第69話 三曲合奏図の音―其ノ弐
北斎は帰ってきて以来、浮かない顔で押し黙ったままである。その表情には晴れる気配がうかがえない。
長屋の油障子を木枯らしが叩いた。外は凍えるような寒さだ。
――もしや、流行り風邪でも貰っちまったか。
北斎の体調を案じたお栄は、絵筆を持つ手を止めて父親の顔を窺うように見た。
「お父っつあん、雪になっちまったようだね。早く炬燵に入んなよ。大丈夫かえ」
「ああ……」
「こんな
「
「えっ、前に言ってた山谷堀での書画会って、今日だったのかえ」
「ああ……」
五渡亭とは、歌川豊国の一番弟子であり、三世豊国を襲名した国貞のことである。五渡亭という号は大田
国貞と北斎の関係は古い。
これだけ長きわたって、二人の
北斎は自尊の念強く、天邪鬼な奇癖の持ち主であったが、だれかれ構わず片意地を張ったり、偏屈な態度で接したわけではない。
この絵師がもっとも機嫌を
どこぞのお大尽や殿さまがおのれの力を笠に着て、
そのため、当時飛ぶ鳥落とす勢いであった人気役者
約束の画料を出し渋った
「てやんでえ。日本人を
と、胸のすくような
これら気骨
北斎は反骨と
以上、余談が長くなってしまったが、こんな話で締めくくろう。
嘉永元年のこの年に先立つ弘化年間(一八四四~一八四八)のこと。国貞が両国の某料亭を貸し切って書画会を催したとき、折悪しく烈しい風雨となった。当然、書画会に人は集まらない。
このままでは、国貞は大損し、何よりも一流絵師としての面目が丸つぶれとなる。
――オイラが助っ人してやる。国貞、待ってろよ。
北斎は国貞を助けるため、豪雨の中、草鞋に
閑散とした書画会で、悄然としていた国貞に会って曰く、
「へい、葛飾の百姓が
荒天の只中、当代一の絵師北斎が到着したと伝わるや、国貞の書画会には続々と人が詰めかけ、活況を呈した。
北斎これを見て
さて――。
炬燵の中に大儀そうに潜り込んだ北斎に、お栄は訊ねた。
「で、今回、五渡亭さんの書画会の首尾は、どうだったのさ」
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