第6話 お栄の決意-其ノ弐

 ふた昔以上も前のことになるが、お栄は一度、嫁したことがある。亭主となった男は、神田橋本町二丁目の油屋の息子せがれ、南沢吉之助きちのすけである。

 吉之助は、菜種油、椿油などを商う稼業かぎょうのかたわら、町絵師堤等琳つつみとうりんに師事し、等明とうめいという画号を持って一端いっぱしの絵師を気取っていた。

 等琳は雪舟十三世の孫と称する町絵師で、その名が示すとおり、作風は琳派の流れを汲む。

 北斎はこの等琳と昵懇じっこんというほどではないが絵師仲間としての面識はあった。

 ある日、席画会に顔を出していた北斎に等琳が近づき、ぼそぼそと話しかけてきた。

為一いいつ先生、聞いた話では娘さんの嫁ぎ先をお探しとか……」

 北斎は生涯に三十数度、改号したといわれるが、この頃の画号は為一と称し、落款らっかんにも「北斎改め為一筆」、あるいは「前の北斎為一筆」としている。

 等琳の問いに、北斎は頭を搔きながら応じた。

「へえ。娘のお栄ってやつが、恥ずかしながらき遅れやしてね。方々ほうぼうに声をかけてはおりやすが、これがなかなか……困ったもんで」

 娘お栄の先々を案じた北斎は、手近な絵師仲間に声をかけ、お栄のもらい手を探していた。絵師仲間は席画会などで日頃から付き合いがあるだけに、話を持ちかけやすい。

 北斎はこの手で、お栄の腹違いの姉であるお美与みよを、柳川重信やながわしげのぶという絵師に嫁がせている。つまり、柳の下の二匹目の泥鰌どじょうを狙ったわけであるが、世の中、そう上手うまくは問屋がおろさない。

 先妻の娘お美与は母親似の色白で、今小町いまこまちと呼ばれるほどの美印びじるし(美人)であった。

 ところが、後妻ごさいのおことが腹を痛めたお栄は、あごが大きく前にしゃくれた顔立ちで、お世辞にも美印とは言えない。女としての色気に乏しいだけならまだしも、其辺そこいらの絵師よりもはるかに腕が立ち、女だてらに見事な枕絵(春画)もササッといてのける。

 しかも、お栄は根っから煮炊き、洗濯、掃除といった女としてのつとめが大の苦手であった。

 こうなると、貰い手がないのも当然であったが、それでも北斎はなんとかしてお栄をえんづかせ、女の幸せってもんを味わわせてやりたかった。柄にもない親心であった。

 その北斎に等琳が耳打ちする。

「実は、手前わっちの弟子に、為一先生にあくがれている者がおりましてね」

「はあ、それはおそ入谷いりやなことで……」

「で、やっこさんが申しますには、お栄さんの《むこ》聟になれるのなら、こんなにうれしいことはない。ぜひ、お師匠さまから……へへっ、手前わっちのことでござんすが……ご推挽すいばんいただき、常日頃から画聖、画仙と仰ぎ見る為一先生の身内になりたいと、こう熱心に語るんでござんすよ」

 それが油屋の息子、吉之助こと等明であった。

 おのれの画才に自信のない等明は、北斎の娘聟となることで、せめて葛飾かつしか一門に名を列ねたいという目論見もくろみがあったのである。

 ともあれ、等琳が間に入ったことで、縁談はトントン拍子に進み、めでたく縁組はまとまった。

 お栄と等明のこの二人は、同じ道をたしなむだけに、傍目はためには似合いの夫婦とも思えた。

 ところが、女の敵は女という構図の中でも、嫁姑問題は昔から変わらない。嫁ぎ先の油屋には、小うるさい姑のキンが手ぐすねを引いて待ち構えていた。

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