085 星園《エレクサル》閥《ばつ》
深々と首を垂れて立礼をした女英雄たちの華麗な髪飾りを眺め、スィグルはそれにどう応えるか、内心のどこかで
女たちは同時にではなく、ゆったりと波を打つように一人一人お辞儀から顔をあげ、その美しく化粧した顔を見せてきた。
まず最初に顔を上げたのが、この者たちの中で最も序列が高いのだろう。明らかにそうだと分かる明確な序列が、居並ぶ彼女らの立つ場所にも、立ち居振る舞いにも感じられた。
年上の英雄たちは上等の絹織物の
それでは戦えないのではないかと思えたが、女英雄たちは女官のように楚々とではなく、胸を張って堂々と立ち、いつでも応戦するというように、それぞれが抜刀できる距離をとって並んでいた。
もちろん帯刀している。飾り
英雄たちは帯剣を許されているので、女英雄も帯剣するのだ。当然のことだった。
だが、まさか斬りかかっては来ないだろう。
「お待たせしただろうか」
誰に言えばいいのか、スィグルは戸惑って、笑顔で居並ぶ女たちの中の、一番序列が高そうな者に尋ねた。
「いいえ、殿下。皆で魔導訓練をしておりましたゆえ、ちっともお待ちしたという気はいたしませんでした」
仮面のような白く塗られた笑顔で、目尻に紅い化粧をした女英雄が答えた。
黒曜石のような
左右に二つ。それが
「フューメンティーナ。殿下にご挨拶を」
角のある女がエル・フューメンティーナを呼び寄せた。
優しげな美しい顔で、フューメは軽やかに走ってきて、
結いあげた黒髪に、黄水晶の芯を持った白い花の
それと同じ
偶然ではないのだろう。
フューメンティーナは角の女のすぐそばに立っていたし、年上の女英雄は親しげにフューメを眺めている。
「レイラス殿下、
「そんなことまでお伝えせずとも良い」
「なぜ
スィグルは聞くのが礼儀かと思い、興味深く尋ねた。実際、知りたくもあった。
「大した理由はございませぬ。七つまで持てるからですわ」
にこやかにそう言って、角の女は首を傾げた。
女が何かしたようには見えなかったが、驚いた顔でフューメンティーナが宙に浮いた。見えない腕で抱き上げられたみたいに。
あらまあと微笑む声で驚き、角の女と並んでいた女英雄たちが、あと六人、ふわりと同じように宙に浮いた。
皆、怖がる様子はなかったが、念道術がそれほど繊細な力加減のできるものとはスィグルには思えなかった。
吹っ飛ばされたり、
「ご覧のように、
「もう子供ではございません、
空中で
それに笑って、
絶妙の制御だった。
自分も同じ念道術を使うがゆえに、スィグルにはその技がいかに凄いかがわかった。
しかも、彼女がいつ魔力を振るったのかも分からない。
分かってはいたが、女たちは皆、優雅で優しげに見えた。
「殿下に我が
「そうだろうか」
スィグルは素直に喜んで見せるのも違う気がして、戸惑って答えた。
「この派閥より幾人か、僕の帰還式の行列に加わってくださるとか。なぜですか」
「殿下を再び王都にお迎えいたしたく」
角の女が答えたが、皆が一様に優雅な笑みで頷いている。
「なぜ?」
聞いても答えないかとは思ったが、スィグルはもう一度尋ねた。
角の女はクスッと笑って、どうもやっと本当に笑ったようだった。
「なぜ? リューズ様のご命令だからでございます。我らの
「エル・エレンディラか?」
当て推量でスィグルは尋ねた。
何となくだが、そういう気がしたのだ。
彼女たちがスィグルの帰還式に加わると申し出てきたのは、晩餐の席でエレンディラがスィグルの味方をしてくれた翌日のことだった。
それまでは一面識も無かったこの
そうだというのを否定する気はない様子で、角のある女はにっこりとした。
「他にどなたが、わたくし共にご命令なさるでしょうか?」
「なぜエル・エレンディラが僕を支持してくださるのか」
この女に聞いて分かるわけがないと思えたが、聞かずにはおれない気がして、スィグルはつい尋ねた。
「さあ、それは? わたくし共は存じませんが、
本当とも誤魔化しともつかないことを、女英雄は答えた。しかし理由はあるはずだ。答えたくないのだろうか。
「殿下」
「その、ご衣装でございますが」
誰を
サリスファーぐらいだろう。
この洞窟の戸を潜ってからもずっと、サリスファーは無言ですぐ後ろに付き従ってくれている。
そのサリスを見て、女は冷たい笑みだった。
「ずいぶんお地味では? 殿下は花の
エンディミーナは優しい割には毒のある声で教えてきた。
「死んだ馬みたいだろうか?」
確かに黒い
知識の晶洞で
それに改めて思えば、スフィルの部屋で会った父上も、ずいぶん地味な衣装を着ていた。
服喪のような暗い衣装を
ちょっと格好いいよなとスィグルも思っていた。
父の侍医であるエル・ジェレフも、王宮で見る他の英雄たちも、皆そんなような衣装だし、トルレッキオに随行してくれた時の大英雄イェズラムもそうだった。
黒い服だったのだ。
そういうものかと思ってきたが、エル・エレンディラが黒い服を着ていたことはなかったと思う。
女だからだ。そう思っていたが、違っていたのかもしれない。
「これには深い意味はないんだ。エル・エンディミーナ」
「そうは思わない者もおります。殿下は今や骨の馬に乗り、
「考えておこう」
何とも言いようがなく、スィグルは
それが正しい選択かは謎だったが、エル・ギリスを置いてきたのは失敗だったのかもしれない。
フューメンティーナはにこやかに立っているだけで、
「フューメ、殿下のお側に」
「はい、
命じる口調の女英雄に、フューメンティーナは素直な返事だった。
フューメが爽やかな花のような微笑みで自分を見るのを、スィグルは間近に見上げた。
「殿下、ようこそお越しくださいました。皆で昼食をご用意いたしましたので、ぜひお召し上がりください」
歓待する口調で言って、フューメも、
地に敷物を敷いた席だが、王族にふさわしい円座の首座も用意されていたし、美しく花まで飾られていた。
そこに毒気を抜かれたような顔つきの、
女英雄たちの念動術に気を取られて気づかなかったが、彼らは洞内の
「殿下はお肉は召し上がられないとか。お優しいのですね。全て
フューメンティーナがにっこりとそう言うので、スィグルはぎょっとした。
「違うよ。僕のはただの好き嫌いなんだ。君までそんなことしなくていい」
「殿下と苦楽を共にいたしますのも、
フューメは真面目な顔で熱心に言った。
彼女の
まさか全員でか。偏食に付き合おうというのか。
それはあまりにも気の毒に思え、スィグルは困った。
肉を嫌う主人の前で平気で鶏肉入りの
大したことではないと思いたかったのだ。
「気を遣ってくれてありがとう。エル・フューメンティーナ。でも、そんなことしなくていいよ。魔法って腹が減るだろう?」
スィグルが聞くと、フューメはくすりと笑った。
「そうですね。殿下も空腹でいらっしゃいますか?」
父と同じことをフューメが聞いてきた。
「たぶんね。でも今日は実は、父上から大事な用を命じられたから、もう行かないといけないんだ」
「どちらへ?」
驚いた顔でフューメが聞いてきた。
「それは言えないんだけど」
「なぜでございますか。骨の馬に乗っていらっしゃるから?」
フューメは悲しい顔で聞いてきた。
「いや……そういう訳では……」
胃が痛む気がして、スィグルは自分は空腹なのだなと思った。何か食べるべきだろうが、もうどうしたら良いのか。
「フューメ、殿下のお供をなさい。殿下の御身の守りが手薄です。念動術師をお連れになるべきですわ」
七腕のエンディミーナがフューメを勧めてきた。
それにサリスファーが背後で息を呑むような哀れな音を出した。
「大丈夫です! こちらには風刃術師が……」
サリスファーは言ったが、女たちは最後まで言わせなかった。
「そんなもの役には立ちませぬ」
「フューメをお連れください、殿下」
「それが良うございます」
女たちに口々に言われ、まるで後宮の母上の居室にいた幼い頃のようだ。
スィグルは居心地が悪かった。女たちの言うことを聞かねばならぬ気になる。
逆らえば、殿下は悪い子ですねと女たちが言いそうな気がして。
だが、そんなはずはないのだ。
彼らは英雄で、女官や妃ではない。
そのはずなのだが……。
所在ない気分になったスィグルと、おそらくサリスファーも、突然、乱暴に開かれた洞窟の扉の音にビクッとした。
女たちも驚いたのか、びくりとして身構えていた。
「スィグル・レイラス。まだ居たのか」
扉の向こうに現れた人影が、怒鳴るように聞いてきた。
「
こちらより早く、サリスファーが泣きそうな声で叫んだ。
そんな
もう来ない気かと思っていた。
居なくても平気だが、どうも居ないと不便なのが、新星の
「エル・ギリス」
驚いた声で、スィグルは扉のところに立っている人影に呼びかけた。
まだ長身と言うほどではないが、いかにも
何でそうなるのかと思うが、居なくなっていたのが、やっと帰ってきたと思った。それが正直なところだ。
「飯食った?」
ギリスは率直に聞いてきた。
いささか率直過ぎただろうが。
「まだ……」
スィグルは答えた。
「はあ? 何やってたんだよ。こいつらと飯食う暇もないって言ってたのはお前だろ。デレデレしやがって!」
デレデレなんか誰がした。
そう言いたかったが、唖然とするこちらの返事を待たず、ヤンファールの氷の蛇、エル・ギリスは、ずかずかと第十八魔洞に押し入ってきた。
「どうも初めまして」
ギリスは無表情に女英雄たちに挨拶した。立礼はしたが、深々と言うほどではない。
礼儀を知らない男ではないはずだった。いつも叩頭はきちんとしている気がする。
「せっかくの歓待だったが、あいにくの族長命令で、出立する」
「どちらへ?」
ギリスが話したのは黒い角のある女だった。七腕のエンディミーナだ。
「言えない。魔導訓練は後日また是非」
「エル・フューメンティーナが殿下にお供します」
エンディミーナは
ギリスはちらりとフューメを横目に見たが、すぐに七腕のエンディミーナに向き直っていた。
「結構。一人だけだ」
「そちらは大勢いらっしゃるのに?」
「男なんか何人いたって役には立たないんだよ。知ってるだろ? このチビ六人合わせて、やっと一人分だ」
にっこりとしてギリスが七腕のエンディミーナに答えた。
にっこりとして、エンディミーナはやや苦笑だった。
「まあ、ご
「俺は数には入ってないよ。殿下の影だ。常にお側に。ではご機嫌よう」
そう言ってギリスはまた頭を下げたが、ハッとしたように顔を上げ、女たちを見た。
「弁当
「どうぞご自由に」
呆れたふうにエンディミーナは許した。
「ありがとう。恩に着るよ。弁当もこれも、埋め合わせするから」
「どんなふうに?」
「帰還式で
「貴方が決めるの?」
「いいや? エレンディラだよ」
けろりとしてギリスが答えた。
それに女たちは一様に眉を
「ごめん。
「詳しく聞きたいわね」
エンディミーナが首を傾げ、ギリスは小さく頷いて見せた。
「こいつに説明しとく。若い者同士で話すほうが話が早いから」
ギリスがフューメンティーナを指差して言うと、フューメはぎょっとしていた。
居並ぶ女英雄たちは無言でいたが、無表情だった。
おそらくムッとしたのだろう。笑顔が消えたのを初めて見た。
スィグルそれに何となく震え上がったが、ギリスは洞内の壁際に張られた幕屋で立ち尽くしている
「お前らその弁当持ってついて来い。
そう言ったギリスの
スィグルの袖を掴み、辞去の礼もそこそこに洞内からぐいぐいと連れ出していった。
サリスファーも、他の少年たちも、ハッとしたように着いてきて、エル・フューメンティーナも慌てたふうに姉たちに立礼し、
「どういうことよ⁉︎」
第十八魔洞の大扉が閉じる音とともに、フューメンティーナがギリスに叫んだ。
王族の殿下が一緒にいることも少しは憶えていてくれているのか、動転して怒った様子の少女には聞けなかった。
「弁当助かるよ。馬車の中で食おうぜ」
感謝している様子で、ギリスはフューメンティーナに言った。
「馬車って何よ⁉︎」
フューメはまた叫んだが、そのせいでスィグルは叫べなかった。
それでも、全く同じことを思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます