もっとお話がしたい! 4



 不気味なことだが――あれきり、親衛隊たちによる調査は鳴りを潜め、今週が終わった。


(絶対これ、嵐の前の静けさってやつ……!)


 だと、私は確信しているけれど、かといって何ができるというわけでもない。びくびくしながら過ごすほか、私には何も出来ないのだ。何かしようと近付くことがまず危険なのだから。

 つまり、今の私は、王子からの仕事に集中する他ないのである――。

 不幸中の幸いと言えるのは、調査対象である江国咲貴子さんが、親衛隊所属でなかったこと。むしろ、親衛隊にはあまり良い感情を持っていない様子。それだけは本当に助かった。

 家に向かってのんびり歩きながら、私はぼーっと考えを巡らせる。


(……それにしても、一体江国さんの、何が不審なんだろう?)


 彼女の評判はいたって良いものだった。先生に(こっそり)聞いても、クラスメートに(こっそり)聞いても、みんな口をそろえて、


「真面目で大人しくて優しい、とってもいい子」


 だと、そう言うのだ。

 二日ほど観察した限りでも、それ以外の印象は抱けなかった。真面目で大人しくて優しい、いい子――優等生。何かを隠している様子も無ければ、トラブルを抱えている様子もない。強いて言うなら、少々舞鶴さんとは折り合いが悪そうだな、ってぐらい。それもまぁ、相性が悪い、って言う程度で、どちらも表立って対立しているわけではないから、問題点と言うほどではないだろう。

 となると、親兄弟の問題かもしれない――と思って、


(と、り、あ、え、ず……職員室で住所を盗み見てきたけれど)


 隣の区に住んでいるらしい。それじゃあ、電車通学しているわけだ。


(明日にでも直接行ってみよう。そうしたら、何か分かるかもしれないし……)


 何か分かってほしいなぁ、と希望的観測で胸を膨らませる。仕事はさっさと終わらせるに限るのだ。何せ今は、仕事以外の面倒事にも取り囲まれているのだから……。

 おっと、溜め息をついたら幸せが逃げる!


 ☆


 江国さんの家の近くには、里山――だった場所――と呼ぶべきだろうか、そういうちょっとした山がある。標高、なんて、あってないようなもの。その山の中腹に、これまた小さなお社があって。


(よくお母さんに連れてこられたっけ……)


 虫取りだとか天体観測だとかそんな理由で、朝も夜も無く引っ張られたことを思い出す。おかげさまで虫は平気だし、早起きも夜更かしも大得意だし、木登りはもちろん、地上用望遠鏡フィールドスコープの使い方まで、きっちり骨身に染みておりますとも。

 まぁ、役に立つ日が来ようとは欠片も思っていなかったし、むしろ一生そんな機会には恵まれたくなかったんですけどね!


(――よし、ギリギリ、覗けるな)


 境内の木の上。覗き込んだフィールドスコープの中には、江国さんの家がある――

 ――……これ、犯罪に当たるのでは……――


(……いや、バードウォッチングしてるだけだし! 今日の私はバードウォッチングをするためにここにいるのです! だから犯罪じゃない! 飽きた時にちょーっと街中の方を見てみたら偶然にも同級生の家がありました、っていうだけだから! そう!)


 波瑠ちゃんの冷ややかな視線が脳裏に浮かんできたが、私は丁重にご退去願い、フィールドスコープを覗き込んだ。


 ☆


 結果から言って、何も分からなかった。


(めっちゃ普通のご家庭じゃん……! 何も変なところないし!)


 この地区にしてはやや控え目な大きさの一軒家。ささやかながら庭もあり、手入れが行き届いていることから、共働きではないと推測する。車は国産で、それなりに良いランクの大型車。両親ともに健在。父親は朝早く、スーツ姿で出ていったが、真面目そうな普通の中年男性だった。母親は、江国さんにそっくりな、優しそうな顔立ちの美人さん。小学生の弟が一人いるらしい。近所の同年代と見られる子らと一緒に遊びに行ったことから、御ノ道学園ではなく、この近くの公立小学校に通っているようだ。


(……収穫なし、か)


 私は溜め息を堪えて、フィールドスコープを仕舞った。時は四時。少し傾き始めた日が、けれどまだオレンジ色にはなっていない。


(夜まで見ようか、それとも帰るか……)


 迷うところだ。さすがの私もちょっと疲れたし。正直、ものすごく帰りたい。成果が無いと徒労感がひどいんだ。


(……とりあえず、ちょっとどっかの喫茶店にでも行って、文明の中で休憩して、それから考えよう……)


 一旦降りたら、もう登る気を失くしそうではあるけれど。

 フィールドスコープを背に担ぎ、木から降りようと下を覗き込んで――

 ――息が止まった。

 人がこちらを見上げていたからだ。

 それも……それも、なんで、こんなところに、


(――……平野さんがいるのっ?!)


 うっわ私服の平野さんだ超カッコイイ~やっぱブルー系がお好きなんですね、ラフなジャージもめっちゃ似合ってるし、すごくシンプルだけど素材がいいから最高にそれが生かされてていて――って、待て待て、落ち着け、そんなことを考えている場合じゃない! いやでも、これはあくまで王子の言いつけでこんなことをしているわけであり、私に覗きの趣味があるというわけではないし、そもそも平野さんには私が何を見ていたかなど分からないだろう、バードウォッチングだと言い張れば誤魔化せるはず――いや待てその前に、こちらの顔を覚えられていない可能性の方が高い! 私の影の薄さをなめてはいけない! それに今日は当然ながら制服じゃないんだし、帽子も被ってるし、そもそも私だとバレる可能性が極小!


(……やば、自分で考えてて泣けてきた……)


 好きな人に認識すらしてもらえない――それ以上に悲しいことは無いと思うんだ。

 慌てて涙をのみ込んで、キャップのつばを下げる。


(決めた、ここは見ず知らずの人間の振りをして、)


「――美山さん、ですよね?」

「えっ」


 息が、止まった。


「な、なんで……――」


 思わずそう言うと、平野さんは目を少しだけ白黒させて、それから優しく微笑んだ。


「人の顔を覚えるのは、得意ですので」


 くそっ、イケメンかよっ! イケメンだよっ!! 尊い……ああああああ~もうかっこよすぎる……! 江国さんありがとうあの場所に住んでいてくれて! ありがとう王子この調査を私に任せてくれて!!


「ところでその、どうして木の上に?」

「あっ、いえ、あの、これはその……ば、バードウォッチングが趣味でして!」

「バードウォッチング、ですか」

「はい! そうです!」


 私は慌てて木から降りた。木くずやら何やらをパッパと払って、って、なんで私こんな格好してるんだろう……誰にも会うわけないと思って適当な格好し過ぎた……最悪。平野さんにお会いするって分かってたら、もっとまともな格好してきたのに!


「すごく、身軽なんですね」

「えっ、あっ、そんな、ことは……普通ですよ普通、母はもっと上手く登ってましたし、世の中探せばもっともっと、するする~って上り下りする人、五万といますし! ほらあの、林業とかの人で、縄一本で数十メートル上まで登れる人とか、いるじゃないですか。凄いですよね!」


 照れ隠しに言い募ると、平野さんは柔らかく笑って、「そうですね」と言った。

 やっばい呆れられたかな……木登りなんて女の子らしくないですよね……幻滅されたかな……いやもう本当最悪、王子お前覚えてろよ、私にこんなことさせやがって……!

 私はいたたまれなくなって、頭を下げた。


「では、あの、私はこれで失礼致します!」

「もうバードウォッチングはいいんですか?」

「はい! 見たいものは見れましたので……」

「少しだけ待っていていただければ、ご自宅までお送りしますが」

「えっ!」


 ちょっともう平野さんあなたってお人は! 紳士にも程があるでしょう!

 正直言って飛び付きたい提案だったが、私はぐっとこらえた。唸れ私の自制心……!


「お気遣い本当にありがとうございます! ですが、せっかくのお休みの日に、そのようなことをさせるわけにはいきませんので、どうぞお気遣いなく……それでは! 失礼します!」


 さようなら~! と言いながら私は走った。必ず、かの邪知暴虐の限りを尽くす王子を見返してやるのだと固く心に誓いながら。そして、必ず平野さんに見合う女性になり、平野さんに振り向いてもらうのだと。

 そのためには犠牲を惜しまない覚悟である。


(まずはこのお仕事をやり尽くす……っ!)


 ☆


 その夜の夢の中では、普通よりちょっとドジな私が、うっかり木の上から落ちて、平野さんに受け止めてもらっていた……――あぁくそ、どうして現実はままならない!


 

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