もっとお話がしたい! 9
月曜日。朝。
「あぁ……今日も平野さんはカッコイイ……」
ストーカーですよストーカーです。甘んじて認めましょう。認めた上でこう言いたい。それほどまでに好きなんだ、と。
……そういえば、どうしてここで覗いてることがバレたのか、聞くの忘れたな……まぁいっか。何も言われない限りは気付かれていないものとして、知らんふりを続けよう。現状維持、だーいすき。
「何やってんの?」
「ふわぁっ!」
突然背後から声をかけられ、私は全身で飛び上がった。
振り返るとそこには――
「え、江国さん……?」
「ふぅん、ここから駐車場が見えるんだ。舞鶴さんの言ってたことも、全部勘違いってわけじゃなかったのね……」
「えっ、いや、違う! 違います違います違いますっ! 私は王子のことなんか心底どうでもいいんで!」
「そうなの?」
「そうです! はい!」
「じゃあ、なんでこんなところに?」
「それは――その――」
咄嗟に言い訳が思い付かなくて、代わりに平野さんの顔が浮かんできて、顔が真っ赤になるのを自覚する。
江国さんがニヤリと笑った。
「好きな人がいるんだ」
「ひぃっ……」
「でも王子じゃないのね。なら一体、誰かしら……」
こ、これは……誤魔化し切れない……! 江国さんは鋭くこちらを見やっている。絶対に見逃さない、という謎の気概を感じた――こんなところで、こんなことに、そんな本気出さなくてもいいでしょ! ねぇ!
「誰なのかなー?」
「う……え、っと……」
「――あ、分かった。運転手さんとか?」
「っ!」
「やった。当たりね。そっかー、なるほどねぇ。それで、“勘違い”か」
「あ、う……あの、え、江国さん」
「咲貴子でいいよ。こっちも、美玲って呼んでいい?」
「え? あ、うん。いいけど」
唐突な話題の転換に驚いて、無駄にたくさん頷いてしまった。
江国さん――咲貴子ちゃんはふわりと笑って、壁に寄りかかった。
「安心してよ。誰にも言わないからさ。――改めて、よろしく」
「うん。よろしく」
報酬は写真だけでも充分だったんだけど――もしかしたら、報酬以上のものを手に入れられたのかもしれない。
咲貴子ちゃんは肩越しに窓の向こうを見て、ぼやくように言った。
「それにしても、怖いね、御ノ道家は」
「え?」
「一昨日さ、学校からメールがあったでしょ? 講演会のお知らせ」
「あぁ、うん。あったね」
御ノ道学園では、ほとんどのお知らせがプリントではなく、メールで届く。不審者情報、短期留学募集、テスト範囲、夏季休暇中の課題リスト――保護者と生徒のメールアドレスがそれぞれ学校側に登録されていて、一斉に送信されるのだ。チラシや表がある場合は、もちろんファイルとして添付されている。無駄なプリントが無いのはありがたいし、いちいち親に見せなくていいのも楽だ。
「あれさ、チラシが添付されてたじゃない」
「うん」
「そのファイルを開いたらね――スマホが壊れたの」
「え?」
私は耳を疑った。ファイルを開いたらスマホが壊れた? どういうこと?
「ウイルスが仕込まれてたみたいでね。データが完全に破壊されて、復旧はどう頑張っても無理だって。……間違いなく、御ノ道家の仕業だと思うんだけど、どう思う?」
「それは……――」
やりかねない。アイツらならやりかねない! なるほどサルベージを警戒して完全に破壊しきったのか、さっすが、徹底的だなぁ! 本当に最低だ!
咲貴子ちゃんは、最初から私の答えなんか期待していなかったようで、「ま、今更どうでもいいけど。……新しい就職先も、本当に紹介してくれたし」と言いながら姿勢を正した。
「ただただ、格の違いを思い知らされた、って感じ。――本当に、怖い相手だよ」
「……」
「教室、まだ戻らないの?」
「ううん、行こう」
怖い相手――分かってる。思い知るのは二度目だ。
それでも引けない、引きたくない、引くわけにはいかない――と思う私は、真正の馬鹿だろうか。
(馬鹿でもいいよ。それで好きな人に会えるなら)
賢くあるためにこの想いを捨てられるなら、そんなのはきっと恋じゃない。
(――……でも……もっと、お話がしたいなぁ……)
☆
波瑠ちゃんには「色々あったことは確かだけれど、すべてそよ風の如く過ぎ去ったよ!」と言った。
そうしたらジトっとした目で凝視された後、深々と溜め息をつかれ、「まぁ、もう終わったのなら仕方ないわね……」と言われた。なんかいろいろと察していそう――だけどまぁいいや、うん。不問にしてくれるなら有難く恩恵を受けよう!
「で、平野さんとはどうなの?」
「どうって……」
「少しはお近付きになれたわけ? それが目的なんでしょう?」
「……」
「使われるだけ使われて、目的は果たせてない、と。お人好しも大概にしないと、苦労ばっかりで良いことないわよ」
「……はぁーい、分かってまーす……」
私は思い切り溜め息をついて、机に突っ伏した。
「でも実際どうすればいいんだろうね! 唯一の繋がりがVIPだから、そこを切ったら詰みだって分かってるから切れないんだけど、かといってさぁ、相手は社会人だし……どうすれば話ができるの……? 上手く場を作ったとして、何を話せばいいの……?」
「無難に仕事の話でも聞いてみればいいんじゃない?」
「大体知ってるし」
「あんたもう相手のこと調べ尽くすのやめなさい」
「言うのが遅いよ波瑠ちゃん!」
おーいおいと泣き真似をしていると、ふいに、机が陰った。そこで初めて、教室が静かなどよめきに包まれていることに気が付く。
――ついでに、波瑠ちゃんの方からピリピリした空気が出ていることにも。
一体全体どうしたというんだろう、と、恐る恐る顔を上げると、
「ひぇっ」
思わず引き攣った声が上がってしまった。すると彼女は――舞鶴羽美子は「なによ。何か文句があるってわけ?」と口を尖らせた。
「い、いえ、いえいえ文句なんてそんな畏れ多い……」
言いながら、目を合わせられない。きっと王子のことだから、土日の間にきちんと誤解は解いてくれてあると思うんだけど……思うんだけど? どうして、その張本人が一人でひょいっと私のところに来るんでしょうね? 何の用? どんな企み?
しかも波瑠ちゃんが怖い! めっちゃ睨んでる!
そして波瑠ちゃんにすごまれても微塵も慄かない舞鶴さん……さすがっす……なんだこの二大巨頭、怪獣映画かな……。
舞鶴さんが、ふん、と鼻を鳴らして、
「美山、今週の日曜は暇ね?」
「え?」
「暇じゃなくても空けなさい」
「あの……え? はい?」
「一時半に駅前ね。忘れたり遅れたりしたら承知しないから。それじゃ」
「ちょっと待ってもらえるかしら、舞鶴さん」
何も言えない私に代わって、波瑠ちゃんが口を出した。かろうじて疑問形でありながら、“待つ以外の選択肢はすべて却下だ”と言外に匂わせる口調。
立ち去りかけた舞鶴さんがくるりと振り返り、心底嫌そうに顔をしかめる。
「あら、あなたいたの?」
「随分と目が悪いみたいね。眼科にかかったらいかが」
「見る必要の無いものは認識しないってだけよ。合理主義なの」
「そう。じゃあ悪いのは頭ってわけね」
堪忍袋の緒がみしみし言ってるのが聞こえた私は慌てて波瑠ちゃんに待ったをかけた。なんで流れるように罵倒合戦になってんですかねぇ?!
波瑠ちゃんは小さく溜め息をついて、仕切り直した。
「それで、舞鶴さん。あなたは休日に美玲を呼びつけて何をするつもりなのかしら」
舞鶴さんは小馬鹿にするように首を振った。
「それ、あなたに関係あって? 保護者でも気取ってるつもり?」
「そうよ」
波瑠ちゃんは平然と即答する。そっかー、波瑠ちゃんは私の保護者だったかー……うん、否定は出来ないな。する気もないけど。
まさかの即答に面食らったらしい。言葉を詰まらせた舞鶴さんに、波瑠ちゃんは鋭いメスを入れる。
「で、何を企んでいるのかしら――返答によっては、ただじゃ済まさないけれど」
「……別に、何も」
「何も? あなたが? まさか本当に考えていないわけがないでしょう?」
「……あんたに言う必要は無いわ!」
「そう。それじゃあ、美玲、従う必要は無いわよ」
「ちょっと、なんであんたが決めるのよ!」
「私は美玲の友人だもの。危険だと分かってる場所へなんてみすみす行かせないわ」
「っ……」
顔を真っ赤にして歯を食いしばった舞鶴さん。ちょっと可哀想かもな、でも実際怖いしな……――とか思った瞬間、
バンッ
「ひぃっ!」
舞鶴さんが机に手を叩きつけて私の顔を覗き込んできた。そして私を睨みつけて、睨みつけて、怒り狂った――いや、不貞腐れた表情で、囁くように言った。
「……ただのお詫びなんだから、黙って来なさい。いいわね?」
「……」
「なんなら――」と、少しだけ顎を動かして、「――嫌だけど、コイツも連れてきていいから」
私は心底驚いて――それから、なんだか愉快になってきてしまった。「ちょっと、何やってるの」「うるっさいわね少しは黙ってなさい! 過保護か!」「過保護で結構! でなきゃ。あなたもこの子も何するか分からないもの」「あんたはあたしを何だと思ってるわけ?!」「典型的な悪役令嬢」「はぁ?!」――などと言い争っている二人を前に、呑気にも笑えてきてしまう。
そうだ、怖くなんてない――私には波瑠ちゃんがいるし、舞鶴さんは私と同じ、片思い仲間なんだから。
「わかりました、行きます」
言った瞬間、二人の言い争いがぴたりと止まった。
「ちょっと美玲、正気?」
「もっちろん。波瑠ちゃんも一緒に行こう?」
「はぁ?」
「いいんだよね、舞鶴さん」
確認すると、舞鶴さんは恥ずかしそうにそっぽを向いて、頷いた。
全身に疑問符と警戒心を纏わりつかせている波瑠ちゃんを前に、私がこっそり、
(これが世に言うツンデレってやつですかぁ……可愛いなぁ……)
なんて考えていたことは、絶対に、秘密である。
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