第83話 門弟高井鴻山―其ノ参
信濃への旅支度を
「何かございましたときは、いつでも小布施へお越しくだされ。片田舎ゆえ、さしたる馳走もできませぬが、小布施は江戸から見れば風光
北斎のもとには、鴻山からの
鴻山は、小布施で造り酒屋「
文政三年(一八二〇)、十五歳で京都に遊学し、
天保三年(一八三二)、二十七歳の齢に、星巌に
そのようなこともあってか、鴻山自身、商人というよりは学者風の知的な風貌を持つ。
天保七年の大飢饉の際には小布施に帰郷し、窮民のために米蔵を開けて救済に尽力した。同年、大坂で窮民救済の乱を起こした大塩平八郎とも交誼があったという。
北斎と面識を持つに至ったのは、鴻山が江戸にいた頃である。
飯島
また『高井鴻山小伝』によると、鴻山は「江戸に着くや知名の画家を訪ひ、書画屋の店舗あさりたること
いずれにせよ、鴻山は江戸遊学中、みずからの意志で北斎との接触を試みたのであろう。その仲介をなしたのは、鴻山と同郷の豪商であり、北斎とも親交のあった十八屋の当主小山文右衛門といわれている。
この鴻山の招きに応じる形で、北斎は善光寺参りを名目にして江戸を離れた。
小布施までの距離は片道約六十里(約二四〇キロ)。普通の人の足で五泊六日か、それ以上の旅になるという。
思うがままに絵を描きたい――その一心で、北信濃への険阻な道を、この当時八十三歳であった北斎が一歩一歩
北斎が高井家の門前に立ったとき、その姿は
門前に出迎えた鴻山は、まさしく北斎であることに
前にも述べたと思うが、天保十三年(一八四二)の、残暑厳しい初秋のことであった。
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