第100話 お栄の旅立ち―其ノ弐

 弟の多吉郎は、お栄のために離れの部屋も用意してあるという。そこを住居兼画室として自由に使えばいいという。

 幾度も「ぜひに」と言われて、お栄は肉親の情にほだされた。

 それに「きょは気を移す」という。いまは絵筆を握る気さえしない、こののような胸のうちも、住処すみかを変えればまた甦るかもしれないのだ。

 在りし日の北斎は、長屋の部屋に塵芥ごみが溜まってくるたびに家移りした。いま振り返ってみれば、あの呆れるほど頻繁な引っ越しは、もしや北斎自身が、おのれの心に積もった塵や埃を払うためのものではなかったかとも思える。

 すすきの穂が銀色のそよぎを見せる頃になって、お栄は浅草から本郷の加瀬家へと移り住んだ。

 さすが支配勘定のお役目を仰せつかっているだけあって、手入れの行き届いた屋敷内では下男下女が忙しなく立ち働いている。

 お栄は隠居所ともいうべきこしらえの離れで、上げ膳え膳同様の毎日を送ることになった。が、かえってそれが落ち着かない。

 多吉郎の嫁の珠枝たまえや娘らの堅っ苦しい武家式の礼儀作法もどこか空々しくて馴染めない。

 やがて気分は鬱々と翳り、気散じがてらに筆を握っても、たちまち気が萎える。

「ったく、生来の鈍付どんつく女が、おまけに腑抜けにまでなっちまったよ」

 自身の情けなさに自嘲し、そろそろこの暮らしも潮時かなと思った矢先、小布施の高井鴻山こうざんからお栄を招く手紙が届いた。

 鴻山は北斎の死後、浅草の長屋まで訪ねて来て、「南牕院奇譽北斎居士なんそういんきよほくさいこじ」と戒名の記された位牌いはいに掌を合わせてくれた。

 そのときも、親身な誘いを受けている。

「いずれ小布施にお越しになられませ。地元の子女らに絵をご教授いただきとう存じます。その節は、このわたしも応為先生の御門下にお加えいただければ……と。それに、岩治郎もお栄さまに会いたがっております」

 岩治郎とは、日本橋に支店を開く小布施十八屋の親族「穀屋こくや」の息子である。

 穀屋はその名のとおり、米・麦などの穀物を商う傍ら、味噌・醤油などの醸造業を営む。見世は十八屋の本店と同じ小布施の伊勢町いせまちにあった。そこは、高井家からわずか三丁ほどしか離れていない北のところだ。

 かつてお栄は、北斎と小布施にいた頃、この穀屋に乞われて岩治郎少年に絵を教えていたことがあった。

 懐かしさに目を細めたお栄の脳裡に、一面の菜の花畑が黄金色の波となって輝く。あのときはまだ小さかった岩治郎も、随分と背丈が伸びたことだろう。

 小布施の里が滅法界もなく懐かしい。

 北斎の死後、加賀の前田家から「絵の師範に」という招聘しょうへいがあったが、お栄はまったく気乗りがしなかった。武家式の堅っ苦しい生活にいまさら馴染めるはずもなく、馴染む気もない。

 お栄は生涯、自侭じままに生きたかった。おきゃんな下町っ子の自由で野放図な性根は、「鉢植え」になることを生理的に嫌った。

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