お近付きになりたい! 9
非常に良質な睡眠を摂った、という感覚とともに、私は目を覚ました。
布団が絶妙にふかふかしていて、たいへん気持ち良い。どこからともなく、アロマの良い香りもする。あぁ、もう、このまま二度寝をキメてしまいたい。だってすごく気持ちいいんだ。こんな上質なお布団にくるまっていられるなんて、最高オブ最高――
――……待って、ここ何処?
私は一気に覚醒して、飛び起きた。
とても広い部屋だった。私のマンションのリビングよりも広いかもしれない。いや広い。間違いない。そしてこの天蓋付きのベッド。天蓋とか生まれて初めて見ますぜオイ。布団もロイヤルな感じで、琥珀色のアラベスクが波打っている。我が家の通販で買った謎の花柄とは大違いだ。下を見れば絨毯が、これまた毛足の長い、素晴らしい触り心地なんだろうなと触る前に察せられる逸品。上を見れば天井が、照明が、微に入り細を穿つ流麗な装飾を施され、しかしその豪奢な佇まいはあくまでさりげなく、気品に溢れている。ベッドから少し離れたところに、丸いテーブルと椅子があって、それもまた素材からして良い。あんなに艶のある木なんて見たことがない。デザインもシンプルでオーソドックスながら他に類を見ない独創性を持っている。あぁ、どれを見ても高そう! 強そう! 貴族っぽい!
そこまで考えて思い至った。
もしかして……もしかして、ここ……――
――王子のお屋敷?
「ひぃっ!」
ノックの音に飛び上がった。返事なんてできない。しようにも何て言ったらいいのか分からない。
扉を叩いた方は、たった数瞬の隙間を開けて、一方的に言った。
「入るぞ」
この高慢な声は――王子!
「何だ、起きてるじゃないか。起きてたなら返事をしろ」
入ってくるなりそう言うあたりさすがとしか申せません。申し訳程度に「すみません……」と謝っておく。
王子は椅子に腰かけ、横柄に足を組んだ。続けざまに入ってきた金井さんは、外から閉じられた扉の前で静かに直立不動になる。
それから王子はこちらをじろりと睨んだ。
「どうして報告しなかった」
「え?」
「葉鳥のことだ。怪しいと思ったから、動向に気を付けていたんだろう?」
「あぁ……」
そういえば、どうして報告しておかなかったんだろう――と自問自答して、私はすぐに王子を睨み返した。
「報告の方法、決めてませんでしたよね?」
「普通に話しかければいいだろうが」
「いやいやいやいや! 学園内でそんなことを迂闊にやったら、次の日から私、身の置き所が無くなりますよ! それに、他の人にバレたらマズい話でしたし……」
「頭を使え。駐車場に忍び込むくらい、お前なら出来るんじゃないのか?」
学園の駐車場は、お迎えの来ている人以外は原則立入禁止だ。特に王子の場合、彼専用の駐車場が他の人たちとは別の区画に設けられていて、出待ちや見送りが出来ないよう厳重に管理されている。
確かに、そこに忍び込めば報告できただろうけど……実際、忍び込むこと自体はそう難しくなかっただろうけど……。
王子は深々と溜め息をついて、
「神酒蔵が機転を利かせてくれたから良かったようなものの、もし気付かれなかったらどうするつもりだったんだ」
「いやぁ、波瑠ちゃんなら絶対に気付いてくれるかなぁ、って……」
あの時、私は波瑠ちゃんに電話を掛け、そのままの状態でスマホをポケットに入れていたのだ。ムービーを止める振りをしてそうしたんだけど……相手に気付かれなくて本当に良かった。そして波瑠ちゃんが電話に出てくれて助かった!
「神酒蔵には後できちんと連絡をしろ。ひどく心配していたからな」
「はい……」
「ともあれ、今後は駐車場まで報告に来るように。いいな」
「はい……――え、今後? 今後があるんですか?」
当然のように言われて思わず頷いてしまったけれど、こんなスパイまがいのことを今後もやらされるってわけですか私?
王子はニヤリと笑った。
「なんだ、この画像が欲しくないのか?」
と、掲げたスマートフォンには――
「……は、うあああああああああっ!?」
「大声を出すな。うるさい」
「ちょ、あの、えっ? な、なななな、なん、なんですかこの写真! なんなんですかっ?」
――私をお姫様抱っこする平野さんが写っていた。
王子はにやにやと笑ったまま、
「何って、昨晩のお前だよ。あの場に通りかかったのが平野で良かったなぁ」
「あっ……う……」
私はもう恥ずかしさで何も言えない。難ならもう一度気絶してしまいたいくらいだ。
追い打ちをかけるように王子は続ける。
「俺のために働けば、この写真はくれてやる」
「う……」
「さらに、報告は車の中で聞いて、お前を家まで送り届けてやろう。――この意味が分かるな?」
「平野さんが運転なさるお車に乗せていただけるのですかっ!」
「……その通りだ」
顔中に“キモイ”と貼り付けながら、王子は頷いた。
やった! やっっったっっっ! あぁ、なんて喜ばしいことか! 運転手さんの手とか首筋って最高にカッコイイってこと知ってます? マニュアル車だとさらにそのカッコよさが増すんですけどそれはさておいてオートマでも全然良い! 前後左右を確認する動きも素晴らしいんですよ王子あなたはそれを分かっていらっしゃらないご様子で!
「前言撤回は認めませんからね」
「正直したいのは山々だが、まぁ、一度言ったことだ。確約しよう」
「よっっっしゃ! ありがとうございます王子!」
最高かよ……人心をきっちり掌握してくれる人間がトップに立ってくれると、人って幸せになれるんですね……ありがとうございます……!
両手でガッツポーズを作り余韻に浸っていると、ふと、昨日のことが思い出された。
「あ、そういえば王子」
「なんだ」
「……葉鳥くんって、どうなりました?」
「あぁ――」
王子は私から目線をそらして、天井の方を見やった。
「お前は、どこまで知ってた?」
「ええと……“例の件”とやらで脅されているみたいだなぁってことぐらいです。今思えば、一昨日葉鳥くんを乗せた車の人が、昨日のあの人だった、ん、だろう、なぁ、って……――」
昨日のあの人。
思い出して、急に目の前がチカチカした。
フラッシュバックする。銀色の凶器が。容赦のない狂気が。私の喉元に、生命の糸に、ひたりと貼り付いて――
「おい、大丈夫か」
――はたと気が付いて顔を上げると、王子が気遣わしげにこちらを見ていた。
「あ、はい……すみません、大丈夫です」
こういう気遣いはとりあえず出来るんだなぁ、と、少々不敬な感想を抱く。……意外と優しい一面もある、ってこういうことか。なるほど。どうやら、人間は出来ているらしい。
王子は腕を組んでふんぞり返り、嫌そうに口を開いた。
「お前の電話で葉鳥が脅されていることを知ってな。すぐに捕まえて、話を聞いた。全部話したよ。――親が医療過誤をやらかしたそうだ」
「いりょーかご」
「医療過誤ぐらい分かれ、阿呆。医療ミスだ。薬を間違えて死人を出したと」
「え……それって、やばいんじゃ」
「あぁ、やばいよ。だから、葉鳥の親はそれを隠蔽した。ところが、そのことを知ったとある連中――うちと競合している企業の奴なんだが、そいつらがそれを盾に葉鳥を脅して、昨日の騒ぎになったということだ。まぁ、あいつらは汚い手を上手く使うことで有名だからな」
「……王子って敵が多いんですね」
思わず、言ってしまっていた。
だってこれって、王子のために、無関係の葉鳥くんが利用されたっていうわけなんでしょ? 王子を害するために、王子の周りの人間のことまで、ずっと見ている奴らがいる――間違いなく、それは一人じゃない。一人でなんてできるわけがない。隠蔽した医療ミスをあぶりだせるほど、相手は組織立っていて、本気だ。
王子はフンッと鼻で笑い、不敵な表情になった。
「今更だな。あぁ、多いよ。敵だらけだ。――だからといって、負けてなどやらないけどな」
私は何も言えなかった。彼は私なんかとは全く違う世界を生きているのだ、と――昨晩の事件程度にいちいち怯えてなどいられないほど、険しい世界にいるのだ、と――見せつけられて、まるで画面の外に弾き出されたような感覚に陥った。
彼は、まさしく王子だった。やがて王になり、人の上に立つ人。
(――私に、一体何ができるんだろう)
この時の私は確かにそう思ったのだった。この後本当に、死ぬほどこき使われて、『お前なんか暗殺されてしまえ!』と何度となく怨嗟の声を(脳内で)上げることになるなど、欠片も予想しなかったから。
あぁ……なんてチョロイ私……。
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