あげないよ

劇団まきーあんとわねっと

あげないよ

「せんせ、今日はねスクールバス乗らないよ。歩きで帰ります。」

まだ土曜日は午前授業だった、四〇年も前の私がまだ小学校に上がったばかりの頃、登下校もその日の気分で自分の好きな方法が選べた。

今となってはあり得ない話なのだけれど、それにしてもなぜあの時、歩けば一時間はゆうにかかるであろう徒歩という下校方法を選んだのだろう。

その日はワクワクするようないい天気で、朝から同級生たちは午後何をして遊ぼうかという話でわいていた。あの頃はまだテレビゲームも俗にいうお金持ちの家の子が持っているというイメージ。クラスに一人か二人はいただろうか。当時は一クラスが四〇人ほどだったのでその他大勢の子どもたちは地区の会館に集まってひょうたん鬼なんかをやる。ひょうたん鬼とは地面に大きなひょうたんを描いて、その中を逃げ惑う子をひょうたんの外にいる鬼がタッチして外に出すとどんどん鬼が増えていくみたいな遊びで、とにかくいろんな遊びが考案されてはみんながそれに興じていた。ものは無かったが、その分自分たちのアイデアで遊びの世界は無限に広がった。そして近くの店っこ商店、今でいう駄菓子屋さんに行って五円のチョコや二十円の酢イカなんかを買う。時々、百円の普通サイズのポテトチップを買う子がいると、

「一枚ちょうだい。」

とその子の前には小さい列ができた。親に用事が出来たりして子どもを探そうとしてももちろん携帯なんていうものは存在しない。でも、たいていは会館か店っこ商店に行けばすぐにつかまえられた。

そんな土曜日の午後、天気は良かったが風が少し冷たい昼だった。私は、学校から家に向かって歩き出す。いつもはスクールバスなので大きな通りは知っていたけれど、こういう時の子どもというのは知らない道をあえて選ぶものだ。ただ、感覚というか勘というかで大体の方向はあっているのが不思議だ。歩いて行くと、

「おかえり。」

行き会う人みんなが声を掛けてくれる。その声を独り占めして、ちょっと有名人にでもなったような気分で歩く。大きく腕を振って歩いていたがだんだんと辺りは家や商店の建物がぽつりぽつりと少なくなっていく。喜び勇んで、なんなら少しスキップなんてしながらスタートしたはずなのに、この辺りからいつもよりも軽いはずのランドセルがずっしりと重たくなっていった。

今日はお弁当の袋も持っていない、言うなら手ぶらの状態なのに。

「あと、どのくらいかかるんだろう・・・。」

まだ半分も進んでいないのに、疲れと不安が追い打ちをかけるようにランドセルにどっかりと腰を下ろす。鼻歌なんかを歌ってみるも、いつもは大好きな歌でさえも嫌になる。

「バスで帰って、みんなと遊べばよかったな・・・」

後悔先に立たず、たぶんこの言葉を生まれて初めて実感したのがこの時だ。

あきらかにトボトボと歩いていて声をかけてもらったのか、自分から助けを求めたのかは覚えていないが、そのあと私は踏み切りを渡ってすぐの角にある小さな整備工場の事務所にいた。破れて中の綿が少し見えているグリーンのビロードのソファに座っている。テレビでは長いコートを着た二人の刑事が海辺で犯人らしき男を説得中で、ストーブの上のやかんはシューシューと静かに音をたてていた。何個か並んでいる机では、従業員であろう油で汚れた青いつなぎを着た人が一人はお弁当で、もう一人はカップラーメンをすすっている。

そして、だいぶぽっちゃりとしたボタンがはちきれそうな事務員さんらしきおばさんがニコニコしながら、「どうぞ。」って目の前に置いてくれた赤いきつねが鮮明に浮かぶ。熱くてふうふう、ふうふうしながら食べる。そのおかげで疲れも忘れたが、なによりもよく考えたらお昼ご飯を食べずに歩いていたんだから、力が出ないはずだ。お腹はペコペコで「いただきます。」くらいはちゃんと言ったんだろうか、あつあつのうどんがランドセルに乗っかっていたものすべてを取り払ってくれた。そして何よりもうどんの上の味のしみたジュワジュワのお揚げがめちゃくちゃに美味しくて、これだけは「一口ちょうだい。」って誰かに言われてもあげない、っておおげさだけどその時の小さい心に誓った。

そのあとは、小さい町なので多分整備工場と家が知り合いかなにかだったのだろう、食べ終わる頃に母親が迎えに来て連れられて帰った。

あの頃は、町全体で子どもたちを見てくれていた。過ぎ去りし時代―。

なんてことない思い出話ではあるが、なぜか私は子どもの頃の記憶といえばこれを真っ先に思い出す。先日、実家に帰ったついでにこの整備工場を訪ねてみた。でも、四〇年も昔の話、工場どころか道路も変わり、まったく知らない町並みになっていた。ただ、あの日少しでも上を向いて歩こうと鼻歌を歌いながら見た遠くの山並みだけは何も変わってはいなかった。そして、そんな小学生も成長して母になり、そして立派におばちゃんになった今もなお赤いきつねにのっているジュワジュワのお揚げに目がない事も変わってはいない。


                              ― 完 ―

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