第36話 勝川派破門―其ノ弐

 田所町たどころちょうの春章師匠とは、五十年ほど前に病没した絵師勝川かつかわ春章のことである。

 春章のやしきは、日本橋田所町にあり、北斎がその勝川派の門を叩いたのは、安永七年(一七七八)、数え十九の春。まだ中島鉄蔵と名乗り、彫師の見習いをしていた頃のことであった。

 この当時、春章は役者絵で一世を風靡ふうびしていた。当代の花形絵師だけに、入門を望む者はあとを絶たず、まさに狭き門であったが、北斎は春章と懇意にしていた彫師の親方に口利きを頼み、そのつてで何とか内弟子としてもぐり込んだ。

 くれない園生そのおに植えても隠れなし。

 入門してわずか一年後、春章は北斎の非凡な画才を認め、「勝川春朗しゅんろう」という名乗りを許した。

 春朗の「朗」は、春章が旭朗井きょくろうせいとも号していたことによる。春と朗。師の春章が、自分の画号のふたつの文字を許したということは、鉄蔵という若者に対して、いかに将来を嘱望しょくぼうしていたかの証左といえよう。

 しかし、この画号が後々、兄弟子たちのねたみを掻きたたせ、反感を買う原因もとになろうとは、当の北斎自身、そのときは思いも寄らなかった。

 春朗こと北斎は、群を抜く画才ゆえに勝川派の中で孤立しがちな存在になった。

 とりわけ弟子の筆頭であった春光しゅんこうは、自分に対して媚びることをしない北斎を露骨に嫌った。

 こんな話がある。

 それは某日、北斎が絵草紙屋から注文を受け、看板絵を描いた折のことである。

 その看板を見世の軒先に掲げようとした丁度そのとき、春光がたまたま前を通りかかった。

 春光はすかさずののしった。

「なんでえ、なんでえ。こんな下手な絵を描きやがって。へそが茶を沸かすとは、このこった。オメエ、天下の大道にこんなお粗末きわまる絵をぶら下げて、お師匠っしょさんの顔をつぶす気か」

 しかも、罵りつつ、北斎の目の前で、その絵を破り捨てたのである。

 春光は底意地の悪い男であった。

 師匠の春章が病で没するや、古参の弟子春英しゅんえいらとはかり、みなで口を揃えて北斎に破門を言い渡したのだ。師匠の死を契機に、長年の鬱積うっせきした感情を爆発させたのであろう。

 破門の名目は、「勝川派以外の他派から絵を学んだ」ということによる。

 当時の浮世絵界は、師の筆法を墨守ぼくしゅし、一点一画こわすことなく描くことがよしとされていた。

 無論、このような因循いんじゅんに北斎が染まるはずもない。

 北斎は狩野派や土佐派、大和絵、四条派、琳派りんぱ、さらには中国南蘋なんぴん派の筆致や司馬江漢しばこうかんの洋画なども学び、世にある一切の流派の長所をことごとくかすめ取ろうとしていた。

 和漢洋の画法を自家薬籠中やくろうちゅうの物とすべく、貪欲ともいえる動きを見せる北斎は、春光、春英らにとって気障きざわり、目障りな存在であったといえよう。

 

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