第59話 歓喜天の祟り―その肆

 二人の会話に出てくる墨僊とは、牧助右衛門すけえもん信盈のぶみつという百五十石取りの尾張藩士のことである。

 去る文化九年(一八一二)、北斎は絵手本『略画早指南りゃくがはやおしえ』初編を板行後、初の上方旅行に出発し、帰路名古屋に滞在した。このとき、北斎は門人の牧助右衛門こと墨僊宅に逗留し、絵手本の第二弾として『北斎漫画』初編の下絵を描く。

 絵手本とは、もともと門人に与えるための肉筆の教本である。それが、板元によって大量に世に出されるに至ったのは、当時の北斎には門人が多く、そしてそれ以上に数多あまたの私淑者が江戸や上方を中心に存在したという事情による。

 北斎門下の絵師としては、蹄斎北馬ていさいほくばと魚屋北渓が双璧をなすが、これに昇亭北寿しょうていほくじゅ柳々居辰斎りゅうりゅうきょしんさい月斎歌政げっさいうたまさ、さらに葛飾の画性をかんした北雲ほくうん北岱ほくたい北嵩ほくすう北明ほくめいらが名が連ね、孫弟子を含めると二百三十人という大所帯であった。

 しかし、北斎は大仕事を急ぎ片付けねばならぬ場合を除き、身辺にできるだけ弟子を置かないという方針を貫いていた。

 もちろん、門戸を張って多くの内弟子に囲まれ、大家たいか然とした暮らしができぬわけではないが、師匠面ししょうづらして自大じだいに構えることなんぞ、自身、考えただけでも虫唾むしずが走る。われながら片腹痛い思いがするのである。

 まして、弟子に時間と手間をかければ、おのれの画業のさまたげとなる。

 ある日、門人の露木為一いいつが北斎に愚痴をこぼした。

「入門以来、長く描いてまいりましたが、まだ自在に描けません」

 すると、北斎のそばにいたお栄が、為一にこう言ったという。

「親父どのなんぞ、こないだも猫一匹まともに描けやしねえと目をにじませていたんだ。子供時分から八十幾つになるまで毎日描いても、そんなものなのさ」

 江戸随一、否、当代一の絵師と謳われても、なお北斎の目の前にはきわめるべき絵の道が果てもなくつづいていた。余人の想像を絶する孤高の高みをめざす北斎にとって、弟子の一人ひとりに教える時間などないというのが正直なところであったといえよう。

 ゆえに、自分の画技を伝授する『北斎漫画』などの絵手本を出板する必要があったし、もとめられてもいたのである。

 英泉が「尾張名古屋と言えば」と前置きして、思い出したように言う。

「たしか前年、あの大達磨おおだるまを西本願寺で描いたとき、お師匠しょさんは半年ほど江戸を離れていやした。ま、今回もお帰りは秋風の吹く頃でござんしょう」

 それまでの間、お栄はとりあえず枕絵や艶本といったワ印を描いて食いつながねばならない。

 つと、艶本の挿絵を描くお栄の筆が止まった。

「善さん……」

「ん?」

「なんだ、なんだい、その恥毛そそげは……」

「えっ、変ですかい?」

「オレは春画描きだなんて自ら任じる割には、女のあそこが描ききれてないね。浮世絵師、女陰ぼぼを見るのも仕事なり、って言うじゃないか。女郎あさりもいいけど、たまには女の股座またぐらをじっくり覗いたほうがいいんじゃないかえ」

 筆を持つ英泉の動きが止まった。

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