053 銀狐《エドロワ》の来襲

 銀狐エドロワばつの者たちの登場に、英雄たちの席が不穏にざわめいて見えた。

 扉のそばに陣取っていたデンたちが、輿こしを担いで乗り込もうとする尻尾のある者たちに立ちはだかり、何事か押し問答している。

 王族の席には、その声の内容までは、はっきりとは聞こえなかったが、彼らが和やかに歓談しているわけでないのは遠目にも分かった。

「何事だろう、ギリス……」

 不安になったのか、騒ぎにスィグル・レイラスが暗い顔で聞いてきた。

 ギリスに聞かれても、何事なのかが分かる訳はないのだが、聞けば何とかなると思っているのだろうか。

 英雄たちに守られて生きる王族としての本能か、スィグルは心なしかギリスの陰に隠れるような仕草をした。

 妙なものだとギリスは思った。

 もちろん、護衛も射手の役目であり、魔法戦士としてもそのはずだが、一体どこに身をていして守る義理があるというのか。

 分からなかったが、ギリスたちの背後にいるジョットたちも、緊張した面持おももちで新星の側近くに寄り、幼いながら身をていして守る構えだった。

 そのように教えられてきたからだ。民の幸福の支えである王族を、命懸けで守るのが魔法戦士の務めだと。

 英雄たちの席にいる者の中にも、立ち上がって身構える者が幾人かいた。

 その中に、先ほど戻ったばかりのフューメンティーナとそのジョットたちがいるのも見えて、やはり彼女のジョットの何人かは念動術師なのだなとギリスは思った。

 魔法戦士が魔法を使うのには少々の時間を要する。

 矢を射るためには弓弦ゆづるを引き絞らねばならぬのと似て、思った瞬間に即座に撃てるというものではない。

 だからどんな大魔法も、撃つ前に術者を殺すか、少なくとも吹っ飛ばして気をぐことができれば、その瞬間には無力化することができる。

 フューメは護衛に最適の魔法戦士だ。装填そうてんが早く、素早く撃てる女英雄だった。

 魔法の装填にかかる時間は人による。フューメは早撃ちだった。

 そんな技は、今ここでは見られないほうが望ましいが、よもや魔法戦士の乱闘が見られるのだろうか。

 もしそんなことなれば銀狐エドロワばつはもう終わりだろう。

「念動術か風刃術は?」

 新星を自分の身の陰に隠しながら、ギリスは背後のジョットたちに尋ねた。

 サリスファーが答えた。

「エル・エリシャーがいます。風刃術師です」

 誰だか分からない、ずっといたチビが、急にキリッとして仲間たちを押しのけ立ち上がった。

 気分の問題かもしれぬが、座ったままで魔法を使うのは難しい。

 できる奴はできるが、大魔法をふるうには立っているほうが楽だ。

 だから急に立ち上がった魔法戦士には気をつけるべきだった。

 見れば族長の席でも、長老会の者たちが席から立ち上がっていた。

 中には歴戦の大英雄である念動術師か何かがいて、玉座のために広間ダロワージの全てを吹っ飛ばす気なのか。

 エレンディラはまだ座っていた。にこやかに。

 その横に座す族長リューズも、普段と変わらない笑みでゆったり座しており、スィグルのように魔法戦士の陰に隠れようとはしていなかった。

 良い機会と思い、ギリスは王子たちの席もざっと見渡しておいた。

 立ち上がって身構える、頭に石のある者がいる。

 王子たち全員にいる訳ではなかったが、長老会が側仕えの英雄をつけている殿下もいるらしい。

 それだけ警戒すれば良い。

 ギリスは今日の日の、この物々しい玉座の間ダロワージの絵を見ることができて、よかったと思った。

 さっきまで誰も同じに見えた殿下がたが、同じでないことはわかった。

 スィグル・レイラスには昨夜まで、ここに席すら無かったが、今夜は一応、髑髏馬ノルディラーンばつの英雄七人に囲まれ、中には護衛に向いた風刃術の使い手がいる。

 おそらくフューメもいざとなれば新星を守ってくれるだろう。そのジョットたちも。

 養父デンの言っていた通り、新星は運が良い。

 とてもそうとは思えぬ境遇ばかりだが、トルレッキオへの人質幽閉すらも、こいつには幸運だった。

 天使に鷹通信タヒルを飛ばせる王子がこの広間にあと何人いるだろうか。

 そんなものは皆無だ。スィグル・レイラスだけがやれることだ。

 もちろん、族長リューズを別にすればだが。

 玉座の君も、天使とは話せるのだろう。

 それが大陸の民の各部族の首長にだけ与えられる権限のひとつでもある。

 族長でなければ天使とは話せない。皆、そう思っているし、ギリスも思っていた。

 それも昨夜までのことだ。

「スィグル、心配するな。アイアランはお前に会いに来たんだ。俺は先に挨拶されてる。俺よりマシな礼儀だぜ?」

 ギリスは新星を安心させようと、なるべく微笑みながら静かに言ってやった。

 スィグル・レイラスが検診の術医を怖がる子供部屋のチビみたいに見えたせいだ。

「笑ってる場合か、馬鹿!」

 ひそめた声で、スィグルが答えてきた。闇の中で吠える黒雷獣アンサスみたいに。

「笑ってる場合だろ。お前の親父を見ろ。にこにこしてる」

 ギリスは玉座を示して、スィグルをいさめたつもりだった。

 主君がお間違えになったらいさめるのがデンである魔法戦士の役目だと、エレンディラも言っていた。

「父上は勇気がおありなんだよ!」

 怒ってるみたいな声で、スィグル・レイラスが父親を褒めていた。

 勇気とかそういう問題じゃない。族長リューズはここでビビるのを人に見せたくないだけだ。

 怖かったとしても我慢しているのだ。そうに違いないのに、なぜ血を分けた息子にそれが分からないのか。

 本当に名君の子かと、ギリスは疑わしくスィグル・レイラスを見た。

 そういえば顔も似てないし、十二人の妃が同時期にはらむなどと、出来過ぎた話だ。

 実は何人かは偽物の殿下なんじゃないかと、ギリスは疑っていた。

 アンフィバロウの末裔だというなら、その血筋を示すべきだ。皆もそう思うに違いなかった。

 暗愚であったという先代の族長デールですら、都市設計の才においては、太祖アンフィバロウを彷彿ほうふつとする個性を示していた。

 太祖は決死の砂漠越えを企てる勇気も持っていたが、民が安住するための都市を幾つも建設した。

 だからそれもアンフィバロウらしさと言えた。

 暗愚な族長も、生まれる時を間違えなければ、名君だったのかもしれないのだ。

 スィグルが言っていたことにも、一理あった。

 どんなアンフィバロウであるべきか、それは魔法戦士が選ぶ。そういう伝統だ。

 ディノトリスが誰に予言を囁くかが、この部族では重要なのだ。

「アイアランはお前に忠誠を誓いに来るだけだ。用件はそれだと聞いてる。銀狐エドロワばつは帰還式の行列に加わりたいんだ。その話をしに来るだけだ。俺にはそう言っていた」

「なんで今夜なんだよ。何も玉座の間ダロワージでなくていいだろ」

 スィグルは本気でそう思うらしく、ひどく気まずそうに見えた。

 あの騒ぎの種になっている輿こしが、自分のところへ来るのが気まずいのだろう。

 もちろん、アイアランはそれを見せるために、わざわざ来たのだ。弱った身の無理を押してまで。

 さっさと通さねばならない。

 ギリスがそう思った時、玉座のほうから声がした。

「何事だ、我が英雄たちよ。飯は楽しく食え。喧嘩けんかをするなら追い出すぞ」

 族長リューズが高段で立ち上がり、行儀の悪い子供部屋のチビどもを叱る室長のように怒っていた。

 でも族長はまだ楽しげに見え、本当に怖がっていないようだった。

 美しい女英雄を隣にはべらせ、余裕の笑みだ。

 エレンディラの雷撃の攻撃範囲は広い。近づくものを昏倒させることぐらいはできる。

 だがエレンディラが狙った者だけ雷撃するかは謎だ。彼女の魔法にそういう細やかさはない。

 出力の調整ができるだけで、攻撃範囲内にいるもは皆、痺れるはずだ。

 彼女の雷撃の餌食になりたくなければ、なるべく彼女にくっついていることだ。

 族長はよく心得ているらしく、エレンディラのすぐ隣に立っていた。そこなら雷撃は当たらないからだ。

 その魔法の性質の故に、エレンディラは先陣を駆ける女英雄だった。

 ごく少人数の従者だけを連れ、先鋒で雷撃をする。

 彼女が通った後にいた者は、皆痺れて気絶している。敵も味方も分け隔てなく。

 攻撃範囲もとても広い。大抵の術者は、相手を射程内に捉える前にエレンディラの雷撃に倒されるだろう。

 養父デンもエレンディラにはかなわぬと言っていた。

 それは別の意味でだったかもしれないが。

 この戦場の花は、常に名君のため、敵陣に進撃の活路を切り拓いてきた女英雄エルなのだ。

 進むことにかけて、当代の玉座の間ダロワージでこの女の右に出る者はいない。

銀狐エドロワばつは喪に服せ! 今宵は玉座の間ダロワージに立ち入ることは許さぬ!」

 高段で立ち上がっていた長老会の重鎮デンの一人が、恐ろしく響く声で命じていた。

 エレンディラはそれを止めず、族長も知らぬ顔で微笑んで見えた。

 以前も、族長は凄む役目は養父デンに任せていたし、族長が自分で怒鳴ったりはしないものなのだ。

 そういうことすら他人に命じてやらせるのが、族長というものだ。

 自分で怒鳴ると権威に傷がつく。ぎゃあぎゃあ怒鳴る男を民はありがたいと思うだろうか。

 思う訳ない。養父デンはそう思っていたらしい。

 族長は太祖のような美しげな顔で、いつも静かに謎めいて微笑んでいるべきだと。

 その成果があの玉座の男で、リューズ・スィノニムは養父デンの理想のジョットと言えた。

 射手が星を作るのだ。

 ギリスには、そうとしか思えなかった。

 では自分はどんな星を作って天に撃ち上げる気なのか。

 隣にいるスィグル・レイラスを見ても、全く見当すらつかない。

 それを思ってギリスがぼんやりし始めていると、急に広間ダロワージの中央の扉から、聞き覚えのある大声が聞こえた。

 まだ甲高い少年の声だった。

「閣下! 通すようにお命じください。銀狐エドロワにも閣下のこの広間でしょくす権利があるはずです!」

 その声で喋ったら死ぬのではないかという大声で、アイアランが怒鳴っていた。

 それはギリスの耳を直に撃つようで、頭に響いてきて、ギリスは顔をしかめた。

 念話だ。誰かがアイアランの声を魔法で皆に伝えている。

 玉座の間ダロワージで魔法を使うとは、許されざることだったが、念話術や幻視術のような身体に直接の害のない術は、とがめがゆるいのも事実だった。

 だけど、うるさい。とがめがあるのではないか。

 ギリスがそう思っていると、案の定、族長リューズがとがめてきた。

「うるさいぞ!  場をわきまえろ。お前たちだけがこの広間ダロワージにいるわけではない」

 自分で怒鳴るなという養父デンしつけそむき、族長リューズは自ら叱りつけていた。

 族長自らが怒るのだから、相当のことだと、皆、静まり返った。

 それをとがめる目で、エレンディラがちらりと隣席の椅子から族長を見上げていた。

 女英雄は何も言わなかったが、族長リューズは反省したふうに、深いため息をつき自分の席に座った。

 族長は素直なジョットだ。スィグル・レイラスのようにキレて殴ってきたりはしない。

 養父デンは素直で賢いジョットに恵まれたわけだ。運の良い男だった。

「何の用だ。エル・アイアラン」

 静まった広間によく通る声で、族長は座したまま、静かに尋ねてきた。

 ギリスは遠い人垣の向こうにいる、輿こしに乗ったアイアランが、美しく正装しているのを見つめた。

 広間の晩餐にふさわしい衣装ではあるが、アイアランは垂髪すいはつのままだった。髪を結っていない。

 それに目隠しもしていた。長い灰色の絹布けんぷを頭に結び、自分の目をふさいでいる。

 族長はアイアランの名を知っていたらしい。

 ギリスはそれに、自分の他にもまだヤンファールで死闘した少年兵がいたらしいことに確信を深めた。

 族長リューズは英雄好みで、実によくデンたちの名前を覚えている。

 戦闘に配備された魔法戦士の名と術を、族長は全て記憶していると養父デンは言っていた。

 良い戦士は自分の武器を把握しているものだ。

 魔法戦士は族長の矢で、剣で、槍だ。それを知らずに戦えない。

 だが、子供部屋の一人一人までもを把握しているだろうか?

 初陣ういじんもまだの奴まで、本当に一人一人、顔と名前を憶えたりできるだろうか。

 偉大なる養父デンでさえ、子供部屋のチビまでは知ってはいなかった。

 初めて会った時も、ギリスに養父デンは名を尋ねてきた。

 自分はイェズラムだと名乗り、お前の名はなんというのかと、ギリスに聞いた。

「閣下には、もう、申し上げたいことはありません。殿下にご挨拶に参りました」

 アイアランは苦しげな呼吸の聞こえる肉声で、精一杯叫んだようだった。

 その声は小さかった。でも族長は耳がいい。聞こえたらしかった。

「どの殿下だ。好きに挨拶するがいい。お前たちの権利だ。しかし……」

 族長は座っていても、よく通る声だった。

 養父デンの話では、リューズ・スィノニムは玉座の血筋に生まれていなければ、仮面劇の俳優になりたかったらしい。

 そんなものは叶わぬ夢だが、でも確かに良い声だ。

 いつまでも聴いていたいような、類稀たぐいまれな美声なのだった。

 そんな形質が王家の血筋にあるとは聞かない。

 だからアンフィバロウらしくはないが、皆、太祖もかくやと喜んでいる。

 声までは英雄譚ダージに記録されないので、太祖が美声でなかったという証拠もない。

 きっとこんな声だったのだろうと、皆、内心ではこの声に聞き惚れているのだ。

銀狐エドロワよ。無為に死すのは止せ。お前たちの無念は聞こえている。今は耐えよ」

 そう話す族長の横で、エレンディラが珍しく不満げな顔をしていた。

 女英雄は族長にここで、そんな話はして欲しくなかったらしい。

 スィグルには皆の前でヤンファールのびを入れさせたくせに、族長のことは守りたいのだ。

 エレンディラも、当代の英雄と言えた。

 族長リューズのデンで、弟を守りたいのだ。

「耐えかねます、閣下。英雄たちの命はあとわずか。殿下にお目通りを」

 輿こしの上でも平伏して見せ、アイアランは族長に懇願する構えだった。

 勝手に押し通る訳ではないのだから、銀狐エドロワも案外、お行儀がいい。

 ここにいる英雄たちは、結局、皆そうだ。玉座に繋がれた犬で、そうでない者は幼い頃に始末されている。

 主人にとって可愛い者だけを生き残らせた群れなのだ。

 しかもそれを、英雄たちは自分自身でやっている。

 誰を生かし、誰を始末するかを決めているのは長老会だ。玉座ではない。

 養父デンも自身のことを挺身ていしん権化ごんげだと。

 逆らえないのだ。アンフィバロウには。

 それは強権によってではなく、愛によってだった。

 なぜか皆、族長とその一族の者たちを愛している。

 それのことを、玉座の間ダロワージでは忠誠と呼ぶ。

「どの殿下だ。皆に挨拶せよ。次代の玉座に賭けたいというなら、俺は止めはしない」

 族長が許すと、エレンディラが怖い姉上デンの顔で横からにらんでいた。

 それが怖いのか、族長は苦笑してエレンディラをなだめているようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る