
と話を変えた。
(うわぁ、すっげぇよ波瑠ちゃん、効き目あるよ!)
なんて調子を良くして「はい、そうなんです」と愛想よく答えてしまった私を、波瑠ちゃんが隣にいたなら殴っていたに違いない。でも波瑠ちゃん、お願いだから言い訳をさせて。私は知らなかったんだ――
――これが
「光路大学の教授が行ったんだっけ」
「はい」
「誰が来たの?」
「確か、塩埜先生とおっしゃる方です」
「ああ、塩埜先生か! 知ってる知ってる。言語学のね。面白い話をする人だったでしょう」
「あ、いえ、私は裏方でちょっと作業があったので……」
「そっか、それじゃあ中身は聞いてないんだ。お仕事、お疲れさま。頑張ったね」
「いえ……」
「あの先生の話は面白いからね、機会があったら聞いてみるといいよ」
「はい」
「確か、塩埜先生は――ああ、そうそう。黒田先生の師匠にあたる人なんだよ。黒田先生ってまだいる?」
「はい、いらっしゃいますよ」
「そっかぁ、僕もよく覚えているよ。あの人かっこいいよね。凛々しい感じ」
「分かります、かっこいい方ですよね」
――違和感に気付いた時には、十五分くらい経っていただろうか。
「へぇ、美玲さんのお母様は面白い人だね」
「そうなんですよ……――」
(――待って、私……この人とめちゃくちゃ喋ってない?!)
気が付いたら話題はプレイベートな方にまで及んでいた。
前回の強引さと打って変わって控えめに当り障りない話ばかりしてくるから、すっかり騙されていた……しかも“裏方の作業内容”とか、そういう私が答えにくい話題は華麗に避けていってる! なんで?! これが陽キャの会話術ってやつか?!
私が気が付いたことに向こうもまた気が付いたらしい。
舞鶴兄はキラッキラのスマイルで小首を傾げた。
「どうしたの?」
「え、いえ……なんでもありません……」
「そう?」
思わずスッと目を逸らしてしまった私に向かって、ふふっ、と小さな笑い声が届く。
「美玲さんは良い子だね」
自衛術その三、
――それを思い出した時には、すでに頭の上に何か温かいものが乗っていた。
「楽しい時間をありがとう。じゃあ、またね」
頭を撫でられた上、耳元に囁きかけられて、私はボンッと上気した。なに今の恥っずかしっ!!
ひらりと席を離れた舞鶴兄が、羽美子ちゃんに腕をはたかれながら去っていく。羽美子ちゃんが申し訳なさそうに唇を尖らせて、小さく手を振ってくれた。振り返したのはただの反射だ。呆然としてしまって何も考えられない……。
「おい、帰るぞ」
王子の冷たい声にはたと我に返る。
サッと立ち上がった平野さんが先行して車の方に行った。
「ま、お前のような凡人では勇翔さんの話術に太刀打ち出来るわけがないからな。負けるのも当然だろ」
「そんな……」
「悔しかったら話術を磨いたらどうだ?」
「……」
ふむ、王子の言う通り、磨いた方がいいかもしれない。自衛のためにも――平野さんとのお話のためにも!
「……話術の手本としては参考になりますよね、あの人……そっか、年齢を選ばない雑談ってああやればいいのか……でも知識もあったからな……もっと広く浅く……教養がいるな……」
ブツブツと呟きながら真剣に考える私を、王子と金井さんがどんな目で見ていたかなど、知りようもない――
この恋のためなら何でもする。そう、それが私!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます