どうしたら いいのか わからない!


 十四になる妹の都和とわは時々非常に鋭い目つきになる。


「……ねぇ、おにぃちゃん、最近なんかあった?」


 平野は目をぱちくりさせた。


「え? なんか、って……?」

「なんかはなんか。なぁんか……こう……今までにないこと、あったでしょー」


 そう言われて。

 平野は、先週の事件を思い出した。

 都和と二つしか違わない女の子が、暴漢に害されそうになったこと。

 そこに居合わせて、間一髪救い出せたこと。


『平野さんのことが好きです!』


 ――その女の子が、自分のことを『好きだ』と言ったこと――

 そこまで思い出して、平野は自分が今どんな表情をしているのか分からなくなった。

 兄の微妙な表情を見て、都和は、むふふ、と得意げにほくそ笑んだ。


「やぁっぱり。なんかあったんだぁ」

「……」

「わたしの勘だとぉ、それはずばり――恋愛関係、ですねぇ?」

「っ!」


 頬を引き攣らせたのを見とがめて、都和は「ずぼしー!」と満面の笑顔になる。


「どうして……」

「ふっふーん。これが女の勘、というやつですよー。気を付けたほーがいいよぉ、おにぃちゃん」


 恐るべし、女の勘――と、平野はこっそり心中で汗を流した。

 しかし、


「というのは半分ジョーダンでー」


 都和はあっさり言を翻した。


「仕事のことならぁ、悩んでたとしても、わたしの前ではふつーにしてるでしょー。おにぃちゃんだもん、どーりょーの人とかに相談してぇ、さくっと解決するに決まってる。ってことはぁ、どーりょーの人とかに相談しにくくってぇ、しかも、ずぅっと頭を悩ませちゃうようなことでぇ、おにぃちゃんに縁がないこと……となればぁ、もう恋愛以外ないじゃーん」

「……よく、分かってるな」

「まーぁねぇ」


 立つ瀬がない、とはこのことを言うのだろうか。妹の方がずっと自分をよく見ている。平野は苦笑する他ない。

 母親に似てきた、と思う。ただ、その感傷は、穏やかな気持ちだけと繋がっているものではなくて、胸の奥がじわじわと痛みを訴える。

 都和は箸を振り上げた。


「おにぃちゃんはねぇ、変な話をしなければ大丈夫なんだよ。女の子に退屈な話、しちゃだめだよ?」

「……」

「でね。もー、とにかく優しくするの。でもね、その人にだけ、だよ。おにぃちゃんってば、誰にでも優しいから……そーいうの、だめだからね」

「……」

「うまくいったらぁ、わたしにも会わせてねぇ、おにぃちゃんの彼女。んふふー、楽しみぃ」


 平野はなんとも言い返せず、黙ってご飯を口に運んだ。


 ☆


 休日は一日中家にいてしまうことが多いので、ランニングがてら少し足を延ばして、大して信じてもいない神様のところに行くのをルーティンにしていた。

 閑静な住宅街の北にある、さして高くない山の、中腹。そこに、由緒も定かでない小さなお社があるのだ。

 さして高くない、とはいえ、山は山。がたがたな石段を五分は上ることになる。

 無心で階段を上っていると、石段よりもがたがたしていた心が少しずつ凪いでいくのが分かる。将来には不安がいっぱいだ。妹の進学とか結婚とか……。どれだけ考えても答えは出ず、むしろ大きくなっていく漠然とした不安――そんなものが、消えはしないけれど、心に馴染んで落ち着いていく。それだけでも、神社の機能としては優秀だというべきだろう。

 ――いつもなら、上りきった時にはすっかり、考えることを無くしているのだが。


(……どうしたらいいのか、分からないな)


 今日は違った。

 思わず、最上段で足を止めてしまう。


(私は一体、どんな風に、彼女の気持ちを扱ったらいいのでしょうか――)


 応えるつもりがないのに期待を持たせるのは、罪深い行為である――とは、理解している。

 では、彼女に期待された通りに応えたいのか? と聞かれたら――その問いには、答えられない。


(そもそも、私は彼女の事をまったく知らない――名前と、顔と、あとは年齢ぐらいしか)


 美山美玲。制服におさげの姿でも、パーティ用のワンピースに髪を高く結い上げた姿でも、寝間着で髪を下ろした姿でも、驚くほど自然体で、その場に馴染んでいた少女。その少女が、あまりにはっきりと自分への好意を口にしたものだから、疑う間も無かった。


(……どうしたら、いいんだろう……)


 迷いながら境内に入り――ふと、視界の端で、木が不自然に揺れたような気がして、そちらを向いた。

 ――木の上に、人がいた。


(なんで、こんなところに……? しかも……なんか、見覚えが、あるような……ないような……)


 しばらく見ていると、その人――よくよく見れば女性だ。それもまだ若そうな――は、ふとこちらを見て、少し固まってから、慌ててキャップのつばを下げた。

 その一瞬、ちらりと見えた相手の顔に、平野は確信を得た。どんな敬称を付けるべきか、少しだけ迷って――今は仕事中ではないのだから、と、少しだけ割り切ることに決める。


「――美山さん、ですよね?」


 尋ねると、彼女は「えっ」と息を呑んで、続けざまに「な、なんで……――」と困惑しきった声を上げた。

 平野は、どうしてそんなに驚くのか理解できず、ちょっと目を瞬かせてから、


「人の顔を覚えるのは、得意ですので」


 と答えた。

 途端に彼女は顔を両手で覆い隠して、深く俯いたのだ。その様子に、また何か言ってはいけないことを言ってしまったのかと思って、平野は慌てた。


「ところでその、どうして木の上に?」


 仕切り直すようにそう聞くと、美山はガバッと顔を上げて、目を上下左右に泳がせながら、


「あっ、いえ、あの、これはその……ば、バードウォッチングが趣味でして!」

「バードウォッチング、ですか」

「はい! そうです!」


 がくがくと力強く頷いて、美山はするりと木から下りた。非常に手慣れた様子で、危なげなく着地し、木くずを払う。


「すごく、身軽なんですね」

「えっ、あっ、そんな、ことは……普通ですよ普通、母はもっと上手く登ってましたし、世の中探せばもっともっと、するする~って上り下りする人、五万といますし! ほらあの、林業とかの人で、縄一本で数十メートル上まで登れる人とか、いるじゃないですか。凄いですよね!」

「そうですね」


 元気いっぱいに言い募る姿が、素早い小動物を思わせて、平野は自然と頬を緩めていた。

 美山はまた唐突に、頭を下げた。


「では、あの、私はこれで失礼致します!」

「もうバードウォッチングはいいんですか?」

「はい! 見たいものは見れましたので……」


 そう言って去ろうとする美山。

 平野はふと辺りを見回して、夜がかなり近くまで迫ってきていることを確認すると、思い付いたように言った。


「少しだけ待っていていただければ、ご自宅までお送りしますが」

「えっ!」


 その一言を最後に絶命したかと思うほど、美山は綺麗に硬直した。

 平野からしてみれば、本当に大した提案ではなかった。場所は知っているし、自宅への道のりからそう離れるというわけでもない。その程度の手間より、こんな時分に、妹ぐらいの少女を一人放り出す方が、よっぽど嫌だと思ったのだ。見ず知らずというわけでもないのだし。

 しばらくマネキンチャレンジをしていた美山が、はたと我に返る。

 そして再び頭を深々と下げ、


「お気遣い本当にありがとうございます! ですが、せっかくのお休みの日に、そのようなことをさせるわけにはいきませんので、どうぞお気遣いなく……それでは! 失礼します!」

「あっ……」


 と言う間に、美山は石段を駆け下りていってしまった。

 一人残されて――平野は、首を傾げる。


(分からないな……うん……分からない)


 何が分からないのかも分かっていないのだから、答えなど探しようもなく。

 平野はいつも通り、お社にお参りして、帰路についた。


 

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