第23話 過去への猪牙舟―其ノ参

 大川の流れを染めてあおくひろがる冬空に、白い一朶いちだの雲がぽつんと浮かぶ。

 ――淡雪のように、はかなげな白さだねえ。

 お栄はなんだかせつなくなり、瞼を閉じた。その瞼の裏に、白日夢のように一軒の家の佇まいがよみがえる。死んだ母親のお琴の面輪おもわが浮かび、いらかの低い本所亀沢町かめざわちょうの景色がよみがえる。

 あれは、たしか二十年以上も前、文政ぶんせい御世みよのこと――。

 北斎は西洋人のカピタン(長崎商館長)から、ある依頼を受けた。無論、日本人の通訳を通じてのことである。

 依頼は、「日本人の男女の一生を、わかりやすく絵図にしてもらえないか。わが母国阿蘭陀おらんだへの土産にしたいのだ」というものであった。さらにカピタンと同行していた医師シーボルトからも同じ注文があり、北斎はこの依頼をそれぞれ二巻の絵巻物にまとめあげ、いささか紆余曲折はあったものの、双方から大枚の礼金を得た。

 しかも、この頃、錦絵にしきえ板元の西村屋与八よはち(永寿堂)から富士図(のちの冨嶽三十六景)を描いてみないかという打診もあり、北斎はまさに名実ともに江戸を代表する絵師としての声望を得ていた。

 来客も多くなり、狭い長屋ではとても対応しきれない。

 そこで妻のお琴は、一軒家をのぞんだ。

「子供らもいることだし、お前さんだって落ち着いて絵に専念したいんじゃないのかえ」

「ふむ。ま、勝手にしな」

 金銭どころか、絵を描くこと以外すべてのことに無頓着な北斎に代わり、一家の財布を握っていたお琴は、有り金をはたいて、本所亀沢町に一軒家をこさえた。それは家族みんなで暮らした初めての「わが家」であった。

 ところが、である。

 翌春には、引っ越し魔の北斎が変なことを言いはじめた。

「なんだか、家ん中が綺麗きれいすぎて、かえって尻が落ち着かねえ」

 理不尽の極みというべき科白せりふであるが、北斎は一度言い出したらきかない。

 結局、その家を売り払って、本所石原町いしわらちょうの長屋に越すことになってしまった。お栄はあのとき、母親のお琴が見せた沈んだ顔をいまでも忘れられない。

 そのお琴もこの世にもういない。

 お栄の口から、ふと溜息のような独り言が洩れ出た。

「馬琴さんも死んだ。わたいの家もみんな次々に死んだ。いまじゃ、三人ぽっちだよ」

 お栄のいう三人とは、北斎、お栄、そして御家人ごけにん加瀬かせ家に養子入りした弟の多吉郎たきちろうのことを指す。

 この多吉郎は元服げんぷく後、名を崎十郎さきじゅうろうと改め、小人頭こびとがしらから徒目付かちめつけ、さらには勘定かんじょう奉行の下役である支配勘定に出世し、本郷ほんごう弓町ゆみちょうにある御家人屋敷に一家を構えていた。

 ちなみに、北斎は先妻、後妻(お琴)との間に、それぞれ一男二女をもうけている。

 先妻の子である長女お美与は、前にも述べたように絵師の柳川重信に嫁いだが離縁となり、その後すぐ世を去った。さらに次女のおてつや、幕府御用鏡師かがみし中島なかじま家に引き取られた長男の富之助とみのすけ放蕩ほうとうの末、早世した。つまり、先妻の子はすべて北斎に先立ち、若死にしたことになる。

 後添えとなったお琴は前妻の子らの世話をしながら、貧乏暮らしの中で、三女のお栄のほか、次男の多吉郎、四女おなおを産んだ。末娘のお猶は生来盲目で少女の頃に儚くなっている。

 お栄は莨のけむと一緒に、せつなそうに溜息を吐いた。

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