もっとお話がしたい! 10

 

 タイミングを見計らってコンビニに行くと、ちょうど王子の車が来た。


「タイミングが良すぎて怖いほどだな。計ってたのか?」

「計ってたといいますか……学校を出る時間とここまでの道のりが分かってたら、合わせるのはそんなに難しいことじゃないと思うんですけど」

「普通の人間はわざわざ合わせようとはしない」

「えー、だって、無駄に待つの嫌じゃないですか」

「……お前、見た目を普通にし過ぎて、それ以外が普通じゃなくなったな。特に、普通の人間が“普通なら伸ばさないところ”ばかり」

「褒めてるのか貶してるのかどっちなんですか?」

「良い方にとっておけ。いいぞ平野、出してくれ」

「はい」


 車がゆるりと動き出す。

 はぁ、今日も平野さんはカッコイイ。そういえば、リムジンを平然と操る平野さんもかっこよかったなぁ――まぁ普通サイズの車でもかっこいいんですけど!


「おい。報告」

「はい、特にありません」

「おい」


 王子の顔が歪む。そんな怒られても困りますっての。


「ちゃんと調査してますよ! 霜月さん! でもなーんか、こう、手応えがないと言いますか……というかそもそも本人に会えないんで……」

「本人に会えない?」

「はい。図書室によくいる、って話を霜月さんのクラスの子から聞いて、不自然にならない程度に図書室へ行くようにしてるんですけど、全然会えなくて……委員会とかにも入っていないみたいですし。一応、家の住所とは把握しましたんで、明日ちらっと行ってみようかなーって思ってますけど、場所がちょっと、張り込みには不向きって言うか……周辺で、長くとどまっても大丈夫そうで、その家を見れる場所がないんですよね。だからちょっと難しいかなーと」

「……ふぅん」


 王子は興味無さそうに相槌を打った。


「あ、そういえば王子。色々あって聞き忘れてたんですが、先週の火曜日、中等部の方で何かありました?」

「なんだ、知ってたのか。それなら話が早い」

「おっと嫌な予感」

「お前だんだん正直になってきたな」


 やだなぁ私はもともと正直者ですよ――とは、心の中だけで言うにとどめておく。

 呆れた顔で溜め息をついて、王子は足を組みかえた。それから、気だるそうに話し始める。


「中等部の理科室の備品――骨格標本だったな。それが壊されていたそうだ。バラバラに」

「へぇ」

「その関係で、現在防犯カメラを付けていない場所にも設置することになった。今週の土日に設置作業が行われる。――あの場所にいるのはいいが、双眼鏡はやめておけよ」

「……はーい」


 何のことを言われているのか、とてもよく分かる。くっそ、畜生、絶好の覗きポイントが……私の一日の活力が……!

 ふと、疑問に思っていたことを思い出して、声を潜めた。


(「……そういえば、どうして私があそこにいるって分かったんです?」)

(「お前が覗いていないわけがない。けれどどのカメラにも映っていない。防犯カメラがなく、かつ、駐車場を覗ける場所となれば、随分と絞られる。あとはそれらしい場所に向かって、合図を出すよう、金井に頼んだだけだ」)

(「つまりあれはハッタリだったってわけですか……!」)


 なるほどそういうことか……くそう、騙された……。

 軽率に反応しなければ良かった、と臍を噛んでいたら、王子がにやりと片頬を吊り上げた。

 おぉっと悪い笑み! さらなる嫌な予感!


(「――あいつには教えていない。……バラされたくはないよな?」)

(「ひぇっ……」)


 お、脅し! 脅迫! 人としてどうなんだこの悪魔! あっ、悪魔だから関係ないのか! くそっ!

 王子は悠々と腕を組み、にこにこしている。


「来週の成果に期待だな、美山?」

「……はーい、頑張りまーすぅ……」


 そう言う他にないでしょう! この野郎! 涼しげな顔しやがって……いつか絶対に吠え面かかせてやる……!

 決意新たに、良心の呵責など欠片も持ち合わせていなそうな王子を睨んでいると、不意に彼は目を瞬かせて、


「――っと、平野。止まれ」

「はい」


 危険のない程度に素早く、平野さんが車を道端に寄せた。流れるように金井さんが車から出て、王子の側の扉を開ける。


「すぐ戻る。少し待ってろ」

「はい」

「えと、あ、はい」


 一体何がどうしたって言うんだろう? まったく理解できていない私を車内へ置き去りに、王子は金井さんとどこかへ歩き去ってしまった。


「竜宝様は時折、このようなことをなさいます。お帰りになってから、ご説明があると思いますので、申し訳ありませんがしばらくお待ちください」

「あ、はい。わかりました、ありがとうございます」


 ――……って、ちょっ……待っ……!

 普通に受け答えしてから、ワンテンポ遅れて、ようやく私は気が付いた。


(――待って今コレ平野さんと二人きりじゃん?! うわああああああああああっ!)


 意識した瞬間、空気が沸騰した。エアコンの効きが一気に悪くなる。顔が火照って喉が渇いて、唾すら飲み込めなくなる。心臓が変な音を立てて収縮して、言葉は凍り付き腹の底に転がる。車の中だけ時間の流れから切り離されてしまったような感じがした。動いていないはずの窓の向こうが流れていくような幻覚に襲われる。


(うわ……どうしようこれ、緊張する……何か話したいのに、何も話せない……!)


 最初の一言が重たい。天気の話から入るのが無難? それとも共通の話題、王子とか金井さんとかをネタにする? いやいやせっかくお話しできるのに平野さんのことを聞かないとかありえない! それなら、どうしよう? “どうして王子のボディガードになったんですか?” ――いやこれ重たいな。もっと軽く――“平野さんって休日は何をなさってるんですか?” ――これだ! よし、これでいこう!

 話題を決めて、私はシミュレーションを開始する。

 大丈夫、自然に口を動かせば声は出る――ひらのさん、って、きゅうじつは、なにをなさってるんですか? ――大丈夫、変な話題じゃない。言葉遣いも悪くない。――平野さんって、休日は、何をなさってるんですか? ――早口になるなよ。聞き返されたら平静を保てる自信がない。ちゃんと聞き取ってもらえるように、しっかりと腹から声を出すんだ。


 ――よし。


 次に息を吸ったら言う。


 ――……よし。


 次に息を吐いたら言う。


 ――…………よし!


 もう一回深呼吸しよう。


 ――――……………よし!!


 大丈夫、いつも通りに、自然に――口を開けて――閉じる。


(待って……声が出ない。怖い! だめだ緊張して言葉が出てこない! 何コレ?!)


 喉の奥に空気の塊が詰まっていた。それのせいで声帯が震えない。無理に動かそうとすると、変な声が出るような気がして、怖い。


(駄目だ……待って……無理だこれ……)


 用意した台詞が頭の中をぐるぐると回る。よくよく考えてみたらこの話題、“特に何も”とか返されたらまったく広がらないよな……話題のチョイスも雑魚だった……しかもプライベートなこと聞かれたくなかったりするかもしれないし……駄目だ。駄目だ!

 四方を高い石壁に囲まれた独房に放り込まれた気分だった。しかもその内水責めに遭うって分かってる独房。途方もない絶望感。あぁ、空気が重たい……。


「あの、どんな鳥がお好きなんですか」


 スパンッ、と吹っ飛ばされたような衝撃を受け、私は顔を上げた。

 平野さんがバックミラー越しにこちらを見ている。


「……え?」

「あ、すみません唐突に」

「あ――いえいえいえいえ! とんでもない! あの、えっと、鳥、ですよね? えっとー……」


 鳥? え、なんで鳥? ――あ、そっか、私、バードウォッチングが趣味だってことになってたんだった。ってことは野鳥で――えっと、好きな鳥――? タカとかハヤブサとか好きだけど、猛禽類はちょっとあれだよな印象が。他に、できるだけ可愛い鳥で、マイナーじゃないやつ――


「――……ぶ、無難ですけど……ツバメとか、好きです」

「ツバメ、ですか」

「はい」

「……」


 ――……えっ、ちょ、なぜそこで沈黙?! なんか変なこと言ったか私?! ツバメはもしかしてお嫌いでしたか平野さん!

 バックミラー越しだと表情がよく見えないから、不快なのか何なのかすら分からない。

 戦々恐々としながらの三秒は、一時間にも勝った。

 そして――ゆっくりと、平野さんが振り返った。いや、たぶん普通に振り返っただけなんだろうけど。私の目にはスローモーションに見えた。平野さんが振り返って――微笑を浮かべて――


「良いですよね、ツバメ。私も好きです」


 ――ハレルヤッッッ!

 私は心中で万歳三唱し神を讃えてから、意識して笑顔になった。でないと気持ち悪いニヤニヤ顔になっちゃうからね!


「毎年、同じ場所に巣を作るツバメがいるんです。それを見るのがいつも楽しみで」

「そうなんですね」

「ただ、その度に思い出すことがありまして……あまり愉快な話ではないんですが……」

「どんな話なんですか?」

「高校の頃、玄関先にツバメの巣があったんです。それが、ある朝落とされていたんです。そんなに高いところにあったわけではなくて、近くに下駄箱もありましたから、人間でもやろうと思えば手が届きました。私が最初に見つけたもので、一体誰がやったのかと思って、ちょっと周りを見に行ったら――」

「行ったら……?」

「――猫がいたんです」

「……え、まさか」

「はい。お食事中でした」

「うわぁ……」

「恥ずかしながら、それ以来、猫が少々苦手で……」

「そんな現場見たら誰だって苦手になりますよ……」


 リアルに現場を想像してしまった私が、ちょっと遠い目をしていた所為だろう。

 平野さんがパッと居住まいを正して、小さく頭を下げた。


「すみません、変な話をしてしまって――」

「いえ、そんな、全然!」

「いつも、話題の選択がおかしいと妹に怒られるんです。その話で喜ぶ女性はいない、と」

「~~~~わ、私は楽しかったです!」


 思わず大きな声で言ってしまった。言ってしまってから口を押えてももう遅い――ってなんか前にも似たようなことした気がするな……この学習能力の無さ! 嫌になっちゃう!

 平野さんは少しだけ、目をパチパチさせて、それから改めて笑顔になった。


「そうですか。それなら、良かったです」

「っ……」

「おや、戻ってこられましたね」


 時よ止まれ、と願ったのも無理はないだろう。もっと、もっと平野さんとお話がしたかった。もっとたくさん、もっといっぱい、あなたのことを知りたい……――

 ――あぁ、でも、今はこれぐらいが限度かもしれない。平野さんは大人だから、気遣いの出来るお人だから、礼儀として私に話しかけてくれたんだ、って、それぐらいのこと分かってる。


(……自分から話せるようにならないと……!)


 ちょっと二人きりになったぐらいで、すぐ硬直して何も出来なくなるようじゃ、実る恋だって実らない。

 私の恋は私が動かす――そういう心構えでなくちゃ、神様は味方してくれないから……!


 ――……それはそれとして、猫がちょっと苦手な平野さん、ちょー可愛くないっすか?!



 

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