お近付きになりたい! 10

 

「だから、たとえどんな雑兵だろうと、どんな汚い手を使おうとも、味方を作れるときは作っておかないといけないわけだ」


 浸っていた私はその台詞を上手く理解できなかった。ん? なんだって? ぞうひょー? 何の話?

 王子は私の疑問符など歯牙にもかけず、


「金井」


 唐突に金井さんに向かって顎で命じた。突然のことであったのに、金井さんはすでに心得ていたようで、「はい」と涼しげに頷くと、扉を開いた。

 王子が外に向かって、居丈高に命じる。


「入れ」

「はい、失礼します」


 ――穏やかさと凛々しさを兼ね備えた素晴らしい声とともに、背の高い男性が入ってきた。


 世界が、輝いた。


 彼は端正な所作で一礼し、こちらを向いた。

 綺麗だが履き込まれた様子の革靴。オーソドックスな黒いスーツ。張りのある白いワイシャツ。シンプルな綾織の青いネクタイ――あぁ、これ以上上に目をやれない!


「約束は約束だ。一役買ったのだから、紹介してやろう。――俺の護衛、平野刹那だ」


 平野さんが丁寧に頭を下げる。短く整えられた頭頂部が視界に入った。


「はじめまして。平野刹那と申します。竜宝様の身辺警護を仰せつかっております」

「あ……あ……」

「昨晩は犯罪を未然に防げず、たいへんなご迷惑を――」

「いえ! そんなことありません!」


 大声を上げてしまってから口を押さえても遅いって知ってる。

 少し驚いたように顔を上げた平野さんと、目が、合ってしまった。

 焦げ茶色の真摯な光を灯す瞳が、私を見ている。


「さ、昨晩は、あの、た、助けてくださって、本当に、ありがとうございました……!」


 消え入りそうな声でかろうじてそう言った……ぁぁぁああああああ! 顔が! 熱い! 火が出そうだ! いやこれもう出てるんじゃないっ? ごめん王子、火事になったら! 私の所為だ! 賠償金は支払えん!

 とか思っていたら王子が溜め息をついた。


「おい、美山」

「ひゃいっ!」

「お前は名乗らないのか」

「あっ、あっ、ああっ!」


 そうだった! 向こうに名乗らせておいて私が名乗らないなんて、なんて失礼なことを!

 私は慌てて――って、あぁもう! なんでこんな格好の時に紹介してくれるのかなぁ馬鹿王子! っていうか今気づいたけどこの服何っ? めっちゃフリフリでワンピースみたいなのに明らかに寝間着って何なのコレっ? 髪の毛も多分滅茶苦茶ぼさぼさだし、あぁ、もう最悪! ――泣きそうになったのを堪えつつ、出来るだけ深々と頭を下げた。


「申し遅れました! 私、美山美玲と申します! 御ノ道学園の高等部二年で、それで――」


 え、あと、私の肩書きって何だ? 王子のスパイ? 波瑠ちゃんの友人? 父は商社マン? どれも平野さんにはあんまり関係ないし言う必要ない? え、でも、これじゃあ自己紹介が短いような気がするし、言葉は繋いじゃってるし、何か言わないと……!



「――それで、ええっと、平野さんのことが好きです!」



 ぶほっ、と、誰かが噴き出した音が、二人分、確かに聞こえた。


「ふは、あはははははははっ! おま、お前っ、直球にも程があるだろう! 馬鹿か! 馬鹿なのか! あっははははははは!」


 何故か王子が腹を抱えて大爆笑している。今にも過呼吸になって死んでしまいそうな勢いだ――え、なんで? 私何か言った? 私何を言った?

 金井さんまで、口元を押さえて、そっぽを向いて、肩を震わせている。小さくて小刻みな笑い声が漏れ聞こえてくる。あの、抑えきれてませんよ?

 ふと見ると、平野さんが居心地悪そうに俯いて、首の後ろを擦っている。どんな顔をしたらいいのか分からない、っていう感じだ。え、何が――

 ――おい待て私、さっきの台詞を思い出せ。


「っ――!」


 思い出した瞬間、私は布団に顔を突っ込んだ。うわあああああ高級な掛布団だ! 高級な掛布団だ! めっちゃふっかふかでちょーーーーー気持ちいいーーーーーー!! ああそうですよ現実逃避ですよ! 逃避させてくれよ!

 なに初対面で告白しちゃってんだよこの馬鹿! ばかぁあああああ!!

 王子の爆笑は留まるところを知らず、高笑いが響き渡っている。くっそ、うるせぇんだよ馬鹿! 八つ当たりだよ知ってるよ!


「……も、やだ……無理……」

「あっはっはっはっはっは! 最高だよ最高だ! あはははっ、ははっ、はっ、げほっ、ごほっ」


 笑い過ぎてむせやがった。ざまぁみろ! もっと咳き込め!

 私はとてもじゃないけど顔を上げられない。火が出るどころの騒ぎじゃないよこれ。穴があったら入りたいっていうかいっそ穴を掘って飛び込みたい。煙のように消え失せてしまいたい。今すぐ駆け出してプールの飛び込み台から飛び降りたい、時よ戻れってね!


「はぁ、はぁ……はぁー。いや、いいな本当。もう少しくらい駆け引きが出来ないのか。というか待てが出来ないのかお前は。犬か。馬鹿犬か。ご褒美を前にしてテンション上がり過ぎて制御できない馬鹿犬か」

「……いやもうそれなんにも反論できないです……王子の仰る通りです……」

「そうだな。では平野の感想を聞いてみるか」

「ちょっ、やめてください!」


 これには思わずガバリと起き上がっていた。


「駄目です駄目です絶対にダメです! 今の私は完全にただの不審者ですから! やめてください!」

「なんだ、自覚あったのか」

「あるに決まってるじゃないですか! だってただ私が一方的に理想の人だって言ってるだけで、こっちが勝手にカッコイイって騒いでるだけで、平野さんが私みたいな地味でへなちょこで空気同然で、誰にも相手にされないような、モブ女、相手にしてくれるわけが……――」


 言っていて、涙が滲んできた。

 うわ、カッコ悪。引くわーって、自分の冷静な部分が言っているけれど、一度決壊した涙腺がすぐに治るはずもなく。

 でも泣き顔を見られたくなくて、私は再び布団に顔をうずめた。

 相手にしてくれるわけがないんだ。そうだ、その通りだ。いっそ紹介なんかされなきゃよかった。軽率にも近寄ろうとしたから、こんなに距離に苦しむんだ。遠い存在は遠い存在のまま、石ころは石ころのまま、分を弁えておくべきだったんだ……。

 あぁ、気まずい空気が流れている。私の所為だ。すべて私が悪いんだ。

 どうにかしなくては。そう思って、無理やり声を絞り出す。


「……すみません、こん、こんな……っ……しばらく、ひとりに、させて、いただけますか……おさまったら、すぐ、でていく、ので……」

「――あの」

「っ!」


 びくり、と肩が跳ねた。

 こちらを気遣う、柔らかで穏やかなお声――平野さんだ。


「今は、お気持ちにお応えすることは出来ませんが……」

「……」

「お名前も、お顔も、覚えましたので――美山美玲様」

「っ――」

「とりあえず、今のところは……これから、どうぞよろしくお願いいたします――というところで、いかがでしょうか……?」

「ぅっ……ぅぅぅぅうううううううう~……!」


 遂に泣き声を抑えきれなくなった。平野さんが「えっ、あっ、あの、すみません、その」と狼狽えた声を出しているのを、ぶんぶんと首を横に振って、『違うんです、違うんです!』と主張する。

 違うんです、これは悲しいんじゃないんです!

 優しいのが嬉しくて。

 優しいのが苦しくて。

 あっさり手の平返しして期待してしまう自分が情けなくて。

 でもやっぱり嬉しくて嬉しくて期待を持ってしまって。


 ――……好きです、平野さん。


 恥ずかしいけれど、無理やり顔を上げた。見苦しいものを見せると分かっていたけれど、ここで顔を見ないのは不義理だ。だから目元を擦って、申し訳程度に髪を撫でて、私は平野さんを真っ直ぐに見る。

 ――真っ直ぐ見返してくれる、平野さんが好きだ。

 今できる最上級の笑顔になって。

 口をしっかり開けてハッキリと。


「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします、平野さん。……お近付きになれて、嬉しいです……!」


 私の恋のフルマラソン……ちょっと転んだけれど、とりあえずスタートは切れたみたいだ。


 

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