北斎とお栄-その晩年

海石榴

第1話 馬琴の訃報―其ノ壱

「そうか、瑣吉さきちが……あいつっちまったか」

 娘のお栄から、瑣吉こと曲亭きょくてい馬琴ばきんが死んだことを知らされ、外から帰ってきたばかりの北斎は、裏長屋の上がりかまちにへたり込むように腰を落とした。

 小暗くかげった四畳半の間から、土間の北斎にお栄が語りかける。

「さっき散々さんざ、迷ったあげく、玉の汗で長屋に飛び込んで来てさ。馬琴さんちからの手紙を寄こしてくれたんだよ。亡くなったのは昨日の六日。お弔いは明日、四谷よつや信濃坂しなのざかのお宅で武家式にやるんだとさ。なにせ馬琴さんは、もともと滝沢興邦おきくにというれっきとしたおさむらいさんだからね」

 チリンとは町飛脚まちびきゃくのことである。

 この当時、町飛脚は書状入れの小さな箱を棒につけて担ぎ、大江戸八百八町はっぴゃくやちょうを駆けずりまわっていた。棒の先には風鈴がついている。これが走るたびに鳴ることから、江戸っ子は町飛脚のことを「チリン」と呼んでいた。

 北斎は柿色の袖なし半纏はんてんを羽織った肩を悄然しょうぜんと落とし、お栄の話を聞いている。

せんやらしゃくやら、馬琴さんは何かと持病の多いお方だったからね。それでも、八十二歳まで長生きして立派な仕事を成し遂げたんだから、ま、大往生というもんさ」

「バッカ野郎。あいつは戯作げさくの虫よ、読本よみほん書きの鬼よ。まだ書きたいことが山ほどあったんだ。いくら書いても書き足りねえと、寝る間も惜しんで筆をっていた瑣吉にとって、大往生なんか真っ平ごめんというもんだ。第一でえいち、世間の尺度でものを言うなんて、オメエらしくもねえぜ」

 北斎の苛立ったような声に、お栄は片眉をあげて押し黙った。

 薄い西陽が、建付たてつけの悪い腰高こしだか障子から洩れ射し、その光の筋に土間口の粉塵ちりがきらめいていた。

 突如、戸外のドブ板通りで、棒手ぼて振りの甲高い声が響いた。いつものいわし売りの声だ。それにつづいて、「なっとー、なっとー。叩き納豆だよ」の声が、足音とともに遠ざかる。

 嘉永元年(一八四八)の十一月、北斎とお栄は、浅草寺せんそうじ裏手の聖天町しょうでんちょうにある長屋で暮らしていた。

 その前というか、この年の皐月さつきの頃、北斎とお栄の二人は聖天町とは通りひとつ隔てた浅草田町たまち一丁目の裏店うらだなにいた。つまり、ほんの半年前、目と鼻の先からここへ引っ越してきたというわけである。

 北斎は来年九十歳を迎える。いつ死んでもおかしくない卒寿そつじゅを目前にして、転居すること、これで九十三度を数えた。

 不染居ふぜんきょという齢四十代の頃に使用した画号が示すとおり、この老絵師は昔から極めつきの引っ越し魔であった。少しでも気に入らない場所にはっとしておられず、一日に三度も引っ越したことがあるという。当時の文化人名鑑である『広益こうえき諸家人名録』に「居所不定」と記されるのも、なるかなであった。

 馬琴の死がよほど大きな衝撃だったとみえ、北斎は上がり框に座ったまま、身動みじろぎひとつしようとしない。

 この寒風の中、どこをどうほっつき歩いてきたのか、色褪せた紺縞こんじま木綿の肩口や袖に、うっすらと土埃ほこりをこびりつかせている。

 お栄は長火鉢ながひばちの前に陣取り、朱羅宇しゅらお長煙管ながぎせるはすくわえ、時折、ふうーっとたばこけむを吐き出しながら、父親の背中をみつめている。

 冷たい江戸のからっ風が、おんぼろ長屋の腰高こしだか障子をカタカタと鳴らした。

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