第4話 馬琴の訃報-其ノ肆

 水滸伝翻訳の作家と画工の二人が対立し、いがみ合ったままでは作業が進まない。しかも板元はんもとのとりなしも聞く耳もたぬときては、万事休すである。

 ほとほと困り果てた下駄甚であったが、板元としては商売上、ほっとくわけにもいかない。この問題を同業の書肆ふみやに相談し、その寄り合いにはかることにした。すると、「本自体が画伝と称すゆえに、翻訳文よりも絵を優先すべし」と、書肆の旦那衆から北斎の思惑どおりの裁定が下り、馬琴は大いにむくれた。

 結局、馬琴は途中の初編で翻訳を投げ出し、二編以降の翻訳は読本作家の高井蘭山らんざんが引き継ぐこととなった。

 しかし、この水滸画伝のいざこざで北斎と馬琴が手切れとなったかというと、否である。

 馬琴は北斎の才能を認めているからこそ、小うるさく注文をつけたのであり、たもとを分かつ気ははなからない。

 北斎の絵には、他の画工にはない力感があった。馬琴特有の漢文調の文章に釣り合う力強い絵を描けるのは、江戸広しといえども北斎ただ一人であった。

 しかも雄渾ゆうこんな筆力に加え、墨の濃淡を巧みに使いわける細密な描写力や大胆な構図は余人の及ぶところではない。

 ほどなくして、馬琴は平林堂より読本の大作『椿説弓張月ちんせつゆみはりづき』を板行はんこうすることになった。

 馬琴は板元から「先生、挿絵はだれに描いてもらいやすか」の問いに、迷うことなく北斎の名をあげた。

 しかし、この時期、馬琴と北斎は相当の売れっ子となっており、二人とも意見交換や打ち合わせをする暇もないほど多忙であった。

 やむなく、北斎と馬琴は再び飯田町の伊勢屋二階、つまり馬琴の書斎「著作堂」で寸暇を惜しむように膝を突き合わせて作業に没頭した。

 それから数カ月が経過した。

 新進気鋭の天才同士が異常ともいえるほどの集中力と精力を傾注したのである。

 結果はすぐに出た。

 文化四年(一八〇七)正月、馬琴の史伝読本の初作となった『椿説弓張月』前編が発市うりだされるや、予想を上回る飛ぶような売れゆきに板元の平林堂は狂喜した。

 無論、二人の天才作家の名は一躍高まり、江戸市中に知れわたることになった。

 この読本は、保元ほうげんの乱に敗れて、伊豆大島に流され、死んだはずの源為朝みなもとのためともが琉球に渡り大活躍するという物語である。

 馬琴が縦横無尽の想像力を駆使し、書き上げた奇想天外、波瀾万丈の壮大な冒険奇譚きたんは、北斎の劇的かつ生々しい筆致の挿絵とあいまって、江戸市中から万雷の拍手をかっさらった。

 馬琴の漢文調の堅苦しい文章に、北斎が躍動的な絵筆で生命力を吹き込んだのである。すべてが好調であった。

 傍目には阿吽あうんの仲のようにも映った馬琴と北斎の様子に、

「この按配あんべえじゃァ、当分、あの気難しい先生方の間にも波風は立つめえ」

 と、平林堂だけでなく江戸の書肆は胸をなでおろした。板元らは北斎・馬琴コンビの活躍に大いに期待し、「先生、お互いに切磋琢磨せっさたくま、気張っておくんなせえ。あっしらも稼がせてもらいやすよ」と声をかけた。

 ――なるほどねえ。

 ここまで馬琴との経緯いきさつを聞いていたお栄は、朱羅宇しゅらおの長煙管を口からはずし、「ふうっ」と莨のけむを吐き出した。

 そのときであった。

 強い風が長屋の腰高障子を叩いた。

 突如、火の見やぐら半鐘はんしょうを連打する音が鳴り響いた。

 火事だ。

 お栄は反射的に褞袍どてらを引っかけ、腰高障子をガラリと開け放つや、背中越しに父親に威勢よく言った。

「ちょっと見てくる。お父っつぁん、いつまでも土間に座ってねえで、早く座敷にあがんな。風邪、引くよ」

 久しぶりの火事に興奮したのか、お栄の頬が紅潮している。

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