第30話 枕絵の英泉―其ノ肆
お栄も北斎同様、身振り
別れた亭主の
それに何よりお栄好みの
筆を休めた拍子などに、ふっと笑いかけてくる人なつっこい眼が実にいいのである。
英泉は男にしては大きな二皮眼をしていた。
お栄は英泉の横顔をちらっと盗み見するたびに、「七代目とどこか似ている」と思う。
七代目とは七代目市川團十郎のことである。
お栄の暮らす聖天町とは、道一本隔てたほんの目と鼻の先に
北斎と口喧嘩したときや筆休めの際、お栄はしばしば中村座に向かう。無論、
その
七代目がつと足を止め、蛇の目の傘を持った右腕を高くあげて
本来、大向こうの声は男が掛けるものと決まっているが、お栄はそんなことに構うような女ではない。
女だてらに「タヤッ!」と大向こうをビシッと決め、七代目の姿にうっとりと見蕩れたあとは、筆が機嫌よく進むのだ。
その團十郎と同様、英泉は大きな二皮眼をしていた。
お栄は心の中で、英泉に対してひそかに「お役者英泉」という
三人が
北斎やお栄はもちろん、英泉の金欠病も銭という良薬が効きはじめ、ひとまず完治した。潤沢に入った画料で、お栄は
英泉はといえば、ここ最近、柳島の十軒長屋に顔を出していない。
気になったお栄が、
「善さん、ここんところご無沙汰だねえ。もうお見限りかね」
と、何気ない口調で訊ねると、北斎が口の
「ふふっ、行って
――そうか。馴染みの
道理で最近は柳島に寄りつかないはずだと、お栄は
とは言うものの、お栄とて女である。
心の隅でちらっと
元来が飾らず、気取らずのお
まして、等明と
特に英泉に対しては、好意を胸に秘めているがゆえにこそ、却って冷淡な態度さえ取って、おのれの感情を押し殺してしまうのであった。
「もし、お客さん」
突然、頭のうしろのほうから、お栄の耳に男の若い声が入ってきた。船頭の声であった。
刹那、お栄はわれに返った。冷たい川風が、
船頭の声がつづく。
「見なせえ。じきに山谷堀でござんす」
夢うつつの彼岸から、
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