第85話 祭り屋台の天井絵―其ノ弐

 娘のお栄同様、北斎もまた牛の背に揺られて険しい峠道を越え、小布施へと向かった。

 鴻山は、この父娘おやこのために、碧漪軒へきいけんという住居兼画室を用意して来訪を待ち構えていた。

 碧漪軒はわらぶき屋根の百姓家といった造りで、鴻山の書斎である翛然楼ゆうぜんろうから、ほんの目と鼻の先にあった。

 北斎はここを拠点に、東町祭り屋台の天井絵「龍」と「鳳凰ほうおう」の二図を六カ月かけて仕上げた。無論、お栄の助けあってのことである。

 その後、北斎父娘は、一旦江戸に戻り、向島むこうじまにある牛嶋うしじま神社の大絵馬「須佐之男命厄神退治之図すさのおのみことやくじんたいじのず」などを手がけた。

 翌弘化二年(一八四五)七月、江戸での仕事にひと区切りをつけた北斎は、再びお栄を伴って小布施へと向かった。鴻山が私財を投じて新造することになった上町かんまち祭り屋台の監修を任されていたのである。

 その屋台天井絵の怒涛図どとうず男浪おなみ」「女浪めなみ」をはじめ、屋台の装飾などに腕をふるうこと一年余。その一方で、岩松院の大天井絵「八方睨み大鳳凰図」の下絵を描いた。

 いずれもお栄の手を借りなくては成せぬほどの大仕事であった。

 そのお栄が、おせちの蒲鉾かまぼこを箸でつまんで父親に問う。

おぼえているかえ。小布施の村のしゅと祝い酒を呑んだことを」

「あたぼうよ。たった三年前のことを忘れるほど耄碌もうろくしちゃいねェや」

 そう咆えて、桝一の酒を干した北斎の顔があかい。

「ふふっ、あんとき、わたいは魂消たまげたよ」

 すでに一升徳利の酒を粗方あらかた片づけたお栄が愉しげに笑う。

 それは、上町祭り屋台の飾り人形公孫勝こうそんしょうが出来上がり、いよいよ屋台の棟上げとなったときのことであった。

 意外なことに、北斎が村人、大工、彫師などの連中と車座になって、祝い酒を酌み交わしはじめたのである。

 元来気難しく、かつ下戸の北斎が、お栄の前でそのような開けっぴろげな姿を見せたことはない。まさに椿事ちんじであった。

「上町の屋台は、手こずったからねえ。棟上げとなったあんとき、親父どのも喜色満面で、へへっ、わたいもおこぼれにあずかって、痛飲させてもらったよ」

 桝一がそのときの酒であることは言うまでもない。

 お栄がたたき牛蒡ごぼうを口に運びながら、話題を変える。かなり酩酊のていである。

「十八屋さんが火難に遭ったのは、小布施であの祭り屋台の天井絵を描いていた頃さね」

「おうよ。あれは二年前の小石川こいしかわ火事のことだァな。オメエがいま口にしているのと同じ名前の火事よ」

「だね。牛蒡を食べると死ぬなんて、変な噂が飛び交って直後の火事だったもんだから、だれが言い始めたのか、牛蒡火事……なんてさ」

 牛蒡火事は、弘化三年(一八四六)正月十六日の大火だ。

 その日、本郷丸山の御家人屋敷から出た火は、折からの強風にあおられて、瞬く間に燃えひろがり、神田から十八屋のあった日本橋、京橋界隈はもとより、八丁堀から佃島、深川あたりまで飛び火して、江戸の東半分を灰とした。

 お栄がこんにゃくの煮物をつまみながら言う。

「でも、なんで牛蒡を食べると死ぬなんて噂が出たんだろう。このこんにゃくでもよかったろうに。理由がわかんなくて、かえっておっかないよ。つるかめ、つるかめ、万々年」

 縁起直しのまじない文句をぶつぶつ唱えたその口調が、何やら怪しげである。いささか呂律ろれつがおかしい。眼が据わってきている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る