第23話 過去への猪牙舟―其ノ参
大川の流れを染めて
――淡雪のように、
お栄はなんだかせつなくなり、瞼を閉じた。その瞼の裏に、白日夢のように一軒の家の佇まいがよみがえる。死んだ母親のお琴の
あれは、たしか二十年以上も前、
北斎は西洋人のカピタン(長崎商館長)から、ある依頼を受けた。無論、日本人の通訳を通じてのことである。
依頼は、「日本人の男女の一生を、わかりやすく絵図にしてもらえないか。わが母国
しかも、この頃、
来客も多くなり、狭い長屋ではとても対応しきれない。
そこで妻のお琴は、一軒家をのぞんだ。
「子供らもいることだし、お前さんだって落ち着いて絵に専念したいんじゃないのかえ」
「ふむ。ま、勝手にしな」
金銭どころか、絵を描くこと以外すべてのことに無頓着な北斎に代わり、一家の財布を握っていたお琴は、有り金をはたいて、本所亀沢町に一軒家を
ところが、である。
翌春には、引っ越し魔の北斎が変なことを言いはじめた。
「なんだか、家ん中が
理不尽の極みというべき
結局、その家を売り払って、本所
そのお琴もこの世にもういない。
お栄の口から、ふと溜息のような独り言が洩れ出た。
「馬琴さんも死んだ。わたいの家もみんな次々に死んだ。いまじゃ、三人ぽっちだよ」
お栄のいう三人とは、北斎、お栄、そして
この多吉郎は
ちなみに、北斎は先妻、後妻(お琴)との間に、それぞれ一男二女をもうけている。
先妻の子である長女お美与は、前にも述べたように絵師の柳川重信に嫁いだが離縁となり、その後すぐ世を去った。さらに次女のお
後添えとなったお琴は前妻の子らの世話をしながら、貧乏暮らしの中で、三女のお栄のほか、次男の多吉郎、四女お
お栄は莨の
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