もっとお話がしたい! 6


 ――それは、金曜日のことだった。


「それじゃあ、美玲。また来週」

「うん! ばいばーい!」


 私が王子の下校まで居残る、と分かっている波瑠ちゃんは、先に席を立った。

 凛々しい後姿に手を振って見送り、よし私もそろそろ行こうか、今日は報告の日だし――と荷物を持ったその時。

 ふ、と手元に差す影。

 ぞくり、と首筋を走った悪寒。

 恐る恐る目をやると、そこには腕を組んで立つ女子三人――王子親衛隊の、姿が。


「美山さん? ――少し、お時間よろしいかしら?」


 よろしくない、とは、口が裂けても言えない雰囲気だった……。


   ☆


 そうして連れてこられたのが、校舎内で最も遠く、最も人気が少ないトイレであって。

 輪の中心で腰に手を当て、顎を高く上げた、見るからに気の強い美少女が――舞鶴まいづる羽美子うみこさん――日本トップの家具メーカー『MY-TOOL』の一人娘、王子の幼馴染にして親衛隊を束ねる猛者である。ツインテールがたいへんよくお似合いだ。

 その舞鶴さんが、大勢の手下を背景に、鋭い啖呵を切る。


「ようやく捕まえたわ、この地味女。あたしの許しも無く竜宝に近付くなんて……覚悟は、出来てるんでしょうね。――生きて帰れるとは思わないことね」


 真正面からそれを受けて、私はもう膝から崩れ落ちそうになった。

 王者の風格とはこういうことか――っ!

 私のようなモブ・オブ・モブでは唾を飲み込むこと、いや、息をすることすら困難だ。それほどの圧力。それほどの威光!


「さぁ、どうしてくれようかしら。遠くから眺めるだけなら許してあげても良かったけれど、つきまとうなんて言語道断。竜宝の優しさを利用して、車にまで侵入するなんて――決して、許せないわ!」


 誤解なんです――って言って通じるだろうか。いや通じまい。


「何とか言ったらどう? このストーカー女! 竜宝をあんなに困らせるなんて……!」

「……え?」


 私はその言葉に何か引っかかるものを感じて、思わず声を上げていた。

 舞鶴さんが眉を歪めて、改めて私を睨む。


「何よ」

「あの……つかぬことをお伺いしますが……」

「ハッキリ言いなさい」

「――私のことを、ストーカーだとおっしゃったのは、どなた様で?」


 その問いに――


「竜宝よ。決まってるじゃない」


 咄嗟に「はぁっ?!」と言いそうになったのをかろうじて抑えて、私は頭を抱えた。

 おいこらあのクソ野郎ぉぉぉおおおおおおおーっ!! 絶対に気付かれないはず、気付かれても捕まらないはず、って思ってたのに、アッサリばれたのはあんたの所為か! あんたが私を売ったのか! どうやって私だと特定したのかなーさすが統率力の高い組織はすげぇなー人海戦術おっそろしいーって思ってたら、はぁっ? 張本人がリークしたってわけ? 何考えてんのアイツ? ふざけんな! ふざっけんなってのよぉオイコラァッ!


「何をブツブツと言ってんのよ」

「いえ、何でもありません……お気になさらず……」


 何だかよく分からないけれど、とりあえずこれが王子の策略だということは分かった。私を用済みだと言いたいのか、或いはただの嫌がらせなのか、それともまた別の思惑があるのか――それは分からないけれど、(正直ただの嫌がらせのような気はしているが、)とにかく、こうなった以上、逃げる手立てがないということは間違いない。

 説得――は通用しないだろうなぁ。あれは完全に私を叩きのめすと決意している目だ。

 ちらりと辺りを窺うが、まったく隙間なく取り囲まれている。到底逃げられるとは思えない。まぁ、今日逃げたところで意味がないってことは分かってるけれど。


「どういうつもりで竜宝に近付いたわけ? まさか、あんたみたいな地味女が、相手にしてもらえるとでも勘違いしちゃった? ハッ、おめでたい頭ね。蛆でも湧いてんじゃない? かわいそーぉ」


 合いの手のように、くすくすくす、と冷たい忍び笑いが周囲から押し寄せてきた。おぉ……これは……私に非は無いと分かっているけど、けっこう来るものがあるなぁ……。なんというか、圧迫感が凄い。この世すべての悪とは私である、なんて、危うく誤認してしまいそうな空気感。


「脳味噌まるごと取り替えた方がいいんじゃないかしら。いい病院、紹介してあげるわよ?」

「いえ、あの……大丈夫、です」

「あらやだ、人のせっかくの厚意を無下にするなんて。最低ぇ~」


 くすくすくす、最低、人間のクズ、ゴミ以下、死んだ方がいい、生きてる価値無し――


(耐えろ、耐えろ私……! 大丈夫だ、命までは取られないんだから、この間の事件よりはマシ……!)


 隙間なく押し込まれる呪いの言葉を、必死に振り払う。胃がキリキリと軋む音を立てた。冷や汗が背中を伝う。

 その後も延々と、よくもまぁこれだけ罵倒の語彙力があるものだ、と感心すらしてしまうほど絶え間なく、罵られ続けた。体感では一時間程――実際は、十分程度だったかもしれないが。

 これまでステルススキルのおかげで、矢面に立ったことなど一度もない私の豆腐メンタルは、あっと言う間にぐずぐずになった。泣いて謝れと言われたら迷わずそうするだろう、トイレの床に額をこすりつけて土下座しろと言われたら躊躇なくそうするだろう、するからどうか許してくれ、解放してくれ――と心の中で懇願するほどまでに。

 もう顔など上げられないから、舞鶴さんがどんな表情をしているかなど分からない。

 けれど、


「あんた、一旦身も心も、綺麗に洗い流した方がよくないかしら?」


 そう言って指を鳴らした彼女は、たぶん笑っていたんじゃないだろうか。


「っ!」


 取り巻きの何人かに突き飛ばされ、個室に押し込められた。目の前で扉が閉まり、向こうでガタガタと何かをする音。扉を押したけれど、向こうから押さえられているようで、開く気配は無い。

 やがて、水の音が聞こえて――


(――……っ、これは、あれだ!)


 上から水が降ってくるアレ――!

 想像通り、それはバケツごと私の頭上に降り落とされた。


「身の程を思い知ったかしら。これに懲りたら、もう二度と近付かないことね」


 高い嘲笑が響き渡って、離れていく。

 撤退は鮮やかなものだった。ものの十秒としない内に、完全に気配が消えて――独り。

 私は深く溜め息をつくと――掲げていた折り畳み傘をしまった。


(いやー、間一髪だったけど、間に合って良かった……)


 予想が出来れば、対策も出来るということだ。これで鞄も制服も濡れていない。


(靴はちょっと濡れちゃったけど……まぁ、これぐらいで済んだなら、上等か)


 もう一度、深く溜め息。

 トイレの蓋の上に腰掛けて、ぼんやりと天井を仰ぐ。


(なんか……凄かったなぁ……)


 人間ってあんなに悪意を持てるんだ。そしてそれを躊躇なく相手にぶつけられるんだ。彼女には彼女なりの論理があって、こんなことをしたのかもしれないけれど――あまりに、幼稚。あまりに、傲慢。

 気に入らないことがあったら無理やり叩き潰す?

 嫌いな相手は徹底的に追い詰めて再起不能にする?

 そんなの――そんなの、まっとうな人間のすることじゃない!


(――ああもうっ! ……ほんっとうに、王子は許さない……)


 腹の奥底から滲み出てきた涙を、無理やり押し込んで、私は立ち上がった。無論、元凶に直接文句を言うためだ。そして彼になんとかしてもらおう。自分で蒔いた種は自分で回収して貰わなくては。

 そして――そして、もう、縁を切ろう。


(波瑠ちゃんの言う通りだったよ……あいつには、関わるべきじゃなかった)


 平野さんに会えなくなるのは残念だが、もう、いい。顔は覚えてもらえたし、行動パターンは自分で調べて自力で接近すればそれでいいだろう。近道をしようとしたのがいけなかったんだ。そうだ、何もあんな奴に頼る必要は無い。定期的に会えなくなっても、私は全然大丈夫だ――


(……とりあえず、今はここから脱出する方法を考えなきゃ)


 試しに扉を押してみたが、うん、びくともしない。モップとかで押さえてるんだろうか? それにしては頑丈だ。……もしかして、こういうこと、やり慣れてる?


(いやいやいやいや、それはちょっとヤバいだろう、舞鶴さん……)


 知らないところでいじめが蔓延してたとか、世間にバレようものなら一大スキャンダルだ。


(さて、正攻法は無理、と――下校時刻を過ぎれば警備員さんが来てくれるだろうから、そこで見つけてもらうって言うのはアリ。別にこれが公になったって、私は何にも困らないし)


 というかもみ消すだろうし。


(でもそこまで待ってるのはなぁ……あと二時間くらいあるし……かといって、上に登って天井と扉の隙間から飛び降りるなんて、そんなウルトラC不可能だし……)


 借りた本を持ってきておけばよかった。そうすれば二時間ぐらい、簡単に潰せたのになぁ。

 と思いつつ、無駄に待ち続けることを覚悟して――ん? 足音?

 誰かが近づいてきている。その足音は、私のいる個室の前に止まって、


「――あの、大丈夫?」


 声をかけてきた。


「ちょっと待ってね、すぐ開けるから」


 しかもこの感じ、どうやらトイレに来たわけではなく、私が閉じ込められていることを知っていて、それで来たようだった。

 誰だろう……なんとなく、聞き覚えのある声なんだけど……。

 首を傾げながら待っていたら、すぐに扉は開いて。


「大丈夫、じゃ、ないよね……」

「――……江国、さん」


 思わず呟いてしまった私の目の前で、「あら? 会ったことあったかしら」と、江国咲貴子さんは小首を傾げたのだった。


 

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