088 工人の妻

「これは僕がもらったんだよ、トード」

「そんなはずはございません。それはいつもトードとの勝負に賭けられていたものです」

 信じがたいがトードはめん寄越よこせと言っていた。王族である自分から、工人こうじんが物を横取りしようとは、そんな事があって良いのか。

 一瞬、うめきそうになったが、スィグルは皆に無言で見られ、我慢した。

 富裕で聞こえるアンフィバロウ家の者が、仮面の一枚や二枚を惜しむようでは、ケチくさいではないか。求めに応じるべきだ。

 でも父上がくれたのに……。

 そう思いながら、スィグルは内心苦渋くじゅうの思いで、ギリスが持っている仮面を下げ渡すようにとうなずいて見せた。

 ギリスが直に持っていこうとしたが、客座に控えていたサリスファーが進み出て、取り継ぎをした。

 そういう作法は彼らには日常茶飯事のようだった。

 さも当たり前のようにサリスファーが部屋の途中まで仮面を持って行ってやり、膝行しっこうして仮面を受け取ったトードリーズが深々と平伏していた。

 スィグルはそれを首座しゅざから眺めるしかなかったが、受け取ったトードリーズは嬉しそうだった。

 いつも先に弁当を食われていたのだから、今回は先に勝利の前借りをトードがしても良いということなのか。

「大変な名誉」

 めんあがめるように押しいただいて、それでもトードは微笑む女面おんなめんを自分の質素な長衣ジュラバふところに入れた。

 そんなところに仕舞しまうなよと思ったが、スィグルは不問ふもんにした。

 父はトードが欲しがっていた勝利を褒美ほうびに与えたのかもしれなかった。

 本当に飢えている時に食い物をくれたのがトードだったら、自分だって仮面の一枚ぐらい惜しまず喜んでくれてやるだろう。

「どうぞお伝えください。いただいた仮面は家宝にいたしますと。勝負には、お呼びいただいたらいつでも参上します」

「では明日の昼飯時に」

 ギリスが横からすかさず口をはさんだ。

 明日とは、いくらなんでも急ではないのか。

「トードの家では、ついさっき子供が生まれたところなんだよ?」

 遠慮しろというつもりでスィグルは言った。しかしギリスは何も分かっていない顔だった。

「こいつが産んだわけじゃないだろ」

「確かに、妻が産みました。もはや心配はないかと。我が子の誕生祝いに、この仮面を頂戴ちょうだいしに参りましょう」

「いいのか、トード」

 スィグルが困って尋ねると、工人の男はにこにこして頷いていた。

「殿下、それ……お似合いでございますね」

 自分の額を指差して、トードリーズは面白そうに言った。

 スィグルの額に貼ってある、偽物の竜の涙の玩具おもちゃのことだろう。

 スィグルは気恥ずかしくて、自分の顔を隠したかったが、顔をしかめて耐えた。

「王子が来るわけにいかないって、こいつが言うんだよ」

 ギリスのせいだとあごで示して、スィグルは言い訳した。

 トードにこれが自分の考えだと思われたくなかった。

 工人だろうと粉屋だろうと、会う必要があれば、スィグルは会うつもりだった。その時に自分の身分を隠したりはしない。

 自分の臣民に王族が会ってはならぬ、どんな理由があるというのか。

 もともとは皆が同じ奴隷の身の上で、森から逃れてきた者の子孫なのだ。

 それが今さら貴賎きせんを言うのは、実を言えばおかしい。

 トードリーズは笑って、変装した王子の気まずいふくれっつらを見ていた。

「そうでしょうね。ここは王族がお越しになるような場所では……。イェズラム様もそうおおせでした。こちらにお越しになった折に」

「来たの⁉︎ イェズが⁉︎」

 魂消たまげた様子でギリスが尋ね、その頓狂とんきょうな声に、トードリーズは笑いをこらえているように見えた。

「お越しになりました。お一人で」

 思い出し笑いのように、トードリーズはうっふっふと笑っている。

「一人で来たの……?」

 それが何を意味しているのかと、ギリスは悩むように、連れてきた一同を見回していた。

「恐らく聞く耳の少ないほうが良いお話だったのでしょうね。当時はトードはこの広い家に一人で住んでおりましたもので」

 広いと言われて、そういうものかと、スィグルは英雄たちとトードの家の客間を見回した。

 この屋敷の広さがどのくらいか分からないが、王宮と比べられるものではなかった。

 恐らく広いのだろう。庶民が住むものとしては。

「こんな屋敷を与えられましても、トードは王宮勤めの身、宿下りの休みを頂いても、この家で特にすることもなく、待つ者がいる訳でも……と申し上げましたら、イェズラム様が、では妻をつかわすとおおせに」

 スィグルはトードリーズの話をちゃんと聞いていたが、なぜそうなるのかよく分からない話だった。

 トードもそう思うのか、噛み殺したような苦笑の顔だった。

「その日のうちに妻が来ました。良い女です。王宮の女官だったそうで……とにかく、良い妻であることは間違いありません。トードはそれで不満はございませんが」

 言葉の通り不満は無さそうな顔で、でもトードは苦笑していた。

「ですが、それはリューズ様のご命令ですか? トードは褒美ほうびは要りません。この屋敷は工人こうじんの親方が住むものでして、トードは自分の才覚でここに辿たどり着くつもりでした。それが工人の本懐ほんかいというもの」

 淡々と語るトードリーズの話を、スィグルは首座で小さくなって聞いた。

 トードリーズほどのたくみともなると、自力で工人の親方デンの一人になれただろう。

 それが、父が褒美ほうびつかわしたせいで、何かの褒賞ほうしょうでこの家と地位を得た者ということになったのだ。

 それは……むしろ不名誉だったのではないか。トードリーズにとっては。

「ごめんね、トード。でも父上は、感謝のあかしとして、この家と財産をお前に贈ったんだ。そうおおせだった」

「世間知らずなのです、殿下のお父上は」

 眉間みけんしわを寄せて、トードリーズは急に鋭く厳しい声で言った。

 客座の英雄たちがビクッとするのが感じられた。

 これは、言ってはならぬ事ではないか。もしや、無礼をとがめて叛逆はんぎゃくを問う必要があるのではと、まだ年若い英雄たちがゾッとしたようなのをスィグルは感じた。

 彼らはまだ戦線に出た事がないと言っている。敵と戦ったことはなく、もちろん同族を殺した事もないだろう。

 人をがいするのは気力のいることだ。

 生まれついての英雄でもそうなのだ。

 そうだと知って、スィグルは少しほっとした。彼らが平気でトードを斬るようだと、何かがたまれなかった。

「トード。今のは聞こえなかった。僕にお前の首を王宮に持って帰らせないでくれ」

 スィグルが許すと、トードは淡い笑みだった。いつぞやトルレッキオへの旅の途中にも見たような、くつろいだ笑みだ。

「ご随意ずいいに。でも心配ご無用でございます。もしトードめに叛意はんいがあれば、恐らく妻が何とかするでしょう。良き妻ですが、イェズラム様がおつかわしになった女です。必要の際には殿下のお手をわずわせる事はないでしょう」

「そんな相手、どうして断らなかったの、トード」

 トードリーズは妻が自分を監視しており、必要があれば殺すだろうと言っているのだ。そんな女と結婚したい者がいるだろうか。

 知らずに婚姻したのだろうか。スィグルはその可能性も考えたが、世の中は王宮の殿下が思うより複雑らしかった。

「断ったところで別の女が来るだけですよ。工人の妻といえば、大抵はいつの間にか決まっているもので、親や親方デンが連れてきてめあわせるものです。それが玉座の間ダロワージの女になるなら、悪くない話です。皆が驚くほど美しい妻なんですよ」

 真面目に言っているらしいトードリーズに、スィグルは絶句した。

 なぜかは分からないが、自分は衝撃を受けたらしかった。

 王族や貴人と違って、庶民は好きな相手と婚姻しているのかと思っていた。

 昔話に出てくるような、愛し愛される恋人同士が結ばれるものかと。

 違うのか。

 自分はそういう顔をしたのか。

 トードリーズが急に、あははと笑った。

惚気のろけてすみません」

惚気のろけてんのかそれは」

 全く分からないという険しい顔で、ギリスが問いただしてくれた。

 自分も聞きたかったので、スィグルは射手いての機転に珍しく感謝していた。

「お慈悲でございますよね。大英雄の。工人風情の一人や二人、言ってはまずい話があるなら、始末なさるのがお楽では?」

 答える代わりにトードリーズはギリスに尋ねた。

「分かってるなら黙ってろ」

しゃべりすぎましたでしょうか?」

 悪びれぬふうにトードリーズはギリスに尋ねたが、スィグルにはトードがわざと話しているようにしか見えなかった。

 ずっと黙っていたのだ。随行の旅の間には、トードリーズは自分の妻の話などスィグルにはしなかったし、大英雄イェズラムと面識があったことも、全く態度には出していなかった。二人は初対面に見えたのだ。

 イェズラムは、まさかトードリーズに妻を与えた張本人には見えなかった。

 それでもトードはイェズラムの見ている前で、父と会ったことがあるという話をしてきた。あれは、大丈夫だったのか。トードはその時、父リューズ・スィノニムに再び謁見えっけんしたいと言っていた。

 ただの思い出話なのかと思ったが、イェズラムに頼んでいたのだろう。もう一度会わせて欲しいと。

 でも、イェズラムはダメだと答えた。

「ここにいる者に話すのはいい。でも他所よそで話すな」

 ギリスは厳しい声でトードリーズに命じていた。

 それにトードは淡い笑みでうなずいた。

「話しておりません。一度も誰にも。正直に申しまして、時が経つほど夢か幻だったかと思うほどです」

 トードリーズは自分のふところにある仮面を衣服の上から押さえ、それが間違いなくそこにあるのを確かめたようだった。

「今日、殿下がお持ちくだされたこの仮面を見て、トードめにも、やっと確信が湧きました。あれが本当にリューズ様だったんですね」

 今さらのような事をトードリーズは言った。

 あれが、というのが、トードリーズが見たという、どんな人物だったのか、スィグルには分からなかった。

「明日、必ず王宮に戻っております。是非ともお目通りを」

「なぜ父上に会いたいんだ」

 会ってどうするのかと、スィグルは不思議になった。トードは懐かしいから会いたいのだろうか。

「殿下は将棋はなさいませんね」

 トードはスィグルが学院への旅の間に、将棋を指さなかったのは知っていた。

 これから死にに行く身で、そんな気分になれなかったのもあったが、そもそもあまり将棋はしない。相手もいなかった。

「殿下のお父上にも将棋を指す相手がおいででないでしょう。トードにもおりませんのでお察しいたします」

 トードリーズはいかにも、父リューズ・スィノニムのことが良く分かっているふうに言っていた。

 スィグルはそれを黙って見つめた。

 一体どんな縁があれば、一介の庶民であるトードが、玉座に座した父とそこまで通じ合えるのか、スィグルには分からなかった。

 それが民の声を聞くということか?

 父にはできて、自分にはまだ無いものだ。

「シャンタル・メイヨウやハルペグ・オルロイが撤兵した今、殿下のお父上と対局する相手が誰もおりませぬ。トードがお相手いたしたく」

 にこやかなトードに軽く唖然あぜんとして、スィグルはすぐには返事ができなかった。

「トード……お前、本気で言ってるのか?」

「リューズ様よりお強い棋士に、それ以前もそれ以後も、出会ったためしがありませぬ。トードはリューズ様と戦いたいのです」

「イカレてるよ、お前。玉座の君がお前の将棋友達か?」

 ギリスでさえ呆れるのか、のんびりと言ってきた。

 それにトードはうなずいて満足げだった。

「そういう事でございましょうか。出会った時には御即位前で、トードは知らなかったのでございます。ただの腹ぺこの役者かと。それにしては馬鹿みたいにお強うございましたよね」

 にやりとして、トードリーズは嬉しそうだった。

 やっぱりトードは頭がおかしいのではないかと、スィグルは久々に思った。

 少なくとも他のありきたりの者たちとは全然違う男だ。

「殿下のお引き合わせのお陰にて、感謝いたしております」

 深々と叩頭し、トードリーズはスィグルに感謝していた。

 トードと初めて会ったのは、トルレッキオへの随行の旅の時だ。

 トードは志願したのだと言っていた。

 敵地へ行くのだし危険な旅だっただろう。

 トードリーズにはその時、妻も子もあり、堅実な仕事もあったのだ。

 それを全て投げ打ちトルレッキオへ。それもなぜだったのか、そういえば聞いていない。

 たまたまだろうと思っていた。誰もが嫌がる役目を優しいトードリーズが引き受けてくれたのだと。

 そうではなかったのかもしれない。

 敵地へ捨てられる王子とは言え、工人が壁も幕もへだてず王族と会える、ごく限られた機会だったのだ。

 トードはリューズ・スィノニムの息子スィグル・レイラスに会うために随行団に加わったのかもしれない。

 そして、お前の父を知っていると伝えてきた。即位が決まったと言って突然別れ、それっきりだったと。

 そのせいで、まだ勝敗のつかないままの勝負があった。お会いしたい。

 それがトードリーズの用件だったのだ。

 アンフィバロウ家の王子を伝令に使うとは、大したものだ。

 僕がまともな王子だったら、たぶんもうトードの首をねてる。

「将棋ってそんなに良いものか、トードリーズ」

 命を賭けるほどか?

 スィグルは疑わしく思い、心の底から尋ねた。

 トードは苦笑していた。

「それがお分かりにならない、殿下がおかしいのです」

 恐ろしく不敬な気がしたが、スィグルは聞き流した。この程度でいちいち首を切っていては、トードリーズとは話せない。

 たぶん父もそうだったのだろう。

 この工人を父と会わせるのが自分の仕事だ。

 うまくいきそうだった。

 それに深いため息が漏れて、スィグルはふと茶の匂いに気づいた。

 この家の者たちらしい質素な衣服の女たちが、客間におずおずと茶器を持ってきていた。

 立派な品だった。彩色された磁器の器に、紋様のちょうが飛んでいる。

 平伏してから、給仕をしようとする女を見て、トードリーズが驚いていた。

「妻です」

 そうスィグルに教えてきたきり、トードは幽霊でも見たように青ざめ、唖然あぜんとしていた。

「なぜ降りてきた。寝ていろ」

 客に給仕をする妻に、トードリーズは鋭い小声で言った。

 産声を聞いたのは、つい先刻だ。のんびり話してしまったが、でも女は礼服を着ていた。まさか産褥さんじょくから急ぎ着替えてきたというのか。

 女の顔色は悪く、憔悴しょうすいして見えたが、トードリーズの言葉通り、驚くほどの美女だった。

 枯れ谷アシュギル氏族だ。

 まさか王族ではないだろうが、王宮の女官にはこの系統の者もいる。

 スィグルは言葉もなかった。なんと言って良いかもわからない。

「ようこそ当家へ。光栄でございます。ごゆるりと」

 工人の家の女主人の叩頭に合わせて、茶器を運ぶために付き従っていた二人の女たちも、深々と平伏した。

 王宮の儀礼だった。工人区の妻女や使用人がするにしては、あたかも玉座の間ダロワージの晩餐を思わせるような完璧な作法だ。

 来客の顔ぶれを聞いて、産んだばかりの赤子を置いて接待に現れたのだろうか。

 殿下や英雄が来たのに寝ていては、無礼をとがめられると思ったのだろうか。

 王宮とは、そういう場所だっただろうか。そうかもしれなかった。

「忠義だった。ありがとう。もう休んでいて欲しい。見送りは無用だ」

 スィグルはそう頼んで、振る舞われた熱い茶を飲んだ。

 甘く爽やかな匂いがした。特徴的な。他の客に出された茶と違う。

 これは『新星昇る』だ。間違えようがない。昨夜の晩餐で飲まされたばかりだ。

 横でギリス達が飲んでいる茶の匂いにも覚えがあった。銘は『英雄来たる』だろう。

 この女たちはエレンディラがつかわしたのだ。エル・イェズラムではなく。この者たちの主人は今も王宮の、長老会の部屋サロンにいる。

 来る前に知らせようが、無断で来ようが、結果は同じだったのだ。どうせ女英雄の知るところとなる。

 イェズラムはトードのことを父上に黙っていたそうだが、エレンディラもだった。

 そして、その事実をこちらに隠してもいない。そういうことなのか。

「帰ろう、ギリス。いい勉強になったよ」

 小さな茶器を受け皿に戻して、スィグルは去るつもりだった。

 器に描かれたちょうの意匠は、即位前の、まだ殿下だった頃の父の紋章と同じだ。

 偶然と思うのは難しかった。

「殿下はお父上には少しも似ておられませんね」

 もう去るという間際まぎわに、トードリーズは急にそう言った。スィグルの顔を眺め。

 容貌が似ていないと言っているのだろう。

 突然言われて、スィグルは返答できなかった。

 それは自分の弱点だ。本当のところを言えば、ずっと気にしていることだ。

 朝議の席で図らずも顔を突き合わせることになった第一王子などは、面差しも声もスィグルよりは父と似ていた。

 民も廷臣たちも、そういった父の写身うつしみの王子を求めているのではないか?

 自分はそこから遠いのではないか。

 耳を傾けぬようにはしてきたが、スィグルやスフィルのことを、容貌が似ていないことを理由に、父のたねではないのではないかと悪口を言う者もいるのだ。

 名君の血筋を示すのは殿下の義務で、自分はそれを怠っているということなのだろう。

 だが、そう言われても、努力で自分の姿形を変えられるものではない。

 明らかに自分の弱点だった。

 それに答えずにいるこちらを見て、トードリーズはにこにこしていた。

「名君のお血筋ではありませぬ」

 にこやかに言う工人の男に、客間にいる誰もが驚いていた。おののいていたと言うべきか。

 トードの脇に悄然しょうぜんひかえていた妻も、まるで血が通っていない死霊のように青ざめ、悲しい顔をした。

 トードに叛意はんいがあれば始末する役目を負っている女だ。それが悲壮な顔になるのを、スィグルは気の毒に思った。

 ついさっき、この男の子供を産んだのに、もし今日にもトードを始末することになれば、やはりつらいのだろう。

「やめてよ、トード。どういうつもりだ。皆びっくりしてる」

「トードの首をお切りになりますか?」

 面白そうにトードリーズが聞いてきた。

 スィグルはそれに苦笑した。

「切らないよ。お前の首を取れるのは父上だけなんだろ? それにお前を将棋盤のところまで連れて行くのが僕の役目なんだ。ここで首を切ったら将棋が指せない」

「はい、左様さようで」

 にこにこと上機嫌じょうきげんうなずき、トードは納得したようだった。

「それでこそ、殿下。そこがリューズ様によく似ておいでです。御顔おかおなど……これで十分」

 ふところから仮面を取り出して、トードリーズは自分の顔にその女面おんなめんかざして見せた。

 枯れ谷アシュギル氏族の女だ。王家の顔だと言われている。

「我々のような工人風情に見えるのは、殿下の御顔ではありませぬ。リューズ様がかぶっておられる名君の仮面を、次は殿下が引き継いでくだされば、それで十分。そう申し上げます、明日」

 約束する口調で言って、トードリーズはまた仮面を大事そうにふところ仕舞しまった。

 そして深々と平伏し、青ざめた妻もそれに遅れてならった。

 それは別れの挨拶で、英雄に化けた王子は、工人の家を去ることになったのだった。

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