もっとお話がしたい! 7

 


「災難だったわね。あの女に目を付けられるなんて。でも、迂闊に御ノ道くんに近付いたのも、あまりよくないわよ」

「はぁ、はい……」


 私は江国さんと連れたって学校を出た。


(……え? 何でこうなった?)


 まったくもってよく分からないが――どうやら江国さんは、ことの成り行きを別の場所から見ていたらしい。「服は平気? あら、ほとんど濡れてないじゃない。え? 傘を差した? すごい機転ね」と言われたことから、一部始終を子細に観察していたことは確かだ。


(そういえばあのトイレ――ある角度からだと、けっこう奥まで覗けるんだったな……)


 人気がないだけあって、知っている人はほとんどいないだろうけど。ちなみに私が知っているのは、入学したての頃、あえて人気のないあのトイレを好んで利用していたためである。

 江国さんは、私(つまり平均)より少し高い身長で、さらさらのショートカットがよく似合っている。生真面目そうな、けれど物腰は穏やかな、噂通りの優等生。けれど今は少しだけ怒っているような雰囲気で、唇を引き結んでいる。


(正義感が強い? けれどそれなら、事の最中に飛び込んできそうなものだけど。そうは出来ない自分に怒ってる……って感じなのかな。それなら、まぁ、分からなくもないけど……)

「ねぇ、あなた」

「あっはい、何でしょう?」

「名前は?」

「み、美山美玲、と申します」

「そう、美山さんね」


 と、江国さんはひとつ頷いて――こちらをちらりと見た。その強い視線は、すぐに真っ直ぐ前に向き直って、何も無い空中を睨みつける。


「ごめんなさい」

「え?」

「利用するのを、許してね」

「あの、それは、どういう――」


 その時。

 黒塗りの高級車が私たちのすぐ横を通り抜けて、少し前で止まった。見覚えのある車だ――というか、あれは――


(王子の車だ?!)


 普段通学に使っているものとは違う、もう二回りかそれ以上大きな、いわゆるリムジンと呼ばれる車である。パーティの時に見かけて、うわぁさっすがだなぁと思っていたのだ。

 助手席の扉が開いて、金井さんが姿を現した。いつものような薄い笑みを浮かべて、こちらにかっちりと一礼。そうして、


「突然申し訳ございません、江国様」


 江国さんに向かって話しかけたのだ。

 唐突なことに固まる江国さん。

 しかし金井さんは構わず、後部座席の扉を開けて、


「竜宝様が中でお待ちです。どうぞ、お乗りください」


 と続けた。

 断られることなどまったく想定していないような言葉だ。けれど普通の人間なら、ほとんど話したことも無い学園の王子様の車に、突然言われて乗り込んだりはしないだろう――


「――上等だわ」

「え?」


 そう囁くが早いか、江国さんはまるでリングに向かうボクサーのように決然とした足取りで、車に乗り込んだ。

 一番混乱したのは私だ。けれど混乱したままに、そういえば報告のこと忘れてた、と思って、私も車に向かう。金井さんが扉を閉めないことから考えても、私も乗るべきなんだろう、これは。

 乗る直前、金井さんがふとこちらに屈んで、「何もおっしゃらないように」と囁いた。

 疑問を投げる間もなく、扉が閉まる。


   ☆


 リムジンの後部座席ってヤバいね。語彙力が失われるほどに。白い革張りのクッションはふっかふかだし、すごく広くて快適だし、動いているという感じがしない。滑るように進んでいく乗り心地。ヤバい。これは本当に、やばい。

 ――そして何より、こんな大型の高級車を平然と運転なさっている平野さんですよ! うっひゃー超カッコイイ! 知ってたけど! 惜しむらくは、普通の車より運転席の方が窺いづらいことだ……残念……まぁ、見えなくはないからいいけれど。本当は、先に乗った江国さんの側に行けば、もう少し見えるんだろうなぁ……席、変わってくれないかなぁ……。


「さて、江国咲貴子」


 王子の冷たい声で、私は現実に引き戻された。

 横並びに座った江国さんと私の前に、王子が悠々と足を組んでいる。ムカつくほど平然とした顔だ。くっそ、殴ってやりてぇ。コイツの所為で私は……私は――!

 と、思ったけれど、とりあえず黙っておく。金井さんの顔を立てて、というのもあるし、何より、王子のご用は江国さんにあるようで、私の方などちらりとも見ないでいるから。

 沈黙は金。そっと息を薄める。


「俺に、何か用事があったんじゃないか?」

「随分と耳が早いのね。早すぎて、関与を疑うくらいよ。さすが王子、とお褒めするべきかしら、御ノ道くん」

「見え透いた世辞はいらない。とっとと本題に入れ」

「……これを見てもらいましょうか」


 と、江国さんが突きだしたのは、スマートフォンだ。そこから音声が流れ出る。


『ようやく捕まえたわ、この地味女。あたしの許しも無く竜宝に近付くなんて……覚悟は、出来てるんでしょうね。――生きて帰れるとは思わないことね』

(っ! これは――)

『さぁ、どうしてくれようかしら。遠くから眺めるだけなら許してあげても良かったけれど、つきまとうなんて言語道断。竜宝の優しさを利用して、車にまで侵入するなんて――決して、許せないわ!』


 つい先ほどまでのやりとりが鮮明に思い出される。あれは、確かに、間違いなく、言い逃れのできない、いじめの現場だった。なるほど、この映像を撮っていたから、江国さんはすべてを知っていて――それでいて、途中で飛び出すような真似をしなかった!


(けれど、どうして――これで、王子を脅すような真似を? 彼女の目的はなんだ?)


 ばしゃーん、と、水がぶちまけられる音。『身の程を思い知ったかしら。これに懲りたら、もう二度と近付かないことね』高笑いを最後に、映像は終わったらしい。江国さんはスマートフォンをポケットにしまって、改めて口を開いた。


「この通り、舞鶴羽美子の凶行の一部始終を収めたわ。彼女があなたのファンクラブとか何とか言って、女子をまとめているのは知っているでしょう? ここに加担しているのは、全員その子たちよ。彼女たちの暴走を止められないのは、あなたにも責任の一端があるんじゃないかしら」


 映像を見ても、江国さんに言われても、王子は眉一つ動かさなかった。


「さっきから言ってるだろう。早く本題に入れ、と」


 その超然とした態度に、むしろ江国さんの方がムッとしたようで。唇が歪み、視線の鋭さが増す。

 それを真正面から受けていながら、王子は無表情で、どこかつまらなそうに、淡々と言った。


「正義感からそうしたなら、俺ではなく教師に話すはずだ。学園側の人間が信用できないなら、ネットにでも流すだろう。わざわざ俺の車に乗り込んで、その映像を見せつけたということは、映像と引き換えに何か要求がある、と考えるのは自然な発想だ。で、何が望みだ?」

「――……私の父は『MY-TOOL』に勤めていたわ。けれどこの春、不当に解雇されたの。それを問いただして、本来の状態に戻してほしい」

「その要求は俺ではなく、舞鶴にすべきなんじゃないか?」

「直接舞鶴に言ったら、いろんな手でもみ消されるに決まってるわ。けど御ノ道家が一枚噛めば、もう少しまともに話ができるでしょう」

「なるほど」


 王子は軽く頷くと、おもむろにスマホを取り出して、何やら操作をすると、耳に当てた。


「――こんにちは、御ノ道竜宝です。今お時間ございますか。――どうも。少々お聞きしたいことがありまして。江国優作という人物が、この春までそちらにお勤めされたと思いますが、心当たりは」


 江国さんがピクリと反応した。……それもそうか。教えた記憶はないのに、向こうが自分の父親の名前を把握していたら、誰だって相当ビビりちらす。

 しばらく王子は誰とも知らない相手と会話をして、三分ほどで電話を置いた。そして、感情のこもっていない目で江国さんを見て、


「結論から言おう。お前の父親の解雇を取り消すことは出来ない」

「はぁっ? どうして――」

「そもそもの解雇の理由だが。表向きは依願退職。実際は、産業スパイで情報を横流ししていると噂されたことが原因らしいな。しかも、そのことが顧客側に伝わっていて、不信感を持たれたのがまずかった」

「っ……だからそれは、誤解で――」

「誤解だろうが何だろうが、一度立ってしまった風評を否定し切れなかったのは事実だ。そしてそれを元に処分をした以上、覆すのは信用に関わる」

「……」


 断固とした口調の王子に、江国さんは黙ってうつむいた。膝の上で握りしめられた拳が、かすかに震えている。


(え……えぇ~……どうにか出来ないの? どうにも出来ないの? 江国さんはこのために、私に謝ってまで……)


 今さらあの謝罪の意味を理解した。私を利用する、とはこういうことだったんだ。そしてそれはきっと、江国さんの信念には反することで――それを覚悟の上で、それでも、と押し切って来たのに、そんなあっさり希望を断つなんて――!


 ――よし、ここは私が!


 勢い顔を上げると、王子と目が合った。……ん? 何だ? 口をパクパクさせて……


『だ』『ま』『れ』


……黙れ、だって? はぁ~ん、これが黙っていられるか、って――


「……」

「……」


 私の反骨精神を察したらしい王子が物凄い目つきで睨んできた。『お前、ここで余計なことを言ったらわかってんだろうな……?』という台詞がどこからともなく聞こえてくるようだ……。

 私は大人しく白旗を上げた。


 あぁあ、これが学園トップかぁ……世も末だなぁ……。


 

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