第82話 門弟高井鴻山―其ノ弐

 柳亭種彦は、本名を高屋たかや彦四郎知久ともひさという。食禄二百俵の直参じきさん旗本であり、北斎と同じ本所割下水の生まれである。

 支配組頭から咎めを受けたこの頃、戯作者として人気絶頂の種彦は、長年住み暮らした下谷したや稲荷町の御先手おさきて組屋敷を離れ、浅草堀田原に邸宅を構えて暮らしていた。

 狷介固陋けんかいころうで気難し屋の馬琴と異なり、旗本の一人っ子である種彦は、生まれつき蒲柳ほりゅうの質ながら万事におっとり。馬琴なら額に青筋を立てそうなことでも、柳に風と受け流してしまう鷹揚おうような態度に育ちのよさがにじみ出る。

 温厚で人当たりが柔らかい国貞の場合と同様、北斎とは性格の違いがかえってよく噛み合い、身分の垣根を越えた付き合いを重ねていた。

 その種彦のやつれた姿が北斎のそばにある。

 二人は肩を並べて広縁に座し、贅を尽くした庭園を眺めながら、種彦の妻である勝子がれてくれた茶を喫んだ。

 勝子は国学者加藤美樹うまき(宇万伎)の孫娘であり、種彦の著書の校正、筆写などに内助の功を尽くしていた。

 種彦がしょんぼりした声を出す。

「実はの……この屋敷についても、きついお叱りを受けてのう。武士にあるまじきおごりというわけじゃ」

「………」

「支配役から差紙さしがみ(召喚状)をたまわったときには、さすがにきもの縮みあがる思いであった。われながら小心きわまる。情けないことじゃ」

 種彦の撫で肩がいつもより細く見える。

 ややあって、北斎が咽喉のどから声を絞り出した。

偐紫楼げんしろうさん、これもご時世ゆえのこと。当分、亀のごとく首をすくめておれば、この前の寛政の改革のときと同様、御公儀おかみの手綱もいずれゆるみやしょう。それまでは御身お大事でえじになすってくだせえよ」

「うむ。かたじけない」

 種彦が弱々しくうなずいた。

「きつい風が吹きやんだら、また気張って新しい読み物を出しやしょう。馬琴と対抗できる作家は、江戸広しといえども偐紫楼げんしろうさんだけなんですから、それを忘れちゃ困りますぜ」

「……痛みいる」

 そう応じた種彦の横顔が、月光を受けた刃のように青白い。

 種彦が死んだのは、それからわずか半月後のことであった。

 再度の吟味を受け、揚屋あがりや入り(旗本などを収容する牢)を命じられた直後、突然死したという。

 憂悶と心労が重なった末に急死したのか、それとも覚悟の自刃なのか。種彦の愛弟子である四方よも梅彦うめひこさえも一切を知り得ぬ謎の死であった。

 折しも江戸は苛酷な取り締まりで深刻な不景気となり、庶民の暮らしは困窮した。巷には物乞いがあふれ、行き倒れの死体があちこちに転がる始末であった。

 無論、役者絵や美人画などの錦絵、合巻本の制作が禁じられた浮世絵師もまた飢渇の只中にあった。

 それは北斎とて然りである。鳥や花、魚などを描いた『肉筆画帖にくひつがちょう』でかろうじて食いつなぐ日々を送っていた。

 そこに加えて、種彦の死である。

 北斎は種彦の死に大きな衝撃を受け、思うように絵を描けぬ江戸を離れようと心に決めた。行く先は北信濃の小布施。そこには、北斎を師と仰ぐ高井鴻山こうざん(三九郎)がいた。

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