もっとお話がしたい! 8

 

 沈黙が重苦しい車内に、ぽつりと、雨粒のような声が落ちた。


「……お父さん、『MY-TOOL』は良い職場だ、って、ずっと言ってたわ」


 深く俯いたまま、消え入りそうな声で、江国さんが語る。


「解雇されても、恨み言一つ言わないで……でも、産業スパイだなんて疑われた人間を、雇ってくれるところなんて無くて……――」


 私は思わず首を傾げていた。江国さんのお父さん、土曜日にスーツで出ていってたよね……? あれは、仕事に行ったんじゃなかったのかな?


「あったんじゃないのか」

「……」

「……路栄か?」

「っ――」


 王子の追及に、江国さんはびくりと肩を震わせて――それはもはや肯定に等しい反応だ、と、自分で気付いたらしい。

 溜め息。


「そうよ。路栄ソフォースの事務。いきなり課長クラスに据えられて――それ以来、ずっと激務続き。見ていて悲しくなってくるくらいにね」

「その動画を撮ったのは、路栄に売るためだったのか?」

「あなたが断るならね。そうすれば、待遇の改善ぐらいは交渉できるかもしれないから……」

「なるほど。それは困るな」


 あまり困っていなさそうな調子でそう言って、王子は鷹揚に腕を組んだ。


「――元には戻すことはできない。が、新しい就職先を用意することは出来る。いくつか、確実に入れるポストをピックアップして伝えよう。少なくとも、路栄に使い潰されるよりはマシだと思うが――それでは不満か?」

「……本当に? 嘘だったら許さないわよ」

「こんなことで嘘なんかつくものか。その動画は間違いなく、最強のカードだからな。切られないためなら、この程度のこといくらでもする。隣のそいつが証人だ。不備があれば二人で訴え出ろ」


 不安げな顔付きで江国さんがこちらを窺った。私は笑って頷き返す。良かった、江国さん良かった! 王子は高慢で最低最悪だけど、ギリギリのところで薄情者ではない!

 その時不意に、江国さんが表情を引き締めた。


「美山さん、本当に良いの?」

「え? 何がです?」

「あなたは被害者よ。この動画は、あなたがいじめられた証拠――消したら、あなたは泣き寝入りする他なくなるわ。本当に消していいかどうかは、あなたが決めるべきなんじゃない?」

「え……? あー……」


 そう言われてみれば……確かに……最近人権をないがしろにされすぎててすっかり忘れてたけど、そういえば私は被害者だった……。

 ちらりと王子の方を窺うと、『お前分かってんだろうな?』という顔をしていた。――……ええ、分かっておりますよ。分かっておりますとも! でもなんかそういう圧力掛けられると、ついうっかり滅びの呪文ネットにさらせを言いたくなっちゃうよね!

 ――でも、まぁ。

 そんなことをしたら、江国さんの決死の覚悟を無駄にするわけだし。

 私はやんわりと首を横に振った。


「……いえ、私は大丈夫です。消しても構いません」

「でも――」

「それじゃあ、私からも交換条件を出しましょうか」

「交換条件?」

「はい。――王子」

「なんだ」

「舞鶴さん達は誤解をしています。今回の件は、勘違いが原因なんです。ですので、彼女たちの誤解を解くのを、手伝っていただけないでしょうか?」


 王子は元々そうするつもりだったと思うけれど。こうでもしないと、江国さんは納得しないだろうから。王子はまるで初対面の庶民にそうするように、「分かった。いいだろう」と悠然と頷いた。


 ☆


 動画データを削除させた時、車は江国さんの家の前に着いた。いやぁ、相変わらず完璧なタイミング! さすが! 惚れちゃう! もう惚れてるけど!


「改めて連絡する」

「……よろしく」


 若干不満そうに、江国さんは車を降りていった。

 もう外は暗くなっている。住宅街の柔らかな光が、道路を点々と照らしている。この辺りは本当に閑静で、素敵な住宅街だ――頭に“高級”と付くのだけれど。


「ご苦労だったな、美山」


 超上からねぎらいの言葉を掛けられて、温厚な私もさすがにカチンと来た。ゆっくりと振り返って、王子を真正面に見据える。


「――……どういうことなんですか、王子」

「何がだ?」

「今回の件! わざと舞鶴さんに私のこと捻じ曲げて伝えたでしょう! 誰が王子のストーカーですって? 誰が!」

「吠えるな。うるさい」


 シッシッ、と本当に犬にするように手を振られて、私はぐっと言葉を詰まらせた。コイツ……殴ってやろうかマジで……。


「元はといえば、この車に乗るところを見られたお前が悪い」

「はぁっ?!」

「舞鶴から質問攻めにされた俺のことも少しは考えてみろ。その時にふと思い付いたんだ。どうせお前がこの先も俺の手先として活動していくなら、いずれ舞鶴にはバレると思っていたからな。いっそバラしてしまおうか、と」

「それだけのために……?」

「ついでに江国のような輩がいたら炙り出せるかとも考えた。まんまと引っ掛かってくれたな。これで一石二鳥だ。あぁ、舞鶴のことはもう気にしなくていいぞ。さっきの交換条件の通り、こちらできちんと処理しておく」

「……ちなみに、ですけど……舞鶴さんには、何て言ったんですか?」

「嘘はついていない。ただ俺は、“最近俺の周りをうろつく女がいる”“神酒蔵とつるんでいるから下手なことが出来ない”と言っただけだ」

「……最っ低」


 腹の底からフツフツと湧き上がってきた怒りに任せて、私は呟いた。最低。最低だ。もう我慢できない……!


「あー! 最っ低! 本当に最低! 男として、いや人間として最低最悪! もういいです、ここで降ろしてください! もうあんたの指示なんて絶っっっ対に聞きませんから!」

「はぁ? 何をそんなに怒って――」

「これが怒らずにいられますかっ?!」


 思わず怒鳴りつけると、さすがの王子も怯んだようで、口を閉ざした。


「もっと平和的なやり方があったでしょう! というか平然と人を餌にするの勘弁してもらえますっ? めっちゃ怖かったんですから! 本っ当、舞鶴さんの迫力マジでヤバかったんですから!! それにですねぇ――」


 私が怒るのはそこだけじゃない。私が犠牲になったことだけを怒ってるんじゃない。


「――舞鶴さんだって、利用されたくなかったと思いますよ。分かってます? 王子がただそれだけ、ほんの一言二言言っただけで、舞鶴さんはここまで動く人なんですよ。……気付いてて、やったんですか?」


 王子は目敏く、舞鶴さんの好意は全開だ。気付いていないはずがない。けれど、気付いていて利用したなら、それはもっとムカつくんだ。

 恋する乙女をいいように転がすなんて――許せない!


(……いやちょっと待て、私もだいぶ転がされてないか? 自分のこと棚に上げてない、これ?)


 つい自問自答してフリーズした私。

 その目の前で、王子が唐突に、頭を下げた――?!


「――悪かった。やりすぎた」

「……えっ?」

「何だよ。二度は言わないぞ」

「……王子って、そういうところだけズルいですよねー。もっと徹底的に非人間だったら、あっさり見限れるんですけど」

「お前も大概正直者で、チョロい女だな」

「チョロい……っ?」

「素直に謝る振りなんて呼吸より簡単だ。騙されないように気を付けた方がいいぞ」

「それをあなたが言いますか」


 王子はフン、と鼻を鳴らして、「報酬だ」と白い封筒を机の上に滑らせた。


「なんですかコレ? ――……っ!」


 封を切った瞬間、私の目は潰れた。あぁ勿論比喩だ。比喩だとも! でもあまりの眩しさにしばらくの間は目を開けられなかった! 幻覚? 幻覚だったのかしら……そうだ幻覚に違いない。まさかあの写真だなんてそんなことは――と恐る恐る目を開けて――ふああああああああああっ! 幻覚じゃなかったぁぁぁああああああああっ!!


 封筒の中から現れたのは、王子の誕生日パーティの時の――平野さんのお写真! 私を抱えていることに関しては正直恥ずかしすぎて顔から火が出そうなんだけど! でもあの幸せ! 幸福! これを至福って言うんですね神様!


 ――ん? あれ? もう一枚ある……――っ?!!!!!


 重なっていた二枚目をぺらりと開いた瞬間、私は昇天した。無論、比喩だ。比喩だとも! でもこここそが天国だと確信した!


 ――平野さんのオフショット。私服で、ビールのジョッキを片手に笑っているお姿が、そこに――!


「っ、こ、この……二枚目は、一体……っ?」

「スポンサーは金井だ」

「金井さんありがとうございますっ!!」


 きっとたぶんおそらく確実に本人の許可は無いんだろうけど! ごめんなさい! 今だけ知らんふりさせてください! だってかっこよすぎるんですもの! そして可愛いんですもの! 嗚呼絶景かな絶景かな!

 私は歓喜の涙(注:エアー)を流しながら、丁重にその二枚を封筒に入れ直して、鞄にそっと仕舞った。これでしばらくは生きていける……!


「霜月七星の方もよろしくな」

「はい! もちろん! ――……あ」

「よし、言質は貰った」

「あぁ~……!」


 言ってしまった……こうやって私はこのクソ王子の奴隷に成り下がるんだ……くそうっ……!


 この王子を飛び越えて、平野さんのところへ行くまでは、まだまだ距離がありそうだ。――しかも、ルートを間違えているような気すらしてきたのだが、さすがにそれは、気のせい、だよね?


  

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