私の方を見てほしい! 4


 火山が爆発したような衝撃が私の手の甲を中心に同心円状に広がって床を陥没させた!

 というぐらいの衝撃が私の脳内に吹き荒れた!


 ええええええええええええええええええええええええええええええええー!


 キ……した当の本人はしれっと手を離して、目と鼻の先でにっこりと笑った。


「理想的な女性だ。ぜひあとで話をしよう」

「えっ?」

「じゃあ、また」


 と、彼はひらひらと手を振って去っていった。


「お兄様はいつもああだから、慣れてちょうだい」

「え……?」

「でも理想的って言ったのは初めてね」

「ええ……?」


 私はもう何を言ったらいいのか分からなくなった。理想的……理想的? 羽美子ちゃんの指示で好き勝手作った羽美子ちゃんの下位互換みたいなこの顔が? ってことは――


「もしかして羽美子ちゃんのお兄様って、シスコン?」


 そう言ったら無言で睨まれた。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!


 ☆


 衝撃が消えた頃にはパーティーも中盤に差し掛かって、そろそろ私も空気に馴染んできた。埋もれて影が薄くなった、という意味で、誰と交流しているわけでもないが。

 羽美子ちゃんに断ってお手洗いに立つ。

 静まり返った廊下を粛々と歩いていくと、徐々に胸の中が落ち着いてきた。


(はぁ……やっぱ疲れるなぁこういう場は……)


 いくら羽美子ちゃんとひたすら恋バナをしているだけだと言っても、会場の空気が重たいのだ。私のような庶民にとってはいるだけでつらい。淡水魚が海に出た気分ってこんな感じなんだろうか。


(時々出ないと死んでしまう……)


 出たところで高級感漂う廊下であることに変わりはないのだが。

 人がいないだけでだいぶ空気の圧が薄まる。息がしやすい。


(はぁ……)


 何度か溜め息をついて、用を済まして、私の気分はようやく落ち着いた。


(よーし、回復!)


 本当は平野さんを拝みに行きたかったのだけれど……こればかりは仕方がない。羽美子ちゃんの家で迷うわけにもいかないし。

 もと来た道を戻る。

 ――と。


「やあ、麗しの君」


 私は思わず“げ”と言いそうになったのを咄嗟に抑えた。

 颯爽と現れたのは、羽美子ちゃんのお兄さん……。

 彼はにっこりと笑った。自分に自信満々な人間の笑い方だ。拒絶されることなんて微塵も考えていない、輝かしい笑顔! 私の目は潰れそうになった……や、まぁ、あの、実際イケメンではあるんだ……頭がくらっとするほどにはね。でも平野さんと比べてしまうと……ごめんなさい、私の好みではない……でも眩しいには眩しいからあまり顔を近づけないでほしい……っ!


「不思議なことだが、僕は君の魅力に憑りつかれてしまったみたいなんだ」

「ひぇっ……」


 いつの間にか手を握られていた。うっわめちゃくちゃさりげないし自然で全然気付かなかった……とか感心している場合じゃない!


「運命、と言っても差し支えないと思っているよ」


 いやいや差し支えしかありませんから。


「本当に理想的だ……美しい」


 う、ほぉ……うほほぉ?

 あまりに真っ直ぐな言葉に、思わず脳内がゴリラになってしまった。いやいやいやいやそんな真剣な顔で見ないでくださいよこれはハリボテの顔なんですから! 真っ白なキャンパスにプロが理想の顔を描いただけなんですから! 私のようで私ではないんです!

 なんて言えるほど、私は豪気ではない……。

 というか顔が近い! 私の口臭いよ?! たぶん! やめて近付かないで!


「あ、あの……」


 私は顔を背けて無理やり声を絞り出した。


「わ、私、戻らないと……」

「大丈夫さ、僕と一緒なら。少しだけ、二人で話そう?」

「いえ……それは……」

「君のことを知りたいんだ。僕のことも知ってほしい。まずは話さないと、何も始まらないから、ね?」


 ね? ――じゃねぇえええええっ!

 とは胸中の叫びだ。現実の私は何も言えず……手を引かれていく。


(やっべ、ちょ、待って、誰か……誰かぁー!)


 暴漢じゃないから悲鳴なんて上げられない。かと言って振りほどくことも出来ない。優しく握られているだけなのに隙が無いってどういうこと?!


「あの、待ってください、私……本当に、戻らないと……」


 抵抗の意思を見せつつ私は慌てて辺りを見回して、助けを――


 ――助け、を――


 ――……どうしてこういう時にタイミングよく平野さんが通りかかっちゃうのかなぁ?!


 廊下の向こう側にいた平野さんは、どうしたらいいのかわからないような様子で立ちすくんでいた。

 私は心の中で頭を抱えた。


(平野さんに助けを求めてもいいのか? 助けてくれるかな? 迷惑じゃない? 迷惑だよね? あああああああどうしよう……! でも、助けてほしい……っ!)


 羽美子ちゃんのお兄さんがすぐそばのドアを開けた。


「さあ、入って。ゆっくりと座って話そう、美玲さん」


 ――うーん、駄目だこれは!


 私は平野さんに向かって口パクで『たすけてください』と言った。

 瞬間、平野さんは驚くほどの速さで動いた。廊下が半分に縮んだのではないかと思うほど速く、なのに足音はまったく立てないで、平野さんは私たちのところにまで来ると、そっと私とお兄さんの間に手を差し込んだ。


「ご歓談中に申し訳ございません。美山様を放してさしあげてください」


 羽美子兄は笑みを消して、形の良い眉をスッとひそめた。


「なんだい君は?」

「竜宝様のボディーガードを仰せつかっております、平野と申します」

「ふぅん」


 それから彼はふと思いついたように、にっこりと笑った。


「ちょうどよかった。美玲嬢を少しお借りする旨、竜宝くんと羽美子に伝えておいてくれるかな?」


 うあああああああそう来る?! そう来たか! 確かに! 頭の回転早いなこの野郎!

 と、胸中で荒れ狂う私とは正反対に。

 平野さんはどこまでもクールだった。


「申し訳ございません。そのお言葉には従いかねます。どうか、美山様を放してさしあげてください」


 全・私が泣いた。文句なしのスタンディングオベーションだ。はっきりと断っているのに突き放すような感じはなくて、どこまでも優しい、落ち着いた声音で……なんてカッコイイんだろう。最高……昇天しそうだ。

 ところが羽美子兄は不機嫌そうに唇を曲げて、なおも食い下がった。


「どうしてお前が干渉する? 竜宝くんのボディーガードなんだろう?」

「美山様は竜宝様のご学友でもございます。その美山様が助けを求めていらっしゃるようでしたので」

「助け?」


 羽美子兄はきょとんとした顔を私に向けた。


「そんなの求めていたかい?」


 うっわぁ微塵も気付いていない無邪気な顔……これを前にして全否定するのには気力がいるぞ……――だが、ここで私が黙ってしまったら平野さんにも傷がつく!

 私は腹を括って頷いた。


「はい。あの……申し訳ありません。話したくないというわけではありませんが、二人きりというのは……ちょっと……」

「ああ、そっか。ごめんね、配慮が足りなかったかな」


 羽美子兄はびっくりするほどあっさりと引き下がった。

 だがまだ手は放してくれない……。


「それじゃあ会場に戻ろうか」

「え……」


 このまま?! 手を繋いだまま?! おいおいおいおいおい、迷子って言うにはもうきつい歳だぞ?! ああわかった、この男、堀から埋める気だ!! 畜生策士め、溺死しろ!!

 私は咄嗟に足を踏ん張った。


 ――瞬間、カクン、と。


「あっ……」


 ヒールがこけて私の体が宙を泳いだ。ヤバい死んだ……。

 衝撃に備えて私は目を瞑った。

 

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