081 将棋

 いざ父が目の前にいると、スィグルは言葉が出なかった。

 叩頭すべきなのだと思い、客座を挟んだ床の上に居るままひざまずいて、スィグルは額を弟の居室の敷物に付けた。

 妙なものだった。

 族長冠もなく、誰だか分からぬ出立いでたちの父とともに、その膝に乗った弟がにこやかにスィグルの叩頭を受けていた。

 つい今朝のことだ。この弟が泣いて自分に謝り、命乞いをしていたのは。ここと同じ場所でのことだった。

 人の一生とは本当に、分からないものだ。

 スィグルには、機嫌よくにこやかでいる弟が、自分に勝ち誇っているように見えた。

 そんなことは自分の妄想だと思えたが、でも実際、どうだったのか。

 ギリスはスフィルがそれほど狂ってはいないのではないかと言っていた。自分はそれを深く考慮はしなかったが、それは、弟が狂っていてくれたほうが自分には都合が良かったせいだ。

 そんな甘い考えは捨てねばならなかったのかもしれない。

 もしも弟がまだ正気で、狂ったふりをして自分を出し抜いているのだとしたら、自分はどうするつもりなのか。

 弟を信じて良いのか。

 首座に見上げた、自分とそっくりな弟の痩せ細った笑顔を、スィグルはじっと見つめた。

 そんな疑念を持った自分が嫌になるような、屈託のない子供の笑みだった。

「どういうことなのでしょうか」

 説明を求めたくて、スィグルは重い声で父に尋ねた。

「お前がスフィルを新しい部屋に移したというので、昼飯の隙に抜け出して、これの機嫌を見に来たのだ」

「父上」

 嬉しげに弟が言って、子供の頃にもそうだったように、父の胸に甘えていた。

 異様だった。正直に言って。

 父の玉体ぎょくたいに触れる者がいないとは言わないが、少なくともスィグルが間近に見るものではなかった。

 後宮では、父も妃たちとたわむれるのだろうから、そういうこともあるのだろうが、スィグルは知らない。母の居室では、そういうことは無かった。手も触れない風情だったのだ。

「機嫌は良いようだな」

 納得したように、族長リューズ・スィノニムは言った。

 今も父が族長なのだったらだが。

 玉座にいる時に比べて、父はずいぶん寛いで見えた。晩餐の席で隣にいた時と比べて、まるで自分にも手が届きそうな、生身の相手に見えた。

 玉座の間ダロワージの晩餐の席で見た、生きている彫像のようではない。

 これが父の本当の姿ではないかと、スィグルには思えた。

 もしもそうなら自分は今、本物の父と初めて出会ったのかもしれなかった。

「なぜだ、スィグル・レイラス」

 不思議そうに見て、父は尋ねてきた。

 何を訊かれているのか、スィグルには分からず、戸惑った目をした。

「何がでしょうか」

「なぜ弟をここに移した」

「元服した者は子供部屋を出るしきたりです。父上」

 父が知らないはずはないのに、なぜ訊かれるのか不可解だった。

「そうではない。ここは寵臣を侍らせるための居間だ。継承指名を待つ者が住む」

 父は膝に抱えたにこやかなスフィルの何も分かっていないふうな顔を見て、穏やかに言った。

「お前はこの弟と争うつもりか。次の玉座を」

「そういう訳ではありません。成年となった証に、部屋替えするのがしきたりです。スフィルも、ずっとは子供部屋にいられないはずです。哀れとは、思し召しになりませんか」

「哀れと思う。お前もこの弟も、俺の子に生まれて、さぞ辛いだろう」

 誰が聞いているのも気にしないふうに、父はさらりとそう言った。

 それを下座で聞いて、スィグルは全身の肌が粟立つような気がした。

 侍女も、衛兵たちもいたし、ギリスだってこちらのかたわらに控えていた。

 もちろんスフィルも聞いていただろう。それでも弟は相変わらずにこにこしていたし、父と会えて嬉しくてたまらぬ様子だった。

 小さな子供の頃でさえ、弟が父の来訪をこんなに喜んでいたことはない。

 昔はスフィルは、遠慮がちな困った顔で、おずおずと父と話していた。気に入らぬと言われたらどうしようと、恐れているような顔で。

 でも弟はもう今は、そんなことは気にしていないらしかった。

「そんなことは……」

 スィグルは低い声で答えるのがやっとだった。

 つい先ほどまで思っていたことを、見抜かれたような気がした。

 誰に言うでもない気弱な恨み言が、父には聞こえていたのかと思えるほどだ。

「遠慮するな。俺も殿下だったことはある。お前の心持ちは、この中で誰よりこの父が知っている」

 あっさりと言う父の顔を、スィグルはおののいて見た。

「イェズラムから何か聞いているか。あれはお前を次の玉座の君にと言っていた」

 父はため息をつき、いくらか真剣な顔で言うと、横目にギリスを眺めた。

「生前な。そうだろう、氷の蛇よ」

「殿下が新星です」

 ギリスは父の下問に落ち着き払った声で答えていた。

「勘違いするな、エル・ギリス。イェズラムは死んだのだ。あれが何を思い描いていたか、俺は知らぬが、族長位の継承者が長老会の一存で決まったりはせぬ。長い吟味ぎんみすえに、いずれは決まるだろう。俺がくたばる頃に」

 それがいつなのか、はっきりとしない言い方で、父はギリスに教えていた。

 父が自分に言っているわけではないのを感じて、スィグルは居所がない気分だった。

 なぜ父は、自分ではなくギリスと話すのか。

「いつ、くたばるのですか」

 面白そうに首を傾げて、ギリスが尋ねた。

 あまりにも不敬な物言いだったが、族長は面白そうに笑った。

「わからぬ。死の天使に聞け。それかエル・ジェレフにだな」

「ジェレフはずっと先だと言っていました」

 スィグルは思わずそう口を挟んだ。

 横から割り込んだような、居た堪れない気持ちになったが、黙っていられない気がした。

「そうか?」

 不思議そうに父が聞くので、スィグルは軽く唖然とした。

「どこか……お悪いのですか、父上」

「いいや。極めて健康だ。しかし族長位を目指すのなら覚えておけ、息子よ。永遠の蛇のあるじほふるのは死の天使ではない。だいたいは施療院の者だ」

「ジェレフはそんなことは」

 まさか父がジェレフを疑っているのかと驚き、スィグルは床から腰を浮かせかけた。

 その慌てる様子が可笑おかしかったのか、父はかすかに声を上げて笑っていた。

「ジェレフは大丈夫だ、息子よ。イェズラムが寄越した治癒者だ。あれがもし俺を始末するとしたら、よほどの暗君になった時か、もう手の施しようがない時だろう。いずれにしろ死すべき時だ」

 にこやかに自分の死を語る父に、スィグルはまた唖然とした。

 言葉が無かった。

 名君にも没する時が来るのだというのが、上手く飲み込めなかったのだ。

 父は部族史に永遠に輝く燦然さんぜんとした明るい星だと思えた。

 それが生きて輝く時には限りがある。英雄たちがいずれは死せる英雄となるように、父にもいつか死ぬ時は来るのだ。

 そんな馬鹿なという気が、心のどこかでしたが、でも自分はその時を待っているのかもしれなかった。その時こそ、自分があの玉座に座るのだと思い定めて、初めて物心がついた幼い日からずっと、兄弟たちで争っているのではなかったか。

「死すべき時がある。スィグル・レイラス。王族には皆、その時が来る。それが寿命だ」

 父はさとすように言っていたが、スィグルは答えられなかった。

 ヤンファールで救出された時には言わなかったことを、父は今、言っているのかもしれなかった。

「お前は往生際が悪いようだ。それについては俺もとがめられる立場ではない。俺も二十歳を待たずに死ぬべき定めだったが、死に損なって今も生きている。兄上が亡くなられたゆえな」

「父上が正しい支配者だったのです」

 スィグルは心の底からそう思い、父に教えた。

 ギリスや史学の師父アザンの話が確かならば、父が即位する前に継承者と目されていたアズレル・レイナルという名の殿下は、族長位にふさわしい人物ではなかった。人格に難がある。スィグルにはそう思えた。

「なるほど。死の天使の采配さいはいか」

 にやりとして、父はスィグルに尋ねてきた。

「そうだと思います」

「寝ぼけたことを言うな。天使に会ったのだろう」

 父は甘い笑みで、急に辛辣しんらつなことを言った。

 今まで父からそんな言葉を掛けられたことは一度もなかった。

 それに傷つき、スィグルが図らずも悲壮な顔をすると、父は困ったように苦笑した。

「スィグル。俺に嘘をつくな。わかるのだ。お前が心にもないことを言っているかどうか、俺には見える」

「なぜですか。嘘など言っていません。父上こそが正しい玉座の君です。まさに天使の采配さいはいではありませんか」

 思わず泣きつく口調になる自分の声を聞き、スィグルはそれでも気を落ち着けられなかった。

「エル・ギリス。誰が俺を即位させたのか?」

 こちらを見たまま、父は目をらせずにギリスに尋ねた。

「エル・イェズラムです、閣下」

 ギリスは一瞬の迷いもなく答えた。

「そうだ。あいつが俺の兄を始末したのだ。死の天使でもないのにな?」

 皮肉な口調で言う族長リューズに、ギリスは黙っていた。

「そんな権利があいつにあったか。俺が兄上よりも良い治世を行う保証があったか? 俺は戴冠した頃まだ十八だった。お前は幾つだ、スィグル」

「十四歳です」

「まだ分からぬな、お前が名君かどうか。今決められるものではない」

 父は断定的に言った。

 そう言われると、スィグルは何も言い返せなかった。

 未来の名君でありたいと願い、そのための努力も惜しまないつもりだが、そんなことには保証がない。

 それでも、自分こそが正しい継承者で、ぜひ選んでほしいと父に熱弁すべきか。こんな千載一遇せんざいいちぐうの機会が、突然目の前に現れたのだから。

 そう思っても、スィグルの舌は動かなかった。自分を褒め称えるためには、わずかも動かない。

 それを眺め、父はにやりとしたようだった。にっこりとしたのか。美しいが、意地の悪い笑みだった。

「スィグル。自信がないのか」

「ありません」

 嘘をつくなと命じられたせいか、スィグルは正直に答えてしまった。

 それに怒ったのか、心持ち後ろに控えていたギリスが、ちらりとこちらの顔色を見たようだった。

「自信など、今はまだ無用だ。俺が継承者に期待することは、競い合うことだ。いずれ即位すべき時が来たら、皆が、族長にもっとも相応ふさわしいものをお前たち兄弟の中から選ぶ。そのほうが、俺が適当に選んだお気に入りの息子より、良い族長になる。そうは思わぬか?」

 父はスィグルに尋ねる口調で言ったが、それが質問だとに落ちるのに時間がかかった。

 父はどうも、自分に相談しているらしい。どうやって次代の継承者を選ぶかについて。

 それに驚き、スィグルは顔をしかめた。

「父上がご指名なさるしきたりです」

「そうだが、自分がどんな死に方をするか俺にも予想がつかぬ。今際いまわきわに誰かの名を呼ぶいとまがあると良いが、そういう時には普通は朦朧もうろうとして、好きな女の名でも呼ぶものではないのか?」

 父は笑ってそう言い、首座のかたわらを守っていたアスハ徽章きしょうの兵に、そうだろうと問いかける目を向けたが、その厳しい顔つきの男は黙って首を横に振っていた。

 それに父は困った顔をした。

「失言であった」

 渋々のように、父は謝罪した。

 詫びたのだろうと思うが、それが自分になのか、スィグルは分からず、座の面々を見回した。

 ギリスと自分の他には、父に抱かれたスフィルと、離れて平伏する侍女たちと、首座の四隅よすみを守るアスハの兵がいるだけだ。

 兵たちは武装し、儀仗用の槍を持っていたが、まるで空気のように静かだった。

 彼らもここにいることを、スィグルは失念していた。衛兵とはそういうものだ。

 貴人は普段、兵に話しかけたりはしない。彼らは王宮の空気の一部なのだ。

 しかし父には、彼らがちゃんと見えているらしい。

「ご最期の時に名を呼ぶような寵姫ちょうきがおいででしょうか」

 聞くべきではないと思ったが、スィグルは尋ねた。

 そんな者はいないと自分は思っていたが、いるのかもしれなかった。

 それは後宮の秘密なのかもしれないが、自分が知っていてはまずいだろうか。

「あいにくお前の母ではない」

「存じています」

 短刀を突きつけるように、スィグルは追い被せて答えた。

 詳しく答えて欲しくなかった。自分で尋ねておきながら、うやむやにしない父が恨めしかった。

「案ずるな、この世の女ではない。知らぬものなのか? エル・ギリス。お前も知らぬのか。俺が今際いまわきわに名を呼びそうな者のことを」

 父は助け舟を求めるように、ギリスに話を向けた。

 ギリスは肩をすくめたようだった。分からないというように。

 それでもギリスは下問かもんに答えた。

「亡くなられた正妃様ですか」

「そうだ。おかしいか? 賢きお方だったが、あいにく兄上の妻だった。とても将棋がお強くて、俺は一度も勝てたことがない」

 父が懐かしげにそう言うと、ギリスは驚いたようだった。

「常勝不敗なのでは?」

「そんな訳なかろう。一度も負けない者などいるか。ナオミ様には誰も勝てなかったのだ」

 それが恥でもないように、父はあっさりと教えていた。

「そんな話は聞いてない。イェズラムからは」

 ギリスは困ったように言った。それに父は淡く笑っていた。

「あいつが何でもかんでもお前に話したりするものか。都合のいい話しかしていないのだ」

 そう言われて、ギリスは座したまま戦慄せんりつしたようだった。

 無言で座っているだけのギリスから、言い知れない衝撃がこちらにも伝わってきた。

「俺の知る中では、ナオミ様は棋士きしとして、この世で最もお強い方だったが、亡くなられた。産褥さんじょくで。イェズラムが言うには、ナオミ様はこの俺が、王宮でもっとも賢く強い王子だと仰せだったとか。それゆえ即位させよと」

 父はそれをスィグルに話しているようだったが、スィグルはどう頷いたものか分からなかった。

 初めて聞く話だったし、なぜ継承者の妃が次代の族長を選ぶのか、意味も分からない。

 でも父は、先代の継承指名の話をしているのだと思えた。

「お祖父様が……父上をお選びになったのです。継承指名で」

「形式上はな。その方が良かろうとイェズラムは思ったのだろう。お前と似た、しきたりを重んじる男だった」

 イェズラムに似ていると言われて、スィグルは戸惑った。父が少しうとましそうにそれを言ったせいだ。

「イェズラムが説得したのだ。暗君デールの射手いてを。シェラジムだ。不戦のシェラジム。それはお前も知っているのだろう。俺の父を操っていた治癒者だった」

 問いかける目の父に、スィグルは黙って頷いた。それを知らぬ者はいない。

 父も頷いて話を続けた。

「エル・シェラジムは発狂し、他の王子を抹殺して、俺の父を即位させたのだ。民から選択の自由を奪った。父も父なりに奮闘したのだろうが、人には向き不向きがある。玉座に座すべきお方ではなかった。気が弱かったのだろうな。俺は直にお話ししたことはないのだ。死のとこで名を呼ばれたのが、父と口を利いた最初で最後だった」

 そんなことがあるのかと、スィグルは驚いた。

 自分も父リューズとは滅多に会うことがないと思っていたが、それより酷い。

 実の親子が一生に一度しか口を利かないなどということが、ありえるものなのか。

 驚いているのが面白いのが、リューズはふふふと笑っていた。

「先代は俺がどんな子かもろくに知らずに指名したのだ。シェラジムがそうせよと進言したのだろう。シェラジムにはイェズラムが頼み込んだのだ。イェズラムに俺を即位させよとお命じになったのはナオミ様だ。他にもいたかもしれぬが、イェズラムは自分が選んだと思いたいがために、それについては俺には言わぬ。でもエレンディラもそうだ。俺が相応ふさわしいと思っていたと言っている。それはまあ、即した後では何とでも言えるがな。だが要するにだ……息子よ。皆が選ぶのだ。次の星を」

 急に結論を言う父に、スィグルは呆気に取られた。ずいぶん強引な説明なのではないかと。

「俺が仮に、これを族長にすると指名したとしよう」

 膝に座っているままのスフィルの肩を掴んで、父リューズはにこやかに言った。

 それには、ずしりとスィグルの胃が重くなった。

 父に見つめられて、スフィルは意味が分からないのか、にっこりと幼児の笑みで、嬉しそうだった。

「それを聞いてお前は大人しく死ぬことにするか? スィグル・レイラス」

「父上の、思し召しならば」

 苦いものを飲まされる気分で、スィグルは答えた。

 そうするしかないのだと思って。それが王宮のしきたりで、王族の宿命だ。

 それを聞いて、父は快活にあははと笑った。

「そうか? そうはなるまい。エル・ギリス、お前ならどうする」

「聞かなかったことに」

 ギリスは即答した。それをスィグルは振り返って見た。にらんだのかもしれなかった。

 叛逆はんぎゃくだぞ、エル・ギリス。

 そう言いたいのをこらえたが、驚いているのは自分だけのようだった。

「そうだな。そうなるだろう。俺も、この哀れな息子に族長冠を与えたければ、他の息子を全て殺してからになる。そのような暴挙は許されないのだ。安心せよ。俺もそこまで狂ってはいない」

 安心せよと言われて、スィグルは全く安心などできなかった。

「だが仮に今、お前を指名したとしよう。スィグル・レイラス。お前が次の玉座の君になるようにと、俺が言ったとしよう。その時には何が起きる?」

 父に尋ねられて、スィグルは沈黙した。

 頭の中では、その時に起きる出来事が分かっている気がしたが、言葉になって出てこない。

 スィグルが沈黙してうつむくと、父は苦笑したようだった。

「何が起きるだろうか?」

 父はスィグルに答えさせるのを諦め、またギリスに尋ねた。

「さっさと他の王子を殺さないと」

「それはお前がやるべきことだ。俺の質問に答えてくれ」

「他の王子がスィグルを殺しにくるだろう」

 深刻な面持ちで、ギリスは答えた。父はそれに頷いてやっていた。

「おそらく、そうなるだろう。それゆえ継承指名は継承者全員を一室にそろえ、即位しないものを直ちに絞め殺し墓所に送るしきたりになっている。継承指名を行うのは、俺が死すべき時に一度だけだ。それまでは、俺は誰も選ばない」

 族長リューズはそう約束した。ギリスに。

「残念だが、俺がお前を指名することはないだろう、スフィル・リルナム。お前はただ生きて、死すべき時が来たら、穏やかに死ぬがいい。俗世のことは思いわずらうな」

 にこりとして、リューズは息子の髪を撫でてやっていた。

 見ればスフィルは夜着よぎを着ていた。父が来るまで、寝室で眠っていたのだろう。

 弟はほとんどの時を眠って過ごしている。何もしていないのに、弟はひどく疲れるらしいのだ。

 今ももう、眠たげだった。

「スィグル、お前については分からぬ。民がお前を選べば、玉座の間ダロワージに君臨することもあるだろう。研鑽けんさんせよ」

 父はきっぱりとスィグルにそう言った。族長位継承者の候補の一人だと。

 それは、ここで聞くには、とんでもない事なのかもしれなかった。

 父リューズは、永遠の蛇を引き渡す相手の一人として、この自分も考慮の数に入れていると言っているのだ。

「父上」

 何か言いたい気がして、スィグルはあえぐ息でやっとそれだけ言った。

「なんだ?」

 実にあっさりと父リューズは聞き返してきた。

「僕に、そのような、大役を望む権利が、あるでしょうか。永遠の蛇を帯びるにふさわしい息子と、お思いですか」

 どこか震える声で、スィグルは尋ねた。

 子供の頃からずっと、父に会うたび聞いてみたい事だった気がした。

 僕を選んでくれますか、父上。そう願ってもいいのか。

「知らぬ」

 父は微笑み、あっさりと一蹴いっしゅうしてきた。


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