第3話 馬琴の訃報-其ノ参

  片や駆け出しの戯作者、片や売れない画工えかきとして、蔦屋を介して出遭った二人は、天才同士の鋭敏な触覚により、たちまち互いの才能を認め合う。

 お栄が父親の背に語りかける。

「馬琴さんと仕事を組んだ当初の頃は、兄弟みたいに仲がよかったというじゃないか。なのに、なんで喧嘩別れしたというのさ」

「へんっ。あいつが、オイラの絵にケチをつけたからよ。いまでも思い出すと、ムカッ腹が立つ。偉そうなことをほざきやがって……瑣吉のバカ野郎……」

 享和きょうわ四年(一八〇四)正月、遷鶴堂せんかくどうから板行はんこうされた読本よみほん『小説比翼文ひよくもん』の共作を皮切りに、北斎と馬琴は対になって読本の仕事に励むことになる。

 読本とは絵入りの長編伝奇小説で、当然ながら物語作家と挿絵画家の二人が、いきを合わせてひとつの作品を仕上げねばならない。

 この頃、馬琴は、飯田町で下駄屋を営む伊勢屋(会田あいだ氏)の入り婿におさまっていた。この下駄屋の二階に設けた書斎を「著作堂」と名づけ、髪結いの亭主よろしく戯作三昧にふけっていたのである。

 馬琴はこの書斎に、本所林町三丁目の長屋甚兵衛店じんべえだなにいた北斎を招いた。

 口には出さずとも、馬琴は北斎の稀有な画才を見抜いていた。

 早速二人は、読本『新編水滸画伝すいこがでん』の共作にとりかかった。

 この水滸画伝は、中国『水滸伝』の翻訳物で、主な舞台を北宋ほくそう末期の第八代皇帝徽宗きそうの時代とする。

 ところが、北斎はあくまでも画工であり、宋代における文化、習俗に知悉ちしつしているわけではない。当然、その挿絵には和漢錯雑さくざつのきらいがあり、風俗描写の正確さに欠けた。

 一方、馬琴は幼少時代から本の虫であり、和漢の古典に造詣ぞうけいが深い。とりわけ唐土もろこし古代の有職故実ゆうそくこじつや風儀について該博がいはくな知識があり、北斎の及ぶところでない。

 馬琴は北斎の挿絵の至らざるところを、重箱の隅をつつくようにうるさく注文をつけた。

「この衣服の形なんか見られたもんじゃねえ。部屋の装飾類もなっちゃいねえ。これでも宋代当時の暮らしを描いたとでもいうのかい。見なせえ、ここも、ここも、間違っているじゃあねえか。ダメだ、駄目だ。わるいが描き直しとくれ」

 無論、自尊の念強く、喧嘩っ早い北斎が黙っているはずもない。

「てやんでえ。自分を何様だと思っているんでえ。第一でえいち、この読本はおいらの挿絵あってのもんよ。オイラの画力が売り物なんだ。本の題を見てみなせえ」

「なんだよ。本の題って?」

「ふんっ、水滸伝ならぬ、水滸画伝ってあるじゃあねえか。この読本の売りは、絵柄なのよ。絵の魅力なくして、画伝なんて言えるもんかい。文章なんてのは、いわば絵の付け足しよ」

「言ったな、鉄蔵てつぞう

 馬琴は思わず北斎の通り名を呼んで、胸ぐらをつかみ、下駄屋の狭い二階で取っ組み合いとなった。

 当然、以降の作業は進まない。作家の二人がいがみ合ったままと聞き、ついに板元はんもとの角丸屋甚助じんすけ(通称下駄甚)が仲裁に入った。

「先生方、これは仕事なんですぜ。いい加減、やめてくだせえ。いかがでげすか。おつな年増女がやっている小料理屋がありますもんで、そこでちょっと一杯やって、手打ちといきませんか。一席もうけさせていただきやすから」

 これに馬琴がみつく。

「おやおや下駄甚さん、これは異なことを承る。仕事、仕事というなら、なんでこの前に書いた戯作の稿料を払わねえんですかい。一席もうける金があるなら、稿料の払いを先にしてもらいてえ。それに、こんな下手な画工えかきと席を共にするなんてのは、真っ平ごめんだね」

 すかさず北斎がえる。

「ふざけるんじゃねえ。こちらこそ、こんな三文作家と酒なんか呑めるかい。それに、オイラは自慢じゃねえが、酒を呑む時間なんてねえんだ」

 馬琴がいかにも狷介けんかいそうに唇を歪めた。

「ふん、江戸っ子の風上にもおけぬ下戸げこのくせに」

「なにを、この野郎!」

 ああ言えばこう言う。二人の子供じみた喧嘩に、下駄甚はさじを投げた。

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