第56話 歓喜天の祟り―其ノ壱
竹屋ノ渡しから出た渡し舟は、規則正しい
わたいからのひんやりした目配せが少しは効いたのか、結局、英泉は左官の長吉親爺に噛みつくことはなかった。
――ったく、ひやひやしたよ。とんだ道行きだ。
渡し舟が桟橋に着くや、わたいは、とりあえず長吉親爺に「ご厄介をおかけしまして」と、頭を下げて、さっさと岸に上がった。
頭を上げれば、幼馴染み同然の待乳山
わたいは、英泉の態度に
気持ちがくさくさする。ええいっ、気晴らしだ。わたいは、下駄の音を高く鳴らして走り出した。走ると気分が実にいい。ついには裾をからげて
子供の頃から、わたいの足はいっち速ェと評判で、男の子と駆けっこしても負けたことがないのが自慢だ。
蚊とんぼの英泉を
その日、境内に人影はなく、ひっそりと鎮まっていた。
本堂のすぐ手前で追いついた英泉が隣に肩を並べる。酒が入っているせいか、ハァハァと死にそうに喘いでいる。
――ふん、遊治郎め。
わたいは知らんぷりして、懐の紙入れからつかみ出した
胸の前で掌を合わせ、眼を
「オン・キリ・ギャク・ウン・ソワカ……」
唱えつつ、ちょいと薄目を開けて横に流すと、英泉が合掌もせず、
「おやっ、どうした。せっかくだのにお参りしないのかえ」
「へへっ、どうぞ
「へえーっ。その細い
わたいは盛大に皮肉を言ったつもりだが、うすのろ英泉にはまるっきり通じなかった。どころか、鼻の下を人差指で
「お栄さん、知ってやすか。ここのご本尊、つまり
「ああ、聖天さまは、もとをただせば遥か
「で、その姿形たるや、人身象頭の男女二天が、
そう言うや否や、英泉は素早く
「善の字、およしっ!」
咄嗟に、わたいは英泉の羽織の裾をうしろからグイッとつかんで引き留めた。
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