第2話 馬琴の訃報―其ノ弐
北斎とお栄が暮らす
長屋にはやたら子供が多い。
上がり框に腰を落として動こうとしない北斎に、お栄が念を押すように言った。
「くどいようだけど、馬琴さんのお弔いは明日だよ。出るかい、出るだろ?」
お栄に背を向けたまま、北斎は
「オイラ、あいつの死に顔なんぞ拝みたくねえ。それに、瑣吉とは喧嘩別れして、それっきりなんだ。あいつが死のうと、生きようと、おいらにはかかわりのねえこった。いまさら、のこのこと葬儀なんぞに出て、どの
「なに言ってんのさ。先方の滝沢家から訃のおしらせが来たんだよ。出なきゃ、不義理ってもんさね。お
お栄の言うとおり、それは古い、古すぎるような昔の話であった。
北斎は遠い眼になって、へっついの暗がりを見た。
そもそもの事のはじまりは、いまから五十年余も前の寛政四年(一七九二)にさかのぼる。
この年、北斎は『
黄表紙とは、当時の世相や流行を面白おかしく描いた絵入りの本、すなわち漫画風の読み物で、その名称は表紙が黄色であったことに由来する。
風変わりな題の『花春虱道行』は世に出るや、滑稽本としてたちまち好評を博した。この本の執筆者は馬琴であった。これが絵師北斎と戯作者馬琴の長きにわたる因縁のはじまりとなった。
当時、勝川
「とんとんとん唐辛子、ぴりりと辛いは
「
などと呼び声を張り上げて、きょうは浅草・
一方、馬琴は北斎より七歳年下の二十六歳であった。
お栄が「滝沢家は歴としたお侍さん」と言ったように、馬琴は旗本・松平
十歳にして主君の孫
十四歳の秋、障子に「
その後の馬琴は、長兄
以後、渡り
北斎と出遭ったのは、江戸随一の
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