第61話 歓喜天の祟り―其ノ陸

 英泉からの衝撃的な申し入れに、一瞬息を呑んだものの、お栄もまた絵師である。女としてのありきたりな羞恥の感情よりも、絵師葛飾応為としての意気地と張りがむくむくと頭をもたげた。

 まして、英泉に「女陰ぼぼを見るのも仕事」と、火をつけたのは自分なのだ。その因果応報の火の手が自分に押し寄せている。こうなれば、燃え熾り、猛り狂う紅蓮の業火に焼き尽くされるまで、炎と対峙するしかないではないか。

 ――わたいだって、男のオの字も知らない頃から、散々っぱら枕絵を描いているんだ。この応為姐さんが、火事場を前にひるむかってんだ。めてもらっては困るのさ。

 お栄の躰を得体のしれない熱風が包んだ、次の瞬間――。

「いいよ、とくとご覧な」

 お栄は英泉の前で思いきりよく着物の裾を割っていた。

 あわせの裾から緋の湯文字ゆもじがのぞき、真っ白い太腿が英泉の前にさらけ出された。

「お栄さん、もちっと裾を上へめくってくだせえよ。それじゃ見えにくい」

 腰高の油障子越しに、七ツ下がり(午後四時過ぎ)の淡い陽が座敷にこぼれていた。その光の中で、お栄の太腿の付け根まで裾を持ち上げた。奥の舟玉ふなだま(秘所)が、くっきりと浮かび上がった。

 英泉がさらに注文をつける。

「もちっと股をおっぴろげておくんなせえ」

「ええいっ、五月蠅うるさいねえ。さあ、これでどうだね。文句がなけりゃ、とくとご覧よ」

「ありがた山のほととぎす」

 いつもの下らぬ地口じぐちを唱え、英泉は目の前のお栄の玉門に一礼し、なんのつもりか柏手かしわでった。

 それからまなじりをきりっと上げるや、筆を口にくわえ、お栄の股座の翳りへと顔を近づけた。

 英泉はお栄の秘所を憑かれたような眼で覗きこみ、画帖に筆を走らせた。淡い茂みに覆われた女陰の襞や皺、さらに恥毛の一本一本まで細緻さいちに描きとらねばおかぬという目つきである。

 しばらくして英泉がまたもや注文を入れる。

「今度は四つん這いになってくだせえ」

 ――えっ、そんなことすりゃお尻の穴まで見られてしまうじゃないか。

 一瞬、お栄は躊躇ためらったが、「さすがに、そりゃだよ。ずかしい」なんて十人並みの科白をいまさら言えようか。

 わたいは十歳を過ぎた未通女の頃から枕絵を描いているんだ。そんじょそこらの女じゃァないんだ、という意地が女としての感情おもいを許さなかった。

 お栄はまたしても思いきりよく畳の上にうつぶせになり、英泉の目の前に裸の白い尻を突き出した。

 鎌〇ぬ柄の浴衣の袖をまくり上げて、英泉はひたすら絵筆を画帖に走らせている。が、長い。いつまでこんな格好をさせるのか。

 やがてお栄がじれったげな声を出した。

「ねえ、もういいだろう。そろそろ尾張名古屋にしておくれ」

 必死の英泉は聞く耳を持たない。

 その画帖にはお栄の玉門が様々な角度から、きわめて緻密に写し取られた。英泉という絵師の偏執狂的な一面を窺わせる入念なな筆致の写生であった。

 が、それらは総体として格別にみだりがましい様相を呈しておらず、強いて言えば、蘭の花や石榴ざくろの細密画といった趣きすら漂っていた。

 お栄が根を上げはじめた。

「ねえったら。黙ってないで、何か言ったらどうなのさ。じゃ、もういいよ。した、よした。ここらで幕引きだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る