第81話 門弟高井鴻山―其ノ壱
いまから七年前の天保十三年(一八四二)、北斎とお栄は亀沢町の
そこにお栄を残して、北斎は一人、信州
当時、江戸では老中水野忠邦による世直しの嵐が吹き荒れていた。いわゆる「天保の改革」である。
その世直しの一環として下されたのが、風儀粛清、
歌舞伎芝居の小屋は浅草へ移転を命じられ、七代目市川團十郎は「日常不相応の
さらに
取り締まりの矛先は、読本や錦絵にも向けられた。
役者や芸妓、遊女などの一枚摺り錦絵は発行・売買が禁止された。また、すべての人情本は、売買はもとより貸し借りすらも禁じられ、板元の在庫本や板木が没収されるに至った。
当然、枕絵や春本も取り締まりの対象となった。
英泉の『
北斎にとって、もっとも衝撃的であったことは、読本『
偐紫楼とは、戯作者
この頃、種彦は草双紙の一種、合巻の流行作家であり、『
ところが、この田舎源氏が、大御所徳川家斉の乱脈な大奥を
家斉は一説には四十人の側室を抱えていたといわれ、「オットセイ将軍」と
田舎源氏が絶版処分となり、作者の種彦は肩をがくりと落とし、失意の底に沈んだ。というのも、田舎源氏は馬琴の八犬伝に並ぶ人気作品として、江戸市中で持て
北斎は長年の盟友がこうむった難儀に居ても立ってもいられず、すぐさま浅草
種彦は『冨嶽三十六景』や『富嶽百景』などに序文を寄せてくれたこともある。
北斎より二回りも年下であったが、互いの家を行き来するほど二人の仲は
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