069 叱責

 高段に現れた父は、今朝は魔法戦士を連れていなかった。

 父の廷臣は何も魔法戦士だけではない。

 王宮の広間に侍ることを許された忠臣には、軍人もいれば官僚もいた。

 今朝はその中から、父は軍の者たちを連れていた。

 それが誰なのか、スィグルには詳しく分からない者もいたが、とにかく軍装しており、皆、礼装用の甲冑をつけていた。

 魔法戦士は武装しては現れないが、将軍たちは華麗な祭礼用の鎧を身にまとっている。

 まるで広間で戦いごっこでもするみたいだと、子供の頃には思ったものだった。

 彼らは本当に出陣する際には、もっと別の実際的な武具を身につけている。美しい色糸で彩られた祭礼用の甲冑は、いわば彼らの宮廷服のようなものだ。

 魔法戦士の礼装と同じ意味合いで、彼らの身分や出身を明らかにするためにある。

 武装の様子から見て、彼らは領境の氏族の者たちだった。

「父上、おはようございます」

 つい先ほど座ったばかりとは思えない落ち着きで、まだ息も切れているのではという第一王子が高段の父に挨拶をした。

 極めて簡潔な口上だ。

 簡潔にせよというのが父の命令だったからだ。

 父はよほど忙しいのか、無駄とおぼしき口上のたぐいを、息子たちに一切求めなかった。

 高段でにこりとして、父は第一王子を眺め、それから広間にいる息子たち全員を見てきた。

 スィグルのことも父は一瞬見ただろう。でも一瞬だった。

 それで何が分かるのかと思うが、族長リューズは満足したように頷いて見えた。

「朝議を始めよ」

 息子たちにはそれ以上、言うべきことがなかったのか、父は廷臣たちに命じた。

 官僚や軍人たちが広間の中央を走る赤い絨毯の敷かれた通路に進み出て、跪拝叩頭きはいこうとうし、それぞれの用件を話していった。

 それは麦の収穫のことであったり、税のことであったり、軍の給与のことであったりもした。

 ある地方に麦の病害が広がりつつあり、そこに農学の博士を遣わすように父が命じたり、民が不満を持っているらしいという街に、彼らと話し合わせるため、英雄たちの巡察団を派遣したりした。

 おそらく同じような理由で、エル・ジェレフもどこかに旅立ったのだろうなと、スィグルは話を聞きながら思った。

 英雄たちは民と玉座をつなぐ、王宮の貴人でありながら、平民とも対等の存在だ。

 スィグルにとってもエル・ジェレフは部族の英雄だったが、それをあおぎ見る時には平民も王族もない。

 英雄たちがやってくると、民は無条件で喜ぶのだ。

 それはスィグルも知っていた。

 いつか自分が人質の王子として、タンジールを旅立つ時も、それを見送る英雄たちの行列に民は熱狂したし、少ない随行ずいこうの者だけになった後も、領境を目指す旅の一団にいる英雄たちに、道中の街では歓迎の式典まで用意されていた。

 スィグルにはそれが自分への歓迎とは思えなかった。

 民は、ありがたい王族の殿下が通るのも出迎えてくれたが、誰だかわからない小さなアンフィバロウよりも、英雄譚ダージに名高い英雄たちが自分の街にやって来ることが嬉しかったのだ。

 父もそれを良く知っていて、名のある英雄たちを使節として派遣しているのだろう。

 徴兵する軍人や、徴税をする官僚が来ても民は喜ばないが、英雄なら歓迎してくれる。自分たちの守護者だと見做みなしているからだ。

 彼らは民から何も奪わない。ただただ与えるだけだ。

 魔法による守護と英雄譚ダージを与え、最後にはその身と命を与えて、老いることなく去っていく者たちだ。

 民はそれを痛ましく思い、同時に頼もしくも思っている。

 朝議には実にさまざまの議案が持ち込まれた。

 高段にはべる者たちは、領境からの族長の軍の撤退を心許こころもとなく思うという話を持って来ていた。

 軍の撤退は天使の命令で、守らねばならぬ約定やくじょうだった。

 戦いのない場所に多くの兵を駐屯させ続けるのは難しい。王都からの補給を運び続けねばならず、ただ遊んでいる兵を、彼らが帰りたいと願う故郷から遠い場所で養い続けねばならない。

 もしも敵の総軍が襲って来たら、現地の兵だけでは抑えきれぬという話を華麗な甲冑の者たちが広間の皆に問うていた。

 兵たちを故郷に帰らせるのは、まだ早すぎると。

 停戦よりたったの二年、戦いが止むとは皆、思えないのだった。

 もっともなことと、父はその話を皆にした軍装の者たちを褒めた。忠義であると。

 しかしこの場で即刻、結論の出る話ではない。

 それに、結論を出すのは父の仕事だった。

 皆と話し合って決める族長はいない。

 父は治世の参考にするため、広く皆の意見を聞いている。それをどう考慮するかは、族長である父の一存だ。

 皆はその決定に従うのみで、この部族はずっとその独裁によって運営されてきた。

 天使を除けば、この広間で父は唯一にして絶対的な権力を与えられた、生身の男だった。

 誰もその決定に逆らうことはできない。

 だがもちろん、侃侃諤諤かんかんがくがくの議論はある。

 後宮を出て、子供部屋に移った七歳の頃から、自分たち王族の殿下は朝議に臨席してきたが、時には大人たちの掴み合いの大喧嘩になるような、激しい議論を目の当たりにすることもあった。

 気の弱い王子などは、しくしくと泣き出したし、双子の弟のスフィルもいつもスィグルの隣で青い顔をしていた。

 大人たちの激論が怖くないわけはない。

 以前は意味の分からない話も多かった。

 それでも、彼らが別に無意味な喧嘩をしている訳ではないのは、スィグルには何となく分かっていた。

 徹底的に話し合わねばならないことは、大人たちには多いのだ。

 もしかしたら子供にもそうだったかもしれず、スィグルは黙り込んで聞く人形のような、大人しい王族の殿下の席を眺めた。

 自分たちはいつ頃から、この議論に発言を許されるのだろうか。

 黙って聞くように言われて来たが、真面目に話を聞いていると、スィグルには時折、反論や意見があった。

 黙っていろと言われているので、黙っているが、もし父に意見を求められたら、何か言いたい気がすることは、時々あったのだ。

 領境の軍備はどうすればいいのだろう。

 スィグルには分からなかったが、でも猊下げいかは軍を撤退させろと四部族フォルト・フィアに命じているのだ。兵を帰らせてはどうか。

 兵士は帰りたいのではないか。

 スィグルが子供の頃に好きだった、父が兵士と兵糧ひょうろうを分け合うくだりのある英雄譚タージでも、兵は泣き、故郷の母を懐かしんでいる。

 それに父は、そなたも自分も明日には戦場の骨かもしれぬが、そなたの母のために戦うと言う。故郷を守るために戦っているのだという物語だ。

 その父が、侵略者だという天使ブラン・アムリネスの意見には、実はいまだに納得はしていない。

 こちらは、侵略されていたから戦ったまでで、別に森を侵略しようとはしていない。

 もしも父が森の希望都イル・エレンシオンを攻めていたとしても、それは野心からではなく、千年も部族を襲い続けていた敵を殲滅せんめつしたいがためだ。

 彼らが戦いをやめるなら、こちらも戦わない。

 スィグルはそう思っていた。

 森など欲しくはない。

 父が欲しかったのは、どちらかと言えば、山の部族との境にある広大な平原のほうだっただろう。

 そこでは麦が育つ。

 山の民は大してその沃野よくやを活用していない。

 多少の木は生えているが、全て開墾して麦畑に変えれば、どれほど多くの民を養えるかわからない。

 おあつらえ向きの川もある。

 だから、山の族長ハルペグ・オルロイが父を侵略者と言うなら、まだ百歩譲ってもよいが、森の者たちに言われたくなかった。

 言い伝えによれば、あの森エルフが住む森は特殊な魔法があり、入ると馬鹿になるらしい。

 愚かな奴隷に逆戻りするのだと、黒エルフの民は恐れており、森へ行きたいと願う者はいない。

 あの森は忌まわしいのだ。北方の沃野よくやとは違って。

 しかし今さら、北の平原を攻めるわけにはいかない。

 何と言っても天使ブラン・アムリネスの直轄地ちょっかつちだ。

 猊下げいかに喧嘩を売れば、一撃で滅ぼされる。天使だけが使う魔法、天の槍ディノス・アシュワスで。

 だが万が一、そこが天使の領土でも、猊下げいかがこちらの部族の入植を許すのであれば、刈り取った麦はこちらのものではないのか。

 僕らは土が欲しいのではない。実った麦が欲しい。

 仮に天使に借地料を支払ったとしても、それが侵略のための軍費や、そのために死ぬ者たちの命より安ければ、僕らはもうかるのではないか。

 部族の墓所ではなく、穀物蔵こくもつぐらを満たせるのだ。

 それは子供の夢物語か。

 そうかもしれなかった。

「スィグル・レイラス」

 父が急に名を呼んだ。

 聞き違いかと思い、スィグルはびくりとした。

 朝議で族長が息子たちに声をかけることはない。今までは無かった。

 あるとしたら、何かの褒賞ほうしょうで、特にお言葉をたまわる時か、もしくは皆の前で叱責を受ける場合だ。

 殿下に何か、皆にびねばならない非礼があった時には、父はわざと皆の前で息子に声をかける。

 いつぞやは兄の誰だかが、家臣の名馬を奪った際に、厳しい叱責があった。人の馬を盗むなと。

 それにまだ幼かった兄は泣いて謝っていたが、今回は何なのだ。

 スィグルは誰の馬も盗んだ覚えはなかったが、叱られる心当たりなら、幾つもあった。

「お前にひとつ、尋ねるべきことがある」

 父は怒っているとも喜んでいるとも分からない真顔で、こちらを見ていた。

 座って聞くわけにはいかなかった。

 スィグルは席で叩頭し、それから玉座の前に進み出て、再び跪拝叩頭きはいこうとうした。

 その謁見えっけんの席から見上げると、父は天使よりも恐ろしく見えた。

 天使は謝れば許してくれるような気安い相手だが、父リューズはスィグルを廃嫡はいちゃくしたり、タンジールから永遠に追放することもできる。

 猊下げいかのほうがマシなんだなと、スィグルは驚いて思った。

鷹通信タヒルを飛ばしたそうだな。どこへ?」

 父の真顔での下問かもんに、スィグルは自分の喉がひっと小さな息をつくのを感じた。

 飛ばした。それが何か?

 そう思ったが、鷹はもうトルレッキオに飛び立った後だ。シェラジールはもう随分遠くへ行っただろう。

「トルレッキオの……友に」

 スィグルはそれだけやっと口に出したが、叱られなくてももう、父が何を言おうとしているのか分かった。

 今までなぜ考えなかったのか、そっちのほうが不思議だった。

「それは誰だ。何と書いた」

 困ったような笑みで、父は尋ねて来た。

「皆に無断で、天使に何をしらせた」

 父は微笑んでいたが、怒っているのかもしれなかった。

 さっきの兄たちのように、凄んで見せたり、銀杯を蹴飛ばしてきたりはしないが、父は困った息子を見る目をしていた。

 そのほうが、凄まれたり殴られたりするより、スィグルにはずっとこたえた。

 僕はずっと、父上のお気に入りの息子になりたかっただけなのに、なぜかそういうふうにはなれない。

「エル・ギリスのことを」

 スィグルは嘘をつく気はなく、正直に話した。

 それに父リューズは分からないという顔になった。

 父の予想を超えることだったらしい。

 そんなことがあるのかと、スィグルは困惑した。

 父上に何だと思われていたのだろうか。猊下げいかへの手紙に何を書いたと?

「ギリスと喧嘩けんかをしたので、許せなくて、天使に告げ口をしました。ギリスを許すべきか、鷹通信タヒルで尋ねただけです」

「そんなことは聖堂で祈ればよいのではないか?」

 父は首をかしげたまま尋ねてきた。もっともな話だ。

 天使ブラン・アムリネスは聴罪ちょうざいの天使で、それに仕える大勢の聴罪司祭ちょうざいしさいデンでもあり、各地にその手下がいる。

 タンジールの礼拝堂にも聴罪司祭がいて、必要があれば天使の代わりに罪の告白を聞く。

 慈悲深い天使はきっとおゆるしになるであろうと、司祭たちは言うが、もちろん確約ではない。

 父の独裁と似て、天使が許すかどうかは、天使にしか決められないのだ。

「厳密に知りたかったので」

 スィグルは玉座の父を見上げて、説明した。

 言い訳するようなことは何もないはずだ。正直に話せば良い。

 それでも声が震えている気がして、スィグルは腹に力をこめた。

 皆の前で話せというなら、話すしかない。

「ギリスは僕の部屋の衛兵を蹴り倒したのです。弱いって文句をつけて。それに僕の……弟のスフィルのですが、侍女たちも怖がらせました。そんな非礼を許すべきか、天使に尋ねようと思って、鷹を飛ばしたんです」

「なぜそんなことをしたんだ」

 答える父は唖然として見えた。

 それが、何を責めているのか、言葉が少なすぎて分からない。

「なぜかは、ギリスに聞いてください。僕も知りません」

「そうではない。息子よ。なぜそんな瑣末さまつなことを、ブラン・アムリネス猊下げいかにお尋ねするのだ」

 父は本当に訳がわからないという顔で、でも興味深げにしていた。

 玉座の肘掛けにもたれ、耳飾りをいじっている。深い興味がある時や、考え込む時の族長リューズの癖だ。

 その、ちょっとしどけないさまが、かっこいいなとスィグルは内心思っていた。考え事をしている時の父上の姿だ。

 いつもと違う、興味深いものを見る目でじっと父に見下ろされて、スィグルは困った。

「なぜって……何かあったら相談して良いと、ブラン・アムリネス猊下げいかとお約束したのです。助け合うと」

「何を助け合うのだ、天使と。では四部族フォルト・フィア同盟を無かったことにしてほしいと、天使に頼んでくれまいか?」

 父が皮肉な笑顔で言うと、広間ダロワージが笑った。ざわめくように静かに。

 悪い冗談だったのだろう。

 父上は時々、悪い冗談を言う。

 そこが自分と似ているのかなと、時々ちらりと思うほどだ。

「それは頼めませんが……」

 スィグルはうつむいて、歯切れ悪く答えるしかなかった。

 それはさすがに、スィグルが頼んだ程度では、猊下げいかは再考しないだろう。

 父もそれは分かっているようだった。

 まだ皮肉な笑みだったが、父はもう怒っているようではなかった。

「やむを得まい。ブラン・アムリネス猊下げいかの神聖なる御心みこころだ。こちらの都合で左右しようというのは不敬であるな、息子よ」

「はい……」

「だが、天使は今もそなたの友か」

 父はもう笑っていない顔で聞いて来た。黄金の目がまるで射るようで、それと見交わすのにスィグルは苦労した。

「おそらく」

 自信がない訳ではないが、自信をもって断言することでもない気がして、スィグルは曖昧あいまいに答えた。

「返事が来ると思うか?」

「わかりませんが、来るはずです」

 謁見えっけんの席で小さくなって、スィグルは答えた。

「結構。トルレッキオよりシェラジールが戻ったら、天使の返信を皆にも見せよ」

 父がそう命じた。

「皆にですか」

 スィグルはたじろいで聞いた。

 もし返信に猊下げいかが変なことを書いてきていたら、どうなるのだ。

「そなたが敵と密通していると疑う者がいる。また、それとは別に、そなたが天使の密偵であると疑う者がいる。潔白であるなら、皆の前でそれを証明せよ」

 スィグルはそう言われて、しばし唖然とした。

 敵と密通。天使の密偵?

 どういう意味だ。

 ギリスの悪事を天使に告げ口したつもりが、なぜか僕が責められてる。

 ちょっと待てよと、スィグルは過去に覚えのない種類の汗をかき、思わず英雄たちの席を振り返った。

 そこにいるはずのエル・ギリスを。

 ギリスはじっとこちらを見ていたが、何も知らないというように、両掌りょうてのひらを見せて肩をすくめる降参の身振りをした。

 それが高段の父にも見えたのだろう。広間の皆もギリスを見ていた。

「エル・ギリス。俺の息子の言った事は本当か」

 父はギリスに直に下問かもんした。

 エル・ギリスは晩餐のような無礼講の席でなくても、族長に直答できる身分だ。竜の涙なのだから。

 ギリスは英雄の席で叩頭して立ち上がった。座っていたその場に。

「本当です。殿下の衛兵を蹴飛ばしたら気絶して、侍女は俺を見て怖がってました。宝剣を抜いて見せたので」

 ギリスは恐れる様子もなく答えていた。

 よく族長リューズにそこまで平然としゃべれるなと、スィグルは振り返って見ながら呆れた。

 そういえばギリスはそもそも王族の殿下であるスィグルにも対等に話してくるし、スフィルや、先ほど通路で出くわした第十五王子にもそうだった。

 どういうしつっけを受けたらああなるのかと、スィグルはやっとギリスの神経を疑った。

 でもそのギリスでさえ一応、族長リューズには敬語だったので、やはり父は余程に凄いのだろうか。

 もう訳が分からなかった。

「なぜ蹴飛ばした」

 父は玉座の肘掛けにもたれ、また分からないという顔になった。

「弱い衛兵だと殿下に解らせたくて」

「弱かったのか」

あごを蹴っ飛ばしたら気絶しました」

「お前が強いのだ」

 父は端的たんてきに教えていた。

 ギリスが、あぁ、と納得したような顔をした。

「侍女に見せた剣は? なぜ見せた」

 父はそれも淡く眉を寄せて訊いていた。よっぽど不思議だったのだろう。

「見せたらどうするかなと思って」

 ギリスは真顔でしれっと答えていた。

 それに族長はうっすらと眉を寄せて悩んだようだった。

「侍女はどうした?」

 ギリスを見つめて、父は尋ねた。ギリスはそれにも平気な顔をしていた。

「一人は立ち向かってきて、他のは泣いてました」

「そりゃそうだろう。お前が剣を抜いたら俺でも泣く」

 族長が真顔で答えるのに、広間が失笑した。

 堪えようとして耐えきれなかった者たちが震えて笑っていた。

「そなたに立ち向かった者に褒美をとらせよ。泣いていた者には花でも贈って詫びを入れよ、エル・ギリス」

「俺がやるんですか?」

 ギリスが嫌そうに答えると、父は玉座で頷いていた。

 そしてギリスが持っていた礼服の宝剣を遠くから指差して聞いた。

「その剣か、抜いたのは」

「そうです」

「抜いて見せよ」

 父が命じるとギリスは迷わず剣を抜き放った。

 その一瞬も考えない様子に、髑髏馬ノルディラーンばつの者さえ動揺していた。

 剣を掲げて見せるギリスに、しばらく父は無言でいた。剣を眺めているようだった。

「それはイェズラムのだな?」

「そうです。今は俺のです」

「名工の作だ。大切に使え。俺の亡き兄上がイェズラムに与えた褒美の剣だった。女に見せたい気持ちはわかるが、やたらと抜く男を侍女は好まんぞ。イェズラムも滅多に抜かない男だった。お前も以後は亡き養父デンを見習うがいい」

 父は真顔でギリスに命じた。

 それをギリスは神妙な顔で聞いていた。何かを少し反省したように。

 何を反省しているのだ……?

 スィグルは分からず、振り向いてギリスを見つめるしかなかった。

「分かりました」

 ギリスは族長に頷いていた。

「分かれば良い。とりあえず、そなたは不問だ。だが息子は贖罪しょくざいの天使の裁定を仰いだと言っている。天使の裁きは族長権を上回るものだ。幸運を祈るぞ、小さい我が英雄よ」

「小さくないし」

 ギリスが口答えしたので、父は笑った。何が面白かったのか。

 玉座が快活に笑うものだから、釣られたのか広間も皆笑った。

 その談笑の空気の中で朝議は終了となった。

 皆の前で話し合うべき事柄のみが語られる場だ。

 父はその後も一日中ずっと謁見したり、会議を招集しているだろうが、全員を集める朝議はあっという間に終わるのが常だった。

「今朝もご苦労だった、我が廷臣たちよ。忠義である。今日も祖先に恥じぬ良い一日を過ごすとしよう」

 族長はそう言って、スィグルを謁見の席に残し、玉座から立ち上がった。

 そして颯爽さっそうと去る高段の父は、やはり高履たかぐつは履いていない。

 祖先伝来の赤い礼装だが、それも大礼装ではなく戦地で着るための略装で、しかもやけに足捌あしさばきが良さそうだ。

 絶対に何かある。

 スィグルはその場に平伏しながら、内心でそう思った。

 しかしそんな瑣末さまつなことを父に聞く機会は、天使に鷹通信タヒルで告げ口する以上に自分には無い。

 父と話せる時がないのだ。

 もちろん兄たちともない。

 王族が退出するための通路でもある赤い絨毯の道を、スィグルは後退って譲った。

 第一王子に。そして第二王子に。第三王子に。

 次々と退出していく兄たちをそこから平伏して見送り、自分の番となると、空っぽの王族の席があるだけで、スィグルに平伏してくれる者は誰もいない。

 いないのだと思っていたが、英雄たちの席で、エル・ギリスが平伏していた。

 それから遠くにいる銀狐エドロワばつの者も。

 女英雄たちの派閥も幾つかはそうだった。

 それがひどく不思議な気がして、なぜ平伏してもらえるのかとスィグルは悩んだ。

 別に何もしてない。僕はまだ。

 英雄に頭を下げてもらうようなことを特に何かしただろうか。

 だから誰も平伏しなくても平気だったのだ。今までは。

 でも、こうして叩頭されると、その重みを感じた。彼らがぬかずく理由が、自分には必要だ。

 玉座の間ダロワージを辞す時、スィグルは答礼のつもりで、王族の扉から、こちらに平伏していた者たちに頭を下げた。

 そういう儀礼は宮廷にはない。

 退出を見ていた者たちが不思議そうにしていた。

 ただこちらを見ていただけの者も、急に慌てたように叩頭した。

 星屑みたいな王子でも、一応はアンフィバロウの子だ。それなりに有難いものなのだろう。

 その何かの反射のような平伏に送られて、スィグルは広間を出た。

 通路では、暗い赤の服を着て、雀蜂すずめばちの旗印を持った侍従たちが、隊列を組んで待っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る