私の方を見てほしい! 8


 翌朝早く家を出て、私は黒田先生のところに行った。

 まだ校内は閑散としているが、朝が早い黒田先生ならすでにいるはず……!


 予想は当たった。


「おはようございます~……」

「ん? ああ、美山か。おはよう」


 教員用の研究室にいた黒田先生は、イケメンとしか形容できない笑みを浮かべた。相変わらず素っ気ないベリーショートがものすごく似合っている。

 黒田園香先生。イケメンだけど、れっきとした女性だ。

 女子からの人気がすごくてバレンタインは毎年恐ろしい状況になっているようなお人で――


「どうした?」

「突飛なお願いをしても良いですか?」

「どうぞ」

「この資料を受け取って捨ててください。で、誰かに何か聞かれたら、美山から資料を受け取ったけれど大したものじゃない、って適当に誤魔化しておいてくれませんか?」

「ああ、分かった」


 ――こういうことをお願いしてもさくっと聞いてくれるお人なんですよねぇ!


 黒田先生は私から紙の束を受け取ると、即座にシュレッダーにかけた。

 こういうことをしてくれる人だ、というのはあまり知られていない。まぁ普通知る必要ないからね。私の場合は先生の手伝いをすることが多かったので知っているというだけ。

 こんな真正面からお願いする日が来るとは思ってなかったけど!


「代わりと言ってはあれだが、一つ頼まれてくれないか?」

「はい、なんなりと」

「中等部の三年一組に霜月七星ってやつがいる」


 霜月くんの名前が出てきて私はちょっとびっくりした。

 先生は一冊の本を差し出して、


「これを、そいつに渡してきてくれないか? たぶん、もういると思うけれど」

「わかりました」


 私は素直に受け取った。

 これは――合法的に彼と話せる、良いチャンスかもしれない!


 教室に向かうと、確かに霜月くんはすでに来ていた。

 彼の他にはまだ誰もいない。静かな教室で、霜月くんは大人しく本を読んでいる。

 ……顔を上げる気配はない。


(仕方ないか……)


 私は“霜月くん”と言いかけて、慌てて声を飲み込んだ。


(あっぶな、名前と顔を把握してるってことを気付かれる訳にはいかないんだから!)


 仕切り直し。


「あの、すみません」

「……」

「あの~……すみませーん……」

「……あ、はい、僕ですか?」


 霜月くんはちょっと嫌そうに本から顔を上げた。ごめんね読書の邪魔しちゃって……。


「あの、霜月七星さん? がいるのって、このクラスで合ってますか?」

「……僕が、そうですけど」

「あっ、そうだったんですね! じゃあちょうどよかった」


 わざとらしいくらい明るい声で言いながら、私は預かった本を差し出した。


「これ、霜月さんに渡してほしいって黒田先生から」

「……ああ」


 霜月くんは億劫そうに立ち上がって、こちらにやってきた。


「ありがとうございます」

「いえいえ」


 近くで見るとなかなかのイケメンだ。写真写りが悪いのね。坊主頭のせいか、真面目な野球部員って感じの子だ。


「じゃあ、私はこれで」

「あの」


 立ち去ろうとしたところを止められた。何だろう?

 霜月くんは私のリボンをじっと見ていた。


「高等部の方、ですか」

「はい、そうですけど」

「何年ですか?」

「二年です……」


 なんでそんなこと聞くんだろう?

 と首を傾げた私を放って、霜月くんはパッと踵を返した。サササッと自分の机まで戻って、鞄の中からルーズリーフを一枚取り出した。

 それに向かって何やら書いている……なんだろう?

 少しして書き終えたらしく、彼はそれを畳んで戻ってきた。


「これを、どうにかして御ノ道さんに渡してもらえませんか」

「えっ?」


 王子に?!

 驚愕する私に反して、霜月くんは冷静そのものの顔だ。とても真剣な顔付きで、少し――ほんの少しだけ、焦って、いるような?


「お願いします。出来るだけ早く……今日中、遅くとも明日中には」

「え、ちょ、あの……」

「重要な情報なので。絶対に、お願いします」


 一方的にそう言って、私にメモを押し付けて、彼は机に戻っていった。

 ちょうどそのタイミングでクラスメートが来てしまったので、私はそれ以上問い詰めることも出来ず……。

 私はメモをポケットに突っ込んで、素知らぬふりで中等部の棟を出た。


(なんだろうこれ……見てもいいのかな……?)


 ああ、なんだか、伝書鳩にでもなった気分だ。くるっぽー。

 ――なんて、無駄なことを考えた直後に、ふと思い至って私は立ち止まった。


(……いやちょっと待って、渡せって簡単に言ってくれたけど……どうやって?!)


 王子と接触できる機会は金曜日しかないのだ。今日は火曜日。期限は明日まで。ということは――


(学校内で王子と接触しなきゃいけない、ってこと?! 待って霜月くん、それってかなり無茶な要求ってご存知ないわけ?!)


 私は頭を抱えたくなった。

 羽美子ちゃんと仲良くなった、とはいえ、親衛隊はまだまだ活発だ。衆目の中で突然王子に手紙のようなものを手渡したら面倒なことになるに決まっている。王子が一人でいる時なんてないし……嘘でしょ難易度設定間違ってません?


(ああああああ……どうしよう……どうしたらいいのかな……)


 この日の授業はまったく頭に入ってこなかった……。


 ☆


 今日渡すことは諦めた。だって無理だもん。改めて王子の周辺に混ざってみたけど、相変わらず人が多いこと多いこと。こんなに大勢と喋っていて疲れないのかな……すげぇな……。

 無策で挑んだら絶対にバレる、という確信を得て、私は家に帰った。


 さて――誰にも気づかれないようにVIPに物を渡すには。


 メモのサイズはそこまでじゃない。ポケットにすんなり入るレベルだ。


(こっそりポケットに入れちゃう?)


 一番現実味がある。

 が、万一彼が気が付かなかった時が怖い。おそらく渡すだけじゃダメなのだ。王子が確実に読まなければならないのだから。


(波瑠ちゃんか羽美子ちゃんに頼む?)


 二人とも引き受けてくれるはずだ。……波瑠ちゃんは絶対嫌がるだろうけど。


(でも――)


 私はさっきメモの中身を思い出した。無造作に私に渡したぐらいなんだから、見てもいいよってことなんだろうと踏んだのだ。そこまで重要じゃない情報だったり、見ても分からないように書いてあったりするだろうから、ってね。

 ところが、理解できてしまったのだ。


(――いやぁ、霜月くん、迂闊すぎるでしょ……こんなはっきり書いてくれて……)


『伊駒がすべての元凶。講演会で事が起きる』


 こんなことを書かれてしまってはねぇ!

 届けないわけにはいかないし、下手に誰かを巻き込むわけにもいかない!


(まったく……私が敵だったらどうするつもりだったんだろう)


 私がわざと渡さなかったり、落としたり、あるいは売ったりしたら、どうするつもりなのかな。

 とまで考えて、ふと引っ掛かった。


「……ん? あれ? 霜月くんって……昨日、伊駒先生の研究室から出てこなかった?」


 ということは、彼は伊駒先生サイドの人間なのでは?

 なぜ、敵に塩を送るようなことを?


 私は首を傾げて――考えて――


「……あ、そっか。この講演会、図書委員が手伝うことになってたね」


 白音さんに危害が及ぶかも、と考えたら、居ても立っても居られなくなったのだろう。


(恋の為せる業だな)


 私は納得して――改めて、頭を抱えた。そういうことなら絶対に渡さなくては!


(どうしよう……)


 講演会は今週の土曜日にやるやつだ。だから明日までに届けなくちゃならない、っていう理屈は分かる。行く気なんてさらさらなかったからすっかり忘れていたけれど。そういえば随分前にお知らせのメールが来てたなぁ、なんて思い出した。


(クソ王子があのファイルで咲貴子ちゃんのスマホを壊したんだったな……――)


 ――ふ、と。


 あるアイデアが降ってきて私は目を見開いた。


(……え、でも、それは……それを使ったら……!)


 ああ、きっと上手くいくだろう。間違いない。少なくとも今まで考えた中では最も成功率が高くて確実な方法だ。

 けれど私の胸は張り裂けそうに痛んだ。


(う……明日まで考えて、他のが思い付かなかったら……っ!)


 考えろ、考えろ自分! 絶対に他の案を見つけるんだ!


 私はソファに顔をうずめて考えた。

 考えに考えて考え抜いて――


 翌朝――


 ――他の案は、見つからなかった。


(……くそう……すまじきものはスパイ勤めかな……っ!)


 私は血涙を流しながら、作戦を決行することにした。


 

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