私の方を見てほしい! 10
講演会はつつがなく始まったようだった。
図書委員たち裏方の人間は大人しく引っ込んで、会の終了を待っている。もちろん、他にこまごまとした作業はあるんだけどね。名簿の整理とかなんとか。
「藤原」
これは白音さんの名字だ。呼んだのは黒田先生。相変わらずイケメンな女性だ。
黒田先生は書類を差し出した。
「これを伊駒先生の個人研究室にまで持っていってくれ」
楚々とした仕草で受け取って、図書室を出ていく。
そのまま真っ直ぐ中等部の棟に入って、伊駒先生の部屋を目指す。教員の研究室には鍵も付いていないが、防犯カメラも付いていない。一応“個人”研究室だからね。
そのことを知ってるのかどうかは分からないが。
律儀に頭を下げてから研究室の中に入った、その、直後。
「白音さん」
霜月くんの声。
「あのさ‥‥‥僕、知ってるんだ。白音さんと伊駒先生の関係」
びくりと肩を震わせる。
「白音さんがどんな趣味でもいいよ、僕はどんな白音さんだって好きだから。でもさぁ……」
抑揚のない彼の声は、どうしようもない狂気と熱情をはらんでいるように聞こえた。
「……このことが、学校にばれたらどうなるんだろうね?」
「っ!」
「脅すつもりはないよ。証拠なんてないし、伊駒だって問い詰められれば口をつぐむだろう。でも、噂って怖いよね。……僕は白音さんを傷付けたくないんだ……でも、どうしても、抑えきれないんだよ、白音さん。話すだけじゃ足りないんだ。ずっと一緒にいたい。君に触れたい……ねぇ、お願い、伊駒なんかじゃなくてさ――」
霜月くんはゆっくりとした歩調で近寄って、肩を掴んだ。
「――もっと、僕の方を見てよ!」
振り返る――瞬間、
「さ、さ、さすがに――」
ええい震えるな、声! 唾を一旦飲み込む。
「――この近さじゃ分かりますよね」
霜月くんは狼狽しきっている。
「だ、れ、だよ、あんた……!」
「ただのスパイです」
「スパイ……?」
すたんっ、と部屋の扉が開かれた。
全身を跳ね上げた霜月くんが振り返る。
「ご苦労だったな、スパイ」
「……御ノ道、さん……」
王子は酷薄に目を細めて、霜月くんを睨むように見た。
「霜月七星、俺の学園で不祥事は困るな」
「ふ、不祥事?! 不祥事だなんて、そんな……!」
「
「っ……」
霜月くんが太腿の横でぐっと拳を握りしめた。言い返せない、ということは、そういうことなんだろう。
「まぁ
「ぼ、僕のことなんかより教師の方をどうにかしろよっ!」
唐突に彼は叫んだ。
「生徒に手を出すなんて教師として失格だろ?! なのにアイツ、僕のことストーカー呼ばわりして白音さんを困らすななんて言いやがって、何様のつもりだ! どうして僕ばかり責める?! 僕はただ、ただ――白音さんに近付きたかっただけなのに……!」
慟哭、と呼んでも過言ではない様子で、彼は膝から崩れ落ちた。
「ああ、お前はただやり方と引き際を間違えただけだ。残念だったな」
いっそ残酷なほど淡々と、王子はそう言った。
☆
霜月くんは恋する男子であっただけだ。ただちょっとやり方を間違えてしまっただけで。
白音さんが伊駒先生のことを好きだと知って、すっかり嫉妬してしまったらしい。白音さんの好みに合わせて坊主にまでしたのに、坊主でなければ生徒でもない男に負けているのだと知ったら、それは怒るだろう。気持ちは分かる。
その気持ちが抑えきれず、生物準備室での骨格標本の破壊に至ったとか。
あの一件で伊駒先生が霜月くんのことに気付いて、話をするようになって、それでますます彼の心情はこじれた。
私にあんなメモを託したのは、追い出すのが目的だったらしい。私が真っ直ぐ王子に渡せば、王子が伊駒先生を問い詰める。渡さなかったとしても、私から変な噂が広まれば良し。何にせよデメリットは無いわけだ。
講演会で事が起きる、と書いたのは、伊駒先生と白音さんが二人きりになるのを防ぐためだったとか。そしてあわよくば自分が近付く絶好の機会にしようと目論んでいたという。
(王子の読み、恐ろしいほど当たってたな……)
思わず遠い目になってしまう。
こうなることを予期して、私は白音さんのような恰好をして、黒田先生に共謀してもらい、霜月くんを騙したのだ。
髪形や服装、仕草を変えることで人の目から隠れられるなら、欺くことだって出来るはずである。
(まぁ、こんなに上手くいくとは思っていなかったけどね……)
プロがあれこれしてくれたとはいえ、霜月くん、これでは恋する男子の名折れだぞ?
王子は私からメモを貰った後、即座に伊駒先生を問い詰めたらしい。
対する伊駒先生は非常に賢明な判断をした。すべてを正直に打ち明けたのだ。白音さんに言い寄られていること。そのせいで霜月くんが荒れていること。自分は白音さんに手を出すつもりはないが、自分の存在が生徒たちの精神を掻き乱すのであれば職を辞しても構わないこと――
――伊駒先生は異動になるらしい。御ノ道グループ内の違う学校へ。それが最善だと王子のお父さん(王様って呼ぶべきかな?)が判断したそうだ。
霜月くんは王子に説得され、白音さんを諦めることにしたとかなんとか。たぶん白音さんの偽物を見抜けなかったことが一番精神的なショックだったのだろうと睨んでいる。しばらくは落ち込んで家を出られないかもしれないけれど……彼が立ち直ってくれることを私は祈る。
(……私に、人のことは言えないけどね)
――私の方を見てほしい――
その気持ちはすごくよく分かるのだ。話すだけじゃ足りない。ずっと一緒にいたい。許されるならば触れたい。
私の方を見てほしい。
私の存在を、他ならぬ貴方に、認識してもらいたい。特別だと思われたい。お願い私を見て!
(そう叫びたくなる気持ち、すごくよく分かる)
私だってもしかして恋敵なんてものが出てきたら、その人を邪魔するためにあらゆる手段を講ずるかもしれない。一人に繋がる恋路は一本しかないんだから。一人が先を歩いていたら、もう一人は追い抜けない。
でも、
(――平野さんは、そういうの嫌うよね、きっと)
少なくとも、嫌われたくはない。特別になるのは難しいけど、軽蔑されないでいるのはそんなに大変じゃないはずだ。たぶん。
……とりあえず今後ストーカーじみた真似はやめよう、と固く決意した。
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