第96話 富士越龍図―其ノ壱

 この嘉永二年(一八四九)の正月、北斎は先に述べた「骸骨図」「扇面散図」のほか、「漁樵問答図ぎょしょうもんどうず」「李白観瀑図りはくかんばくず」に加えて、この「龍虎図」などの肉筆画を描いている。

 愕くべきことは、これらを描いてもなお物足りなかったのか、さらに筆の勢いのままに「雪中虎図せっちゅうこず」を描き、「富士越龍図ふじこしのりゅうず」を手がけたことである。 

 いずれの絵も、画狂人北斎の意気たるものが溢横おういつし、老いの衰えを微塵も感じさせない。

 別して、「富士越龍図」は、霊峰富士の高みを越えようとする昇龍を描くことにより、斯道しどうをどこまでもきわめようとするおのれ自身の覚悟を示すものであった。

 その龍図に筆を走らせながら、北斎が言う。

「お栄、オイラはまだ死なねェぜ」

「そうだよ。当ったり前じゃないか。憎まれっ子のお父っつあんが死ぬはずない。あと十年、二十年、いやさ三十年でも娑婆しゃばにへばりついて、描いて、描いて、狂い死ぬほど描いてこそ、天下の北斎さまさね」

「おうよ。そうよ、そうともよ。あと十年あれば、オイラは間違いなく真正まこと画工えかきになれるんだ。それまでは、くたばってたまるかい」

 いかに年老いても、この世でやりたいこと、やり残したことがある者にとって、おのれの死は天の理不尽な裁断であり、閻魔の前に無理矢理ぬかづくことをいられた無念至極の結末なのだ。

 お栄は、絵絹の上に覆いかぶさるようにして、ひたすら龍図を描く父親の凄まじい気魄きはくに圧倒され、「ふーっ」と大きく溜息をいた。

 と、同時に、長屋の溝板どぶいた通りに駆け出て、表の大通りの真ん中に突っ立ち、その絵を両の腕で高く高く、めいっぱい高く掲げて、道ゆく人々に見せびらかしたい衝動に駆られていた。

 そして、あらん限りの声で、こう叫ぶのだ。

「どうだ、どうだい。みんな、ご覧な。これは、うちのお父っつあんが描いた富士越しの龍だよ。龍が天下一の富士よりも、もっと高い蒼穹そらの上へと駆け昇ってゆくんだ。さあさ、お立合い。これが、この龍こそが、うちのお父っつあんこと北斎なんだ。光り輝く龍玉りゅうぎょくの代わりに、びた筆一本を口にくわえ、だれも行けない、だれも行ったことのない高みへと駆け昇るんだ。不二の、無二の、てっぺんを取るんだ。えっ、わたいかえ。わたいの名は、お栄ってんだ。この絵を描いた天下一の、当代一の絵師、北斎さまの娘さね」

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