第3話 窓の外ばかり
病気であることを知り、病院に入った姉と会ったのは、シヴァールの話が佳境に入った頃だった。
「なぜ言わなかったんだ?」
俺は病院のベッドのイスに座り、窓の外を見てるばかりの姉にこう言った。
ロクデナシの俺は、自分の苦しみの方を姉に打ち明ける事しかしなかった。
「言ったって、お金が足りないの知ってたもの」
姉がグラスランナーとして旅に出たりしないことは知っていたが、俺も十分家に籠って小説ばかり書いていたため、なぜ家にいるのかまでは聞いたことが無かった。
家族としては全く理解し合っていなかった。母とも姉とも、俺は自分の殻にこもって小説を書くのが常な人間であったからだ。
それが当たり前の毎日を暮らす、俺自身が贅沢だったという事をこの日初めて恥じることになった。
見舞いの帰り道。
ポッケに手を突っ込み、うつむきながら歩く俺は自身ができることを考えた。
「シヴァールを完成させる事か……」
それが今できる唯一の姉にできることだと思っていた。なにせ、俺の「毒のダガー」は何回か本の編集に持って行ったことがあるが、当たり前のように突っ返されてきた。
俺はポッケから手を出すと、家に向かって走り出した。
冬が近くなり、雪がちらちらと降り始めた午後の事だった。
姉に多少とも病気を楽にさせてあげたい。小説にそんな力があるのか?と問われれば、不器用な俺にそんなことが分かるか。と、怒りと涙にあふれんばかりだった。
とりあえず書く、それが俺の精神の常であり。異常者とも呼べるほど、俺は書いて書いて書いて、書きなぐった。
そして、シヴァールが雪山を超え、永遠の新緑の大地が覆う月の湖を登頂から眺めるシーンを入れ、シヴァール自身が最後の登山を終えるシーンをかき上げた。
「”彼は世界から穢れを払うために、月を支配する魔王と対峙せねばならなかった……しかし、その魔王が住む場所は楽園のようで、にわかに穢れとはかけ離れた場所のようであった……”」
俺はオチの事を考えていた。この新緑の大地は穢れを持つ魔王が逆に穢れを吸収しているがゆえに潤って見えるのだと。それはまやかしだということにしておきたかった。
しかし、その前提は病室の姉の一言で覆されることとなる。
「もういい」
彼女はシヴァールの原稿を途中で投げて、俺に返してきた。
そして姉は窓の外をじっと眺め、俺の方を振り向くことはなかった。
俺はよろよろと病室を出て、何とも言えない気持ちで外に出た。叫びたい気分だった。金も実績もない俺には、力が無く辛い気持ちしか持てなかった。
気持ちだけが本当で、原稿用紙に映る書きなぐったものは、全て無駄なまやかしの様にさえ思えた。
「俺はどうしたらいいんだ」
玄関先にたどり着き、俺は嗚咽を吐く。何とかして、仕上げたい。
気持ちだけではなく、心身共に元気にしてやりたい。
俺がそう、刹那に願った時。
「そうか……!そうすればよいのか」
俺は原稿をもう一度取り直すと、シヴァールの話を書き直していった。
シヴァールの話の変更点はこうだった。
最後の魔王である悪を倒す話ではなく、月の湖で穢れに苦しむ少女へと変更させた。シヴァールに必要な結末として、今までの負債と言うものを彼は一身に押し寄せたかのように描いた。
お前にだれが救えるというのか?遊び、女の子と一緒に旅をするだけで、一体だれを救えるというのか。何の決断も下さず、やりたいことだけをやって、自由気ままに暮らしてきたお前に。
ドクドックは自身とシヴァ―ルを責め立てるように、結末の筆をとる。
「”シヴァールは恋を知らなかった。穢れを背負い、重い愛を告げる魔王……いや、魔女にして姫である月の女神という存在に打ちひしがれる。この世界の穢れを一身に引き受け、だがしかし『”愛”のためにシヴァールに会いたくて生きてきた』と願う少女に責めることも、いつもの様に簡単に抱きしめることもできなかった”」
ドクドックは出来上がったその原稿をそっとがま口のバックにしまうと、出来上がった明け方に病院へと向かった。
姉の反応はとても良かった。
「シヴァールが会いに来てくれるのね」
上機嫌で、原稿を抱きしめるようにして、嬉しそうだった。
俺は満足というよりは、脱力感と疲弊で姉の喜ぶ顔を見ていた。
窓の外を見てばかりの姉はもういなかった。それだけが救いだった。
だが、難関が終わったようには見えなかった。姉は穢れを背負った魔女に感情移入しすぎていた。病気と穢れを一体とみなし、シヴァールが会いに来てくれた恋を望む。
「(女と言うものはこういうものか……)」
ドクドックはその重さに疲れを感じていた。喜びと共に、その先にあるものが何となく見えたからだ。
そしてあの明るかった姉がこういうのがとても辛かった。
「シヴァールが殺してくれるのなら、それでもいいわ」
とても、辛かった。
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