第84話 祭り屋台の天井絵―其ノ壱
お栄がおせちの栗きんとんに箸をのばしながら言う。
「小布施はいいところだったねえ。春は一面の菜の花、秋には栗」
「ああ、オイラは房州、尾張、伊勢、紀州や伊豆、相模などあちこち旅したが、小布施ってとこはまた格別だァな。蕎麦も旨いし、人も善い」
「おまけに酒も旨い。滅法界、旅嫌いなはずのわたいでも、この桝一
お栄は合いの手を入れたあと、桝一の一升徳利を傾けた。
酒で躰が温まってきたのか、袷の上に羽織っていた
北斎が下戸の肴荒らしの手を止め、
「そう言やァ、オメエが旅の
「そうだよ。それまで
お栄は桝一の酒をグイッと煽った後、しばし瞼を閉じた。
薄く閉じた瞼の裏に、春の陽を浴びて黄金色に輝く菜の花畑がぽんやりと浮かんでくる――。
十カ月ぶりに戻ってくるなり、北斎はお栄に告げた。
「アゴ、オメエも小布施に行ってもらうぜ」
「えっ、なんだえ。ずいぶんと藪から棒じゃないか」
「実はよ。あっちでべらぼうに
「おやっ。鉄蔵が泣きを入れるなんて、珍しいことがあるもんだ。びっくり
北斎は小布施滞在中、鴻山からさまざまな依頼を受けていた。
その主なところは、東町、
北斎がお栄をともなって小布施へと旅立ったのは、翌年の春であった。
旅支度になぜ一年もかかったのかというと、江戸での仕事もあったし、なにより信濃では手に入らない絵具や絵筆などの道具一式を調えるのに時間を要したからである。
無論、それらすべての調達資金や旅行費用は、すべて鴻山から出ていた。北斎がなんの前触れもなく押しかけた前回の
大笹街道ルートは、まず江戸から江戸川、利根川、
倉賀野宿は、当時の『中山道
当時、河川は物流の大動脈であった。倉賀野宿は、一日およそ百五十席艘も数える荷船の往来で栄えていたのである。
この倉賀野からは陸路となる。
中山道の高崎宿、
その後は、
鳥居峠を越えるとき、お栄は牛の背に乗った。
無論、牛の背につけた大きな
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