不器用な距離を埋めるのは

はる夏

第1話

 残業を終えて帰った12月24日金曜日の夜、アパートのドアの新聞受けに不在連絡票が入ってた。

 それを強引に引き抜いて、冷たく閉じた玄関の鍵を開ける。真っ暗な部屋の中はしんと寒く静かで、同居人の不在を思い知らされた。

 ケーキもチキンもないクリスマスイブ。朝脱いだままのスリッパをはき、真っ暗な室内に1つずつ明かりを点けていく。ダイニングの電灯の下で不在票を確認すると、差出人は田舎の母親で、分かってたけどガッカリした。


 同棲してる恋人が、些細な言い合いの末に出て行ってから、1週間になる。

 「分からず屋」とか「無理解」とか言われて地味に傷ついたけど、オレもそれなりに言い返したから、お相子だろう。

 今、アイツがどこにいるのかオレは知らない。別の誰かの家に転がり込んでるのかも知れないし、もうここには戻って来ないのかも知れない。

 実家に帰ってる可能性もなくはないけど、四国だとか言ってたし、仕事もあるだろうに急な帰省は考えにくい。

 今ひとつハッキリしないのは、明確な別れの言葉がなかったのと、合鍵を返して貰ってないせいだ。カバン1つだけを持ち出して、残りの私物は何もかも置きっぱなしになっている。

 だが、あれっきり連絡もないし、顔を出しもしないのだから、もう戻るつもりはないのかも。

 考えてみれば残された私物だって、どれも捨てて構わないような物ばかりだ。服や靴は買えばいいし、食器や漫画やゲーム機だって、新しく買い揃えるのに苦労しない。

 もしかしたらオレも、その1つなのか。


 思えばアイツは、大事なものを作らないようにしていた気がする。

 人間関係も、仕事もそうだ。こまごまとした資格を持ち、いろんな職種を短期で次々回していく類の派遣社員で、定職という言葉には無縁だった。

 人付き合いも広く浅くて、だがそれでも楽しそうに見えた。ふわふわと浮雲のように流れていくような人間で、そんな不安定さが魅力的で、どこか放っとけないような気持ちにさせるヤツだった。

 両思いだと思ってたのは、オレだけだったのか? 分かり合おう、歩み寄ろうとしてたつもりだったけど、まだまだ不足してたのだろうか?

 けど、今更そんな疑問を抱いても、答えはアイツの口から貰えない。勘違いするなとか、もう好きじゃないとか、そんな決定的な言葉を聞かされるのが怖くて、オレから尋ねる勇気もない。


――メリークリスマス。

――この間はゴメン。

――話がしたい。

――お前がいないと年も越せない。


 昨日と似たような短い言葉をいくつか送り、空腹を抱えて冷凍庫から冷食を取り出す。

 電子レンジの回る音を聞きながら、鳴らないケータイを操作して、不在票に記されたQRコードを読み取った。



 翌日は、ピンポンと呼び鈴の鳴る音で目が覚めた。

 一瞬、恋人がようやく帰って来たのかと思ってドキンとしたけど、合鍵を持ってる相手がわざわざ呼び鈴を押すはずもない。荷物だ、と思い出し、慌ててパジャマのまま玄関に向かう。

 ドアを開けるとそこには、予想通り宅配便のスタッフが立っていた。

「お荷物でーす。サインかハンコをお願いしまーす」

 軽い口調と裏腹に、どっしりと重い荷物を渡される。米か、缶詰か、と中身を想像しつつ、重さのままにドスンと置く。


 「うわ、重」と段ボールの重さを共有してくれる誰かはいない。「そっち持てよ」と声をかけ、箱を一緒に運んでくれる相手もいない。「何入ってんだ」って、オレより先に封を開け、中を覗いて一喜一憂する姿もない。

 「またソバかよ」とか。「あ、この煎餅うまいよな」とか。同居人がいることはオレの母も知ってるから、中身は大抵2人分で、アイツの好物もよく入ってた。

 1人きりで静かに黙って親からの荷物を開ける時、こんな気持ちになるなんて知らなかった。


 段ボールの箱を開けると、中に入ってたのは米と餅と煎餅と海苔と、赤いきつねと緑のたぬき。

――お友達、ソバ苦手なんでしょ。年越しソバの代わりにうどん入れとくから。ケンカしないで、仲よくね。

 チラシの裏に走り書きされた母からのメッセージに、ズキンと胸の奥が痛む。


 せっかく送ってくれたけど、アイツがうどんを食べることは多分ないよ。

 ケンカしないようにって、言われたってもう遅い。

 煎餅だって、喜んで食べてたのはアイツであってオレじゃない。

 米はともかく、餅はオレ1人じゃ食い切れないよ。

 ……友達じゃなくて、恋人だったんだ。


 心の中で母親に呟き、段ボールの前にうなだれる。

 男同士の関係には、結婚や妊娠出産なんていう明確なゴールがない。一緒に住んでいようと、思い合っていようと、はたから見れば同居に過ぎない。

 それでも一緒にいたいって思うのは、愚かなんだろうか? フラれた可能性が高いのに? もう誰か他のヤツが、側にいるかも知れないのに?

 のろのろとケータイを取って来て、オレは段ボールの中をカシャリと写した。

 撮ったのは、煎餅と餅に挟まれて並んだ、赤いきつねと緑のたぬき。オレたちの関係を知らない母が送ってくれた、リーズナブルな年越しのカップ麺。


――お前がソバを食わないだろうからって、うどん送られて来た。


 写真に短い言葉を付けて、祈るような気持ちで送信する、と。ブゥンと手の中でケータイが震えて、不覚にも「うわっ」と悲鳴が漏れた。

 同時に響く聞き慣れた音は、アイツ専用に設定してあるSMSの着信音だ。恐れと期待とに緊張しながら画面をタップして、1週間ぶりに来た恋人からの言葉に触れる。

――お前の母さんの方が、俺のことを分かってる。

 この前「分からず屋」と罵られたオレは、ごめん、と素直に謝るしかない。

――俺、お前の母さんと結婚するわ。

 続けて送られてきた軽口に、泣きたくなったのはなぜだろう。


――結婚ならオレとして。

 勇気を振り絞って送った言葉に、彼は返事をくれなかった。どうせできないからなのか、オレとはしたくないからなのか、短文だけのやり取りじゃ、アイツの気持ちは分からない。

 声が聞きたい。顔が見たい。けど、まだそれをするには怖くて、もうちょっと先延ばしにしたくなる。

 もしかして、アイツも同じ気分なんだろうか?

――今、長野のスキー場。

 と、そんな風にいきなり話題を変えて来た。


 どうやら急な派遣で、スキーのインストラクターの仕事を請けたらしい。元々いろんな職種を短期で回していくような働き方だったから、そこに今更驚きはない。インストラクターの資格も持ってたのか、と、相変わらずの多才ぶりが誇らしくも羨ましい。

 あと、オレと距離を置いて頭を冷やすには、いい機会だったのかも知れない。

 電話じゃなくて、画面上の文字で話す。今はこれが、気まずさを噛み締めながらのオレたちの精一杯の距離だ。


――仕事、いつまで?

――3日まで。


 ケーキもチキンもツリーもない、1人きりのクリスマス。

 大晦日も年越しも元旦も正月も、このまま1人で寂しく過ごすのはどうやら確定のようだけど。

――4日の昼にそっちに帰る。赤いのは俺のだから、食うなよ。

 そんな言葉を貰えたから、もう後10日くらい頑張って待っていられそうだと思った。


   (終)

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