もっとお話がしたい! 2

 

 私が王子に呼び出されたのは、それから二日後、水曜日のことだった。

 校舎の一角に、王子専用の駐車場を覗くのに最適なポイントがあると気が付いたのは、もうずっと前のことである。少し遠いが、向こうからはやや死角となっていて、相当注意深く見ない限りは気付かれないだろう。双眼鏡を使っても、角度的に日の光を反射することも無い、最高の場所だ。以来、朝は少し早めに登校して、王子の車が入ってくるのを――正確には、運転する平野さんのお姿を――遠くから凝視するのが日課となっていた。

 王子の登校は、いつも決まって七時四十五分。四十三分には、車が校門をくぐる。

 そして、黒塗りの高級車の運転席には、平野さんの姿――

 注意深く徐行して、既定の位置にぴたりと止める。寸分の狂いもないハンドルさばきだ。


「はぁ……平野さん、今日もカッコイイなぁ……」


 完全にストーカーの所業だ、と、自覚はしている。自分気持ち悪いなぁ、とも、思っている。

 でも仕方ないじゃん?! だって同級生じゃないんだもん! 普段からお姿を拝見できる相手じゃないんだもん! こういう機会を逃したら一週間一度も見かけないなんてことがざらにあるんだもん!

 そんなの絶対に無理だから!


(まぁでも、覗くだけなら、そんな実害も無いし……許して、もらえるよね……?)


 平野さんにバレるのだけは御免蒙りたいが。というかバレたらマジで死ぬ。腹掻っ捌いて死ぬ。


(――……おや? 珍しいな……平野さんが降りた)


 普段なら金井さんが降りて、王子がいる後部座席のドアを開け、校舎まで一緒に歩くのだが――。

 今日はどうやら、平野さんがその役をするようだ。

 どういう風の吹き回しだろう?


(まぁ、私としては嬉しいんですが!)


 平野さんが王子とともに、校舎の中に消えるのを見届ける。歩く姿までカッコイイ。最高だ。

 よぉし、今日も一日、頑張るぞ!

 パワーのチャージを終了して、私は教室に帰ろうと――

 ――し、て、凍り付いた。

 ……金井さんがこちらを見ている。


(ひぃ……バレた……!)


 間違いない。金井さんは元から細い目をさらに細めて、こちらに小さく手を振っている。それから、何やら細かな手ぶりを――ん? あれは……?

 私は再び双眼鏡を目に当てて、金井さんの手をしっかりと見た。


(――……やっぱり。指文字だ)


 ――か、ご、お、い、で、ほ、う、か、ご、お、い、で――

 ――放課後おいで――


(えぇ……呼び出し方……確かに、メアドとかお互い知らないけどさぁ……)


 セキュリティがどうとかなんとか言って、連絡先は一切交換しなかったのだ。確かに、王子直通のメアドを所持するのはちょっと怖いから、それはいい。

 でも、だからといって――こんな原始的な呼び出し方、あります? というかどうして私が指文字を理解できるっていう前提のもとにやってるわけ? まぁできますけど。それよか、覗いてること、どうしてバレたんだろう? 不思議でならない……。この辺りには防犯カメラも設置されてないのに……。

 まぁいいか。私は片手を上に掲げ、『OK』の意を示すと、今度こそ教室に帰った。


   ☆


 放課後。

 校舎から王子と金井さんが出てくる。それを見て車から降りた平野さんが、後部座席のドアを開いた。

 そのタイミングに合わせて、生け垣の裏に潜んでいた私は、王子と反対側のドアを開き勝手に乗り込んだ。

 閉める瞬間を見計らって、音を一つに! ――よし、上手くいった。

 ふぅ、良かった。上手く忍び込めた。

 隣を見ると王子が呆れかえった眼でこちらを見ていた。


「……なんですか。呼んだのはそちらでしょう」

「あぁ、確かに呼んだのは俺だ。だけどな……」


 深い深い溜め息。何をそんなに思い詰めているのだろう?


「……決めた。次からは、外のコンビニで待ってろ。こちらで拾いに行く」

「え、いいんですか? やった! 助かります! いやーここに忍び込むの結構面倒だったんですよ~いつ王子の取り巻き様方に気付かれるか分かったもんじゃないですし、何度もこの方法を取るのは無理だなって思ってたんです。良かった!」


 これだから人心掌握に長けたトップは有難いんだ。


「平野、出してくれ」

「――……あ、はい」


 どうしたらいいのか分からない、と言った様子で、ちらちらとこちらを窺っていた平野さんが、ひとつ頷き素早く仕事の顔に切り替えた。

 あぁ……かっこいい……!

 丁寧に周囲を確認してから同乗者を気遣ったアクセル使いで発進する。教習所の教科書か、って思うような模範的なハンドルさばき。片手を離したり内側から持ったりしない、安定と信頼の持ち方! 一般道に出る時、右から来た車が譲ってくれたのに対して、軽く片手を挙げる――それがまた良い!

 はぁぁぁぁぁぁぁ……尊い……カッコイイ……最高……!


「美山、まずは仕事の話だ」

「あ、はい! すみません!」


 王子の冷たい声に、私は慌てて姿勢を正した。


「先日の葉鳥の件を受けて、改めて学内の人間全員の身辺調査を行うことになった。もちろん、極秘でな。調査は月曜から始まり――既に何人か、不審な人物を発見した」

「……早いですね」

「あえて言っておくが、うちに不審人物が多いわけではない。うちの調査部が優秀なだけだ」


 あえて言われなければ、御ノ道グループも大したことないなぁ、という不敬な誤解をしたままでいるところだった。危なかった。


「発見した連中の内、ほとんどは害が無いとも判明している。――が、まだ三名ほど、正体不明が残っていてな。そいつらの調査を頼みたい」


 本人の口から聞かないと分からないことも多いからな、と、そう言って王子は腕を組む。

 それからふと思い付いたかのように、


「そういえば、お前の家は大月通りの裏のコート・ラヒーオでいいんだよな?」

「あ、はい。そこですけど」


 突然なんなんだ? 私の家が把握されていることはもう驚きもしない。だって王子だもん。いくらでも調べられるだろ。


「平野、十五分後に着くように走らせろ」


 平野さんが背中越しに「承知しました」と言ったのが、ああ、何よりのご褒美です……!

 しかし王子――


「――本当に、送ってくださるんですね」


 王子はふん、と鼻を鳴らした。


「そこらに放り捨てていくわけにはいかないだろう。お前が親に報告して親が学校にクレームを付ける可能性が無いわけではないからな」

「あ、それは無いですよ。うちの親、今どっちも家にいないんで」

「どっちも?」


 大袈裟に眉をひそめて、彼はこちらを見た。


「仕事でか?」

「ええと……父は、そうです。ドイツだったかな? そっちに支社があって、そこの監察に。母は……えっと、趣味で……」

「趣味?」

「専業主婦のはずだったんですけど……五年前にバックパッカーになって、それっきり……海外を点々としてます。今頃、アメリカ大陸を縦断してるんじゃないっすかね……」


 なんだそれは、と呆れたように言って、王子は嘆息する。


「……まぁ、それならいいか。話を戻すぞ」

「あ、はい」


 それから私は、ある二名の生徒の名前を聞いて、どんなことを調べればいいのか詳細な指示を受けた。何だか細々と言っていたけれど、要するにとにかく何でも聞きだして来い、ということで了解した。それなりにたいへんそうだけれど、まぁどうにでもなるだろう。葉鳥くんのようなことがあったから、早く分かるに越したことは無いが、そんなに急ぐ仕事でもない、ということだし。

 定期報告は毎週金曜日。学校から少し離れた、あまり人気の無いコンビニが待ち合わせ場所に決まった時、それでぴったり十五分だった。

 そしてぴたりと車が止まる。さすがすぎるでしょ平野さん! これがプロってやつですか!!


「今週の報告は要らない。来週からにしろ」

「はーい、了解です。では――」


 金井さんが開けてくれたドアから、降りようとして――直前、私はふと気が付いた。


「あれ?」

「どうした」

「王子、調べてほしいの、三名って言ってませんでしたっけ?」

「あぁ――」


 王子は、なんだそんなことか、と言いたげに、気だるそうな笑みを浮かべて、


「――三人目はお前の手には負えないからな。気にしなくていい」

「はぁ、そうですか……」


 変なの。まぁでも、私の仕事が減るなら万々歳だ。

 降りる時に「ありがとうございました」と、平野さんに向かって頭を下げる。

 すると、平野さんは半身振り返って、


「お気を付けて」


 と微笑んだのだ……! ああそんな小さなことがこの上なく嬉しい! っつーか別に小さいことじゃないし! 返事をした私の声はみっともなく裏返っていたけれどそんなこと知るもんか! ああ王子様ありがとうございます! こんな幸せが与えられるならば私はあなたに尽くしてもよいです!

 もちろん忘れず金井さんにもお礼を言って、私はその黒塗りの高級車が去っていくのを見送った。


(――……よーしっ、明日から、頑張るぞ!)


 あぁ、毎週金曜日が楽しくなってしまった! これが本当のプレミアムフライデーってやつなんじゃないだろうか!


 ……なんて、浮かれる私が、我が身に迫る危険に気が付くのは、そう遠くのことではなかった――


 

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