第3話 馬琴の訃報-其ノ参
片や駆け出しの戯作者、片や売れない
お栄が父親の背に語りかける。
「馬琴さんと仕事を組んだ当初の頃は、兄弟みたいに仲がよかったというじゃないか。なのに、なんで喧嘩別れしたというのさ」
「へんっ。あいつが、オイラの絵にケチをつけたからよ。いまでも思い出すと、ムカッ腹が立つ。偉そうなことをほざきやがって……瑣吉のバカ野郎……」
読本とは絵入りの長編伝奇小説で、当然ながら物語作家と挿絵画家の二人が、いきを合わせてひとつの作品を仕上げねばならない。
この頃、馬琴は、飯田町で下駄屋を営む伊勢屋(
馬琴はこの書斎に、本所林町三丁目の長屋
口には出さずとも、馬琴は北斎の稀有な画才を見抜いていた。
早速二人は、読本『新編
この水滸画伝は、中国『水滸伝』の翻訳物で、主な舞台を
ところが、北斎はあくまでも画工であり、宋代における文化、習俗に
一方、馬琴は幼少時代から本の虫であり、和漢の古典に
馬琴は北斎の挿絵の至らざるところを、重箱の隅をつつくようにうるさく注文をつけた。
「この衣服の形なんか見られたもんじゃねえ。部屋の装飾類もなっちゃいねえ。これでも宋代当時の暮らしを描いたとでもいうのかい。見なせえ、ここも、ここも、間違っているじゃあねえか。ダメだ、駄目だ。わるいが描き直しとくれ」
無論、自尊の念強く、喧嘩っ早い北斎が黙っているはずもない。
「てやんでえ。自分を何様だと思っているんでえ。
「なんだよ。本の題って?」
「ふんっ、水滸伝ならぬ、水滸画伝ってあるじゃあねえか。この読本の売りは、絵柄なのよ。絵の魅力なくして、画伝なんて言えるもんかい。文章なんてのは、いわば絵の付け足しよ」
「言ったな、
馬琴は思わず北斎の通り名を呼んで、胸ぐらをつかみ、下駄屋の狭い二階で取っ組み合いとなった。
当然、以降の作業は進まない。作家の二人がいがみ合ったままと聞き、ついに
「先生方、これは仕事なんですぜ。いい加減、やめてくだせえ。いかがでげすか。
これに馬琴が
「おやおや下駄甚さん、これは異なことを承る。仕事、仕事というなら、なんでこの前に書いた戯作の稿料を払わねえんですかい。一席もうける金があるなら、稿料の払いを先にしてもらいてえ。それに、こんな下手な
すかさず北斎が
「ふざけるんじゃねえ。こちらこそ、こんな三文作家と酒なんか呑めるかい。それに、オイラは自慢じゃねえが、酒を呑む時間なんてねえんだ」
馬琴がいかにも
「ふん、江戸っ子の風上にもおけぬ
「なにを、この野郎!」
ああ言えばこう言う。二人の子供じみた喧嘩に、下駄甚は
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