第39話 夜鷹図の女―其ノ壱

 北斎は行く手に目を凝らした。

 月明かりの下で、五、六人の女がうごめいている。いずれも黒茶の縞木綿に白桟留しろさんどめの帯という揃いの着物。それは、このあたり一帯を縄張りとする本所吉田町よしだちょうの「夜鷹会所かいしょ」の女たちであることを示している。

 もし、それ以外、つまり会所以外の身形みなりで客を誘えば、大変なことになる。所場荒らしの女と見做みなされ、袋叩きにされても文句が言えないのだ。

 しかしながら、いま夜鷹たちに取り囲まれているのは、同業の女ではなく、男であった。女たちに足蹴あしげにされているのか、「ヒエーッ」と情けない男の悲鳴が聞こえてきた。

 ――なんだ、なんでい。

 北斎が女たちのほうへ歩を進めると、町人風の小男が夜鷹たちに取り囲まれ、平謝りしている様子が垣間見える。

「もうしねェから、許しておくれよ。頼む。なっ、このとおり」

 男が土下座して、しきりに詫びを入れるが、女たちはわめき立てるのをやめない。

「そりゃあ、こちとら夜鷹は売り物、買い物さね。でも、見世物じゃねェんだ」

「そうだ、そうだ。女郎の仕事を覘き見するなんて、気味の悪い助平野郎だよ」

「ふんっ、たかが二十四文の安女郎と見くびるでないよ」

 一陣の風が吹いて、柳の枝がざわざわと揺れた。

 北斎が女たちの群れにさらに歩み寄ると、目の前の小さな稲荷堂から月の光に照らされて、すっと出てきた人影がある。

 その細身の影に向かって、一人の太りじしの大年増が声をかけた。猪首いくびから出た低い声が夜の静寂に響く。

「お辰姐さん。この始末、どうつけたらよござんすか」

 姐さんと呼ばれた女は、意外にも若い女だった。

 夜鷹会所のたばねの女であろう。月の光を背にして、ゆっくりと仲間たちのかたまりに近づくと、その凛とした雰囲気に気圧けおされたかのように、女たちの輪が左右に割れた。

 お辰という束ねの女が仲間の前で口を開いた。

「そうさね……。可哀そうだが、見せしめのために、ちょいとおきゅうを据えておかないとね」

「では、髪切りの仕置きということで……」

 お辰がうなずくや、猪首女は左の手で邪慳じゃけんに男のたぶさ鷲掴わしづかみにした。その利き手には、いつの間にか剃刀かみそりが握られ、月明かりに妖しくきらめいている。

 男が両の手で頭を抱え込み、再び「ヒエーッ」と哀れな声をあげた。

 そのとき――。

 女たちのうしろから北斎が声をかけた。

「姐さん方、余計なお世話を焼くようだが、そりゃァ、ちとやり過ぎですぜ」

 一斉に振り向いた女たちに、北斎が言い添える。

「殴る蹴るならまだしも、髪切りだけは勘弁してやっておくんなさい。まげのない頭じゃあ、明日から恥ずかしくて、お天道てんとさまの下を歩かれねえ」

 次の瞬間。

「くそったれ。余計な邪魔立てするんじゃないよ」

 猪首女が目を吊りあげて喚き、北斎に向かって剃刀を一閃させた。

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